Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

お薬師さんと眼科

2016-03-15 23:00:14 | ひとから学ぶ

 「玄関を入って待合室をのぞく時、待合者が二十人位なら「やれやれ今日は早くみてもらえるかな」と思って受付へ診察券を出すのです」。これは平谷村の小池筆男さんが、村の診療所の発行する「すこやか ひらや」に投稿されたものを『山村の今昔』(平成11年 自費出版)としてまとめられた一冊の最後を飾る言葉である。待合室に20人くらいなら患者さんが少ない方、となると、評判のお医者さんということになるだろうか。わたしが常々お世話になっている整骨院に入る際には、まず玄関を入るとすぐにある下駄箱に並んでいる靴の数を数える。10を越えると「今日は時間がかかるなー」と思う。そして駐車場が満杯で停めるスペースがないと、「今日は諦めるか」と。お医者さんも予約制ならそこそこの時間で診てもらえるが、そうでないと日によって時間帯によってまったく様子が違う。もちろん今日空いていたから、明日同じ時間帯なら空いているというものでもない。「今日は空いていますねー」先生に声をかけると、「そうな、どうしたんだか、こんなに空いていると、また困るんだけどなー」と答えられる。もちろん看てもらう側は空いていることにこしたことはないが、あまりに空いていると「今日は何があったんだろう」と考えてしまう。

 さて、小池さんの本が診療所の機関紙に連載されたものということもあるのだろうが、お医者さんにかかわるものが多くまとめられている。長野県でも南端に近く、矢作川の源ということもあって、長野県内ではちょっと水が異なる村。そういうこともあって、県境を越えた現在の豊田市内のお医者さんの話がよく登場する。最後を飾った言葉のお医者さんも、現在の豊田市中金町平古にある梅村医院さんのことだ。もちろん書かれたのはずいぶん昔のことで、平成9年に機関紙に掲載されたもののよう。小池さんの文では「梅村眼科」と紹介されている。そのお題は「名医と家伝と信仰」というもので、冒頭の書き出しはこうだ。

 豊田市の北の端で足助町との境に、「なかがね」という集落があります。農家が点々と散在していて、一見して田舎の農村のたたずまいです。わずかに国道一五三号線に沿って数軒の家が、聚落を作っております。この数軒の中ほどに、名鉄西三河線の終着駅がひっそりと建っております。駅の近くには二軒の雑貨店があるだけで、周りは静かな田園が広がっております。(中略)
 こんな閑静な駅から二分ほどの所に瀟洒な洋風の建物がポツンと建っております。これが梅村眼科医といって、私が五年以上も通院を続けているところです。

もう20年近く前のことだから「今はどうなんだろう」と検索してみると、現在も「梅村医院」として開業されている。診療科目は内科・小児科・眼科といろいろ診てらえるようだが、特色は女性医師という。小池さんの文にも女医さんだということは書かれているが、当時すでに「年のころ七十位に近い」と記されていて高齢の先生だったよう。現在も「眼科」を掲げられているから、「眼科」は同じ先生が診られているのかもしれない。小池さんによると「梅村医院は代々眼科の名医」らしい。その由来は「お薬師堂を祀っているから」だという。お薬師さんといえば目のご利益に通じる。小池さんが先生にそのことを聞いてみたようで、先生は「あれは先祖代々まつってきた薬師三尊で、石像は眼病が癒った患者さんが、先祖の父への感謝として胸像を刻んで祀ってくれたのです」と答えられたという。

 さて、国道153号線を名古屋に向かって、まもなく猿投グリーンロードへ入るという信号機から2キロほど飯田よりにここで触れられている西中金駅があった。平成16年4月1日に猿投-西中金駅間が廃止されて駅も廃駅となった。かつて名古屋に行く際には必ず通ったルートで、猿投グリーンロードに入る手前にあったこの駅の雰囲気は記憶にある。そういえば駅の近くにお医者さんがあった。平谷からここまで通うとなるとかなりの遠距離(60キロ近くある。もちろん公共交通はない。)であるが、豊田方面との関わりが強かったことを教えてくれる。


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