人生の階段ー日々の詩に託してー

ある老婆の日々ーー

不思議なお客

2015年09月23日 | 日記
昨夜

中年の女性が

お客に来ました

二時間ほどずっと

しゃべり続けてました

嫁の愚痴 夫の愚痴

息子の愚痴 

こちらがちょっと

口を挟もうとしても

まったく無視

ずっと同じことを二時間

えんえんしゃべって帰りました

この女性には

日本という国の将来の

不安というものはない

のかしら

隣国の脅威や

歪んだ歴史を正しいと

押し付けてくる

厄介な隣国のことなど

眼中にないのかしら

話題はいつも嫁と夫と息子・・・

のほうが

幸せなのかしら

老婆は孫の可愛さを

見るにつけ

この子たちの未来は

どうなっているのだろう

CHINAに取り込まれて

学校でニイハオなんて

言わされたりしてないかしら

なんて

取り越し苦労もいいとこなので

おまえは馬鹿かと

自分に言ったりする

のですが・・・

それにしても

珍しいお客でございました・・・

外人部隊

2015年09月22日 | 映画
大昔の映画です

マレーネ・ディートリッヒ主演です

外人部隊の映画です

恋人はその軍隊にいます

さあこれから出発というとき

彼らは砂漠に向かって

出発しました。

すると・・・

当然のように

数十人の女たちが

鍋釜かついで

数十メートル後をついていく

のです。

あまりにも当然のように。

昔このシーンを見たときは

意味がわかりませんでした

あれはきっと

売春婦というか

「戦場の女たち」なんですね

彼女たちのあのシーンを

なぜ思い出したかというと

あれはどう見ても

強制的なものではなくて

女たちの

生活手段で

それによって収入を得たのだと

確信したから。

そして

あの外人部隊にはきっと

女もまた生活のために寄生して

いたのであって

奴隷みたいに強制性はなかったのだと

思います。

今、あちこちのテロ集団では

ほんとの性奴隷があるとか・・・

そしてベトナム戦争のときの

K国の強姦はすごかったらしい・・・

しかし昔の日本軍に

付き従った女たちは

そこらの兵士より高給取りだったと

聞いたことがありますが・・・

いずれにしても

戦争と性は悲しい関係に

あるのですね。

だからほんとの平和をと

願うのですが・・・

念仏を唱えるみたいに

ただ唱えて太鼓叩いて

いても

平和が実現するなんて

信じられないのです。






通学路

2015年09月21日 | 映画
世界の果ての通学路

というドキュメンタリー

ごらんになりましたか?

近頃にない

感動の映画で

ある人なんかはそんなの

やらせだよと

言いますが

たしかに都合よく車椅子のわっかが

外れたりします



そういうのは

いい意味でのやらせて゛

映画の完成度を高めるために

やっていいことですし

事実かもしれないのに

やらせだよなんて

やな性格だこと(笑)

そしてそして日本でも

老婆の83歳の知人は

標高1200メートルの村から

下駄はいて

鉄道沿いに二つ目の

駅まで歩いて

通学していたそうです。

今、その村は消えて

麓の標高1000メートルの村に

移りましたし

子供たちはスクールバスです

みんなみんなスクールバスです

いえ、別にスクールバスが

いけないとは申しません

申しませんが

子供たちのあの試練には

なんとも味わい尽くせぬ

ロマンがあったような

気がします

したたかで

自然と合体しつつ

そして学びの場に到達する

これ自体が素晴らしい

「勉強」に思われます

バスですいすい

と行くのはたしかに

便利だし安心ですが

何かを失ったのも

事実だと

老婆はは思うのでした。






ほんとに信じてるの?

2015年09月20日 | 日記
かねてから老婆は

不思議でならないのです

憲法九条があったから日本は

70年の平和が守られたと

ほんとに信じているのでしょうか

あの文化人と言われる人たち・・・

老婆は老いた頭で考えるのです

もし我が家の玄関に

「うちは平和主義なので、泥棒強盗おことわり」

って張り紙していたら

泥棒も強盗も

納得して避けてくれるかしら

なことはないですよ

憲法九条って国の玄関に

張り出したこんな張り紙みたい

外を通る強盗が

この張り紙見て

こりゃダメだ、避けて通ろう

なんておもうかしら。

なことはないでしょう

憲法は国内法だから

外の強盗さんには通用しません

こんな平和ボケの張り紙してる

家には入りやすいぞ

なんて思って

逆に踏み込まれそう

なのに

やっぱりあの人たちは

九条のおかげで日本はずっと

平和で来たし

これからも永遠に

平和でいられると

ほんとにほんとに

信じているのかしら

謎です。


残酷なのは・・・

2015年09月19日 | 日記
ある本のなかで

太平洋戦争の軍隊にいた人が

上官の命令で

捕虜を突き殺した

その時の肉の感触とこちらを見た

相手の目が

老年の今になっても

甦っては自分を苦しめる

という短歌を見ました。

日本はたしかに捕虜をこんなふうに

突き殺したのです。

その証人がここにいました。

では、

その人は今も冷酷無比な人間なのでしょうか

千年経ても彼は謝り続けなければ

ならない人間でしょうか。

戦争です、

戦争というステージ上の人間だったのです。

日本人もまた

残虐この上ない目に遭いました。

これまた戦争です、戦争というステージ上のことです。

第一次世界大戦の時

戦争が終わった瞬間に

塹壕を飛び越えて

フランス兵とドイツ兵がお互いに

肩を抱き合いました

戦争がどちらの人間をも残虐な

生き物に変えてしまいます。

両方の国、そしてどの国も、です。

けれども今は

日本だけが残客無無比の国だと

日本人自身が認めてしまって

戦争というメカニズムのなかでは

世界中が残虐な生き物に変身するという

戦争の原理を無視しています

だから某国がベトナムで

強姦殺人残虐のかぎりを尽くしたのに

黙って口を拭っています

そして日本のそこんとこだけを

抜き出して

いつまでも「歴史の歪曲」と叫んでいます

自分たちのやった残虐行為は

どうなってるの

日本のアジア進出はたしかに

一部は損害

一部は利益も

あったのです

けれど得た利益分については

当国は見て見ぬふり。

欧米の植民地が残した利益あるおみやげは

言語ーーだけでしょう

あとは・・・ごらんなさいな

なんとも冷酷無惨人間売買の歴史

戦争です、戦争です・・・

戦争というメカニズムのなかでは

ひとはどの国の人間であれ

どの国であれ

残虐になり得ます・・・