現場での身体の変化について記したが、このことは昨年も現場に頻繁に出ていた際に記したこと。それは「独り言」のことだ。思うようにゆかないと、わたしはよく独り言を口にする。もっと言うと、それもそこそこ大きな声で口にすることが多い。どいうケースかと言えば、例えば草刈りがされていない現場で、草を刈りながら「管理しろよ」と声をあげるのは、そのせいで自身に不幸が訪れた時だ。刈っていた草に土塊とともに泥がついていて、わたしの身体に飛び散ったり、モノを落としてしまった時だ。声に出して、誰かに当たらない限り、モヤモヤが解消しない。もちろん、声を出したからといって、解消するかと言えばそう容易いものではないが、ちょっとしたことでも声をあげるのは、わたしの悪い癖だ。この指摘は、度々妻にされていること。
独り言で解消しなければならないようなこころの小ささ、といえばそれまでだが、それほど大きなことでなくても、けっこう独り言の多いわたしだ。したがって会社にいても、静けさの中で、わたしの独り言はけっこうみんなに聞こえている。聞こえるように口にする時もあるが、ほとんどは無意識のうちに口に出る。ふだんの癖だから、安易に口に出してしまう。
とはいえ、かつて若かったころの会社内では、そういう独り言を口にする人は多かった。だからわたしの独り言だけが目立ったわけではない。ところが現代の若者は、ほとんど独り言を口にしない。口にしなくてもこころの中で、あるいは声にでなくても人に聞こえないような独り言を口にすることはわたし的には多いのだが、そうした独り言さえ、おそらく現代の若者にはない。シーンとしていれば、まったく物音がしない。当たり前だが、とても行儀がよくて、もっと言えば身体で表現することさえない。こういう立ち振る舞いから、「何を考えているかわからない」という意見が漏れることになるが、本当に身動きが少ない。
かつて現場に先輩と出れば、「次は何をしなくてはならないだろう」と常に考えて、先輩の様子をうかがった。だから自然と自らの身体は動いていたし、独り言ばかりでなく、問いかけていた。今はまったくの静寂の中で、全てが動いている。一人芝居をしているのはわたしばかり。
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