もともと旅行にいくつもりで
3日間休みを取っていたのだが
緊急事態宣言を真に受けて
キャンセルしてしまった
なので
1日目は日帰りで箱根に行ったが
残りは家でマンガを読んで過ごした
何を読んだかというと
「ちはやふる」である
そう、あの百人一首のマンガである
もともとネットで読んでいて
21巻まで読んで止まっていたのだが
それを今回の休みに始めから読みなおしてみた
そしたらやっぱりおもしろくて
続きが気になったので
そのまま一気に最後まで読んでしまった
で
ストーリーとは別に
おもしろいなぁと思ったのは
若宮詩暢という主人公のライバルの
「かるたの札の1枚1枚が私には小さな神様に見える」
という台詞である
この子は子供の頃からあまり友達がおらず
ひとりでかるたで遊んでいて
かるた以外には何もできない
他人とコミュニケーションをとるのも苦手な子なのだが
まさにかるたを心の支えとして生きているのだ
ここで私は
私が神とも崇める佐藤さとる氏の
「だれも知らない小さな国」
を連想したのだ
「だれも知らない小さな国」について
作者の佐藤さとる氏は
子供の頃に空想して遊んでいた昔話の登場人物たちが
自分が成長する過程で
現実世界のリアリティーと整合性を得るために
小人ほどの大きさに縮んでいった
というように述べている
(かなり意訳しているが😅)
そして氏の作品において
これらの小さな神様たち
氏の言葉によれば
現実世界におけるファンタジー
(人間の心の中に育まれたもうひとつの現実)
というのは
困難な状況(それは戦争であったり幼少期の孤独であったりする)
を乗り越えるための心の支えとなりうる
ものであるということになる
「だれも知らない小さな国」においても
主人公が子供の頃にいちどだけ見た小人を
自分だけの神様として心の支えとして
孤独な子供時代を乗り切る
というくだりがある
氏のファンタジー作品には
ファンタジー(心の中の世界)=心の支え
という構図がしばしば現れている
例をあげれば
「ネムリコの話」「小鬼が来るとき」「魔法使いの近道」
ファンタジーではないが「開かずの間」などもそうである
まあ、私にそのような心の支えになるほどの
豊かな内面世界があるのかは疑問であるが
競技かるたに青春を懸ける少年少女の姿に触れて
今回の休みで多少は小さな心が広がったのはないかな
と思うしだいである