昨日「銭不動へ」を記したところだが、かつて話をうかがった女性が亡くなられていたことを想い、少し記憶を呼び戻していたところだ。女性に聞いたことは『中川村誌』に記したわけだが、全てのデータが詳らかにされたわけではない。当たり前のことだが、刊行の意図にそった部分を事例として取り上げさせてもらったに過ぎない。「銭のおばさん」と言われていたと女性は自ら語っていた。銭にはオートキャンプ場を運営されている方が住み着いていて、現在も住人はいるが、もともとの銭の住人は、女性がいなくなれば最後となる。みな里の方へ出て暮らされている。今どきだから山の中へ移住して暮らす人は珍しくないが、よそから来た人が多く、昔の話を聞くことはできない。そう考えると、もう少し女性が語られたことを「残しておきたい」、そう思う。
わたしはかつて調査といえば、必ず聞き取り内容の録音をしていた。その昔はカセットレコーダーだったが、今はICレコーダー。ところがICレコーダーはよく失敗して録音がされていなかった、という経験も数多い。録音ができていたとしても、これを起こす作業はけっこうめんどうくさい。したがって録音しても起こさなかったデータもある。銭の女性のデータを探したところ、意外に簡単に見つかった。女性の家を訪れたのはもう20年近く前のこと。いまさら、とも思うが、女性を偲んであらためて当時の様子を聞いている。そして、女性に聞いた内容をまとめて投稿しておきたいと、今は考えている。
そんなことを考えていたら、当時調査をして、その後あるところで発表した原稿が目に留まった。公の場での発表だったので、過去のデータに、当時発表用にまとめたデータを加えたもので、加えたデータは公開していなかった。ということで、このデータも20年近く前のものだが、あらためて少し手を加えて発表したいと考えている。当時、なぜほぼ原稿になっていたのにどこかに投稿しなかったのか、さらに言えば、公的の場での発表だったので、ふつうなら発表内容を「原稿化していただけませんか」くらい声を掛けてくれればよかったのに、依頼側にはそのような意図はまったくなかったようだ。力を入れた割には、広報が足らなくて集まった人が「少ない」、そう感じた、わたし的には残念な機会だったという記憶がある。
さらに、それから遡ること何年も前の聞き取りデータは、話だけ聞いたが、起こしてもないし、死蔵しているものがある。いつか「起こそう」と思っているうちに、何十年と経ている。せっかく聞き取ったのに、どこにも出ていないもの。銭を訪れて過去のデータを探しながら気がついた、死蔵データ公開の試みのはなしである。
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