2014年4月2日
テンセイジンゴより
実存はしないが、知る人ぞ知る博士論文がある。「蛙(かえる)の眼球(めだま)の電動作用に対する紫外光線の影響」という。にやりとした方は漱石ファンだろう。小説「吾(わが)輩(はい)は猫である」に出てくる寒月(かんげつ)君の取り組む論文だ。そのモデルが物理学者の寺田寅彦なのは、よく知られている▼味わいの深い多くの言葉を、寅彦は残した。「科学者になるには自然を恋人としなければならない。自然はやはりその恋人にのみ真心を打ち明けるものである」。そんな一節を1月の小欄で借用したのは、「大発見」をなした小保方晴子さんへの賛辞だった▼喜びとともに報じた快挙を、カッコつきで書かねばならないのはやりきれない。所属する理化学研究所はきのう、研究に不正行為、それも捏造(ねつぞう)があったと調査報告を公表した。懲戒委をつくって、処分を検討するそうだ▼ただ、核心はなお藪(やぶ)の中にある。小保方さんは「このままでは、あたかもSTAP(スタップ)細胞の発見自体が捏造であると誤解されかねず、到底容認できません」と反論して
いる▼細胞が本当に存在するのなら話は違ってこよう。重要な謎を残しつつ、理研側に、この騒動を、はた迷惑な独り芝居として葬りたい思いが透けていないか。最大の関心事を、つまびらかにする責任がある▼寅彦こと寒月君に戻れば、論文はいつ出来ると聞かれて「まあ十年か、事によると二十年」と呑気(のんき)に答える。そんな時代は遠く、科学者はいま、魂が追いつかぬ疾走を続けているようにも思う。顧みる必要はないか。