わたしの会社の入っている建物でも、以前良く目にしたのはトイレに「消毒液を持ち出さないようにしてください」という張り紙であった。まだコロナ禍になる前のことで、消毒液の小型のボトルが洗面台のところに置いてあると、それを持って行ってしまう人がいるための注意表示だったわけである。公共の場に置かれている共有物を持って行ってしまうという行為は、いつの時代にもあることでなくならない行為のひとつである。人が見ていなければ「持って行ってしまう」という行為が行われるのだろうが、見ていても持って行ってしまう人がいないわけではないだろう。
「見ている人は、ちゃんと見ている」そう言って注意することも考えていると言ったら、見ていてわたしに伝えてくれた人たちは「辞めて」と口にした。わが社で備え置かれているものを「持って行ってしまう」社員がいる。れっきとした立場にかつていた人だから、周囲は「認めた人」ということになるだろうか。その当時も行動に怪しいところがあって、部下たちには信用されない人だった。とはいえ、そういう人でも「上にいくんだ」と捉えられてしまうと、組織としては損だ。しかし、現実的にはそういう人がいても不思議ではなく、「もっと上の人がちゃんとわかって欲しい」と願う社員もいるだろう。一線を退いた後も、変わらず会社で怪しい行為をする。上司だった人だから、部下は「今なら」と安易に悪口など口にできない。買い置きの薬箱から特定の薬を持ち去る姿を、周囲の人たちが目にしている。「告げ口したくはなかった」のだろうが、雑談の中で「同じ薬がなくなってしまう」という話になった。確かに薬箱を見ると、薬屋さんが来た際に置いていった10個の同じ薬が一つだけ残されてなくなっている。「ひとつだけ」残されているところが味噌だ。目に余る行為に薬屋さんが来た際にその度声を掛けられる女性が「その薬半分にしてください」と薬屋さんに言ったという。ふだん悪口など絶対口にしない彼女でも、堪忍袋の緒が切れた、といったところだろうか。
久しぶりに薬箱の話になってそこをのぞいてみた。すると今回5個に減らしてもらった薬の空き箱や、それとは別の薬で箱の中に薬の小袋がいくつか残った状態で、同じ薬の箱が複数開封状態で置かれている。こういった置き薬、開封されていると次に薬屋さんがやってくると、すべて未開封の新品に交換されていく。もちろん開封されたものも薬箱の外に置いていくが、ようは開封されていれば少しだけ使ってあっても新品に置き換わる。ふつうなら同じ薬が終わってから次の箱を開封するのだろうが、中途半端にみんな開封されてしまうのだ。何を意図しているかは想像の域であるが、目的の薬が減ってしまったことへの当てつけなのかどうか。告げ口をしたのは「誰か」と詮索されるのが嫌だから、「見ている人は、ちゃんと見ている」という方法は「辞めて」なのだ。
聞くところによると、薬だけではない、彼は。ティッシュであったり、現場用に用意したペットボトルであったり、持ち去るのは「いつものこと」のようだ。わたしが見ていないところでは、縦横無尽に小さな悪行を働いている。でもかつての上司だから、周囲は知っていても口にしない。「辞めて」の背景には、「わたしに言ってもらいたい」という思いがあるのかも…。でも繰り返すが、どのように「彼がやったこと」として注意するか、難題である。
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