近ごろ田舎では、正月の前になると、オヤス作りという催しがよく子どもたちを中心に行なわれる。子どもたちに年寄りがオヤス作りを指導して、そうした正月飾りの伝統を継承していこうというものである。注連縄作りとか、松飾りの講習はしないが、なぜかオヤスの講習は多い。このあたり(長野県南部)の松飾りというと、玄関先に、松の枝を2本立てて、その松に注連縄を張り、おしめ(紙を切った飾り)を垂らす形のものが一般的である。その飾りそのもので、技が入るといったら、紙を切ることと、注連縄の両側に付けられるオヤスということになるから、細工するというモノとしたら結局オヤスになるのだろう。
わたしの実家では、子どものころは飾りは父が作っていて、子どもたちがかかわるということはなかった。したがって、今の子どもたちの親は、ほとんど松飾りを作ることはできない。ところが、もう何年にもなるが、いつころからか、子どもたちを対象にしたオヤス作りが行なわれるようになり、今の子どもたちはオヤスの作り方を、けっこう知っている。数年前、PTAの地区役員をしていたとき、この催しを設営したが、教えに来ていただいた年寄りの方が、「みなさんのお父さんは作ることができないから、みなさんがよく覚えてください」と言っていた。まさしくその通りで、わたしたちの年代というのは、親からこうした行事にかかわる技のようなものをほとんど伝承されなかった。完全なる伝承が消えた世代なのである。ところが、このごろは、環境も含めて、地域を見直すようになって、比較的子どもたちの方が、地域のことを知っていたりすることもある。だからといって、子どもたちが自分の力で伝承されたものを実行するほど詳しくもなく、親たちが知らないから、一時的に教わっても、その意味やほかの伝承と関連付けた理解はできていない。たとえばオヤスがどういう意味を持っているとか、どう飾られるとかいうところまでは、講習では教えられなかったり、教えても記憶に残るほど催しのなかで重要視されていないのである。親たちもこうした講習に参加したりして、作り方を初めて覚えるわけであるが、そうした背景も親たちも含めて覚えていってほしいものである。
ところで、オヤスとは何かということになる。藁で作ったじょうご状のもので、このオヤスの口に神様への供えものを入れるのである。単にヤスというところもあるが、このあたりでは「オ」がついてオヤスといっている。この口には、雑煮やみかんなどを入れるが、このごろはよそのオヤスを拝見しても、なかなか供え物の姿を見なくなった。入っていてもみかん程度である。いわゆる神様のお茶碗なのであるから、年神様がおなかをすかさないように、せっかくオヤスを飾るのなら供え物を入れてやってほしいものである。茅野市金沢大池のことが『長野県史 民俗編』にあるが、それによると、「オヤスにご飯を少しずつ供える。3日の夕方まで毎回、それ以後は5日の夕飯、6日夜のカニノトシトリのご飯を供える。7日の朝、ご飯を供えて年神様を送る」とある。オヤスは門松だけに付けられるものではなく、神前やムラの石仏・石神、墓地などにも供えられたし、田の水口にも供えたという。
その作り方は、小さな子どもでもできるのだから、それほど難しいものではない。『松川町の年中行事』に図があったので載せてみた。
①きれいにすぐった藁を1、2本ずつで、十の字を作り左手に持つ(1図)。
②図のロをハの方に折り曲げていく。
③2図のハをロの上から折り曲げて、ニと一緒にする。
④ほかの藁ホをイと平行に添えて左手で持つ(4図)。
⑤4図のイを、2図のロと同じように右に折り曲げロの下でロに重ねる。
⑥5図のロを、2図のハのように、イをはさんで折り曲げ、ニ・ハ・ヘと重ねる(6図)。
⑦ほかの藁チ・リをホ・ヘと平行に添える(7図)。
⑧2図のロのようにホを曲げて、次にイを曲げて、これを繰り返し15回くらいし、最後にまとめて腰のところをほかの藁でしばる。
といった具合である。大きな器にしたければ、繰り返しの数を多くすればよい。
わたしの実家では、子どものころは飾りは父が作っていて、子どもたちがかかわるということはなかった。したがって、今の子どもたちの親は、ほとんど松飾りを作ることはできない。ところが、もう何年にもなるが、いつころからか、子どもたちを対象にしたオヤス作りが行なわれるようになり、今の子どもたちはオヤスの作り方を、けっこう知っている。数年前、PTAの地区役員をしていたとき、この催しを設営したが、教えに来ていただいた年寄りの方が、「みなさんのお父さんは作ることができないから、みなさんがよく覚えてください」と言っていた。まさしくその通りで、わたしたちの年代というのは、親からこうした行事にかかわる技のようなものをほとんど伝承されなかった。完全なる伝承が消えた世代なのである。ところが、このごろは、環境も含めて、地域を見直すようになって、比較的子どもたちの方が、地域のことを知っていたりすることもある。だからといって、子どもたちが自分の力で伝承されたものを実行するほど詳しくもなく、親たちが知らないから、一時的に教わっても、その意味やほかの伝承と関連付けた理解はできていない。たとえばオヤスがどういう意味を持っているとか、どう飾られるとかいうところまでは、講習では教えられなかったり、教えても記憶に残るほど催しのなかで重要視されていないのである。親たちもこうした講習に参加したりして、作り方を初めて覚えるわけであるが、そうした背景も親たちも含めて覚えていってほしいものである。
ところで、オヤスとは何かということになる。藁で作ったじょうご状のもので、このオヤスの口に神様への供えものを入れるのである。単にヤスというところもあるが、このあたりでは「オ」がついてオヤスといっている。この口には、雑煮やみかんなどを入れるが、このごろはよそのオヤスを拝見しても、なかなか供え物の姿を見なくなった。入っていてもみかん程度である。いわゆる神様のお茶碗なのであるから、年神様がおなかをすかさないように、せっかくオヤスを飾るのなら供え物を入れてやってほしいものである。茅野市金沢大池のことが『長野県史 民俗編』にあるが、それによると、「オヤスにご飯を少しずつ供える。3日の夕方まで毎回、それ以後は5日の夕飯、6日夜のカニノトシトリのご飯を供える。7日の朝、ご飯を供えて年神様を送る」とある。オヤスは門松だけに付けられるものではなく、神前やムラの石仏・石神、墓地などにも供えられたし、田の水口にも供えたという。
その作り方は、小さな子どもでもできるのだから、それほど難しいものではない。『松川町の年中行事』に図があったので載せてみた。
①きれいにすぐった藁を1、2本ずつで、十の字を作り左手に持つ(1図)。
②図のロをハの方に折り曲げていく。
③2図のハをロの上から折り曲げて、ニと一緒にする。
④ほかの藁ホをイと平行に添えて左手で持つ(4図)。
⑤4図のイを、2図のロと同じように右に折り曲げロの下でロに重ねる。
⑥5図のロを、2図のハのように、イをはさんで折り曲げ、ニ・ハ・ヘと重ねる(6図)。
⑦ほかの藁チ・リをホ・ヘと平行に添える(7図)。
⑧2図のロのようにホを曲げて、次にイを曲げて、これを繰り返し15回くらいし、最後にまとめて腰のところをほかの藁でしばる。
といった具合である。大きな器にしたければ、繰り返しの数を多くすればよい。
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