かつて「伊那市表木下村の道祖神」について触れた。当時『長野県道祖神碑一覧』を作成していた際に、とても悩む例として取り上げたものだ。繰り返すが、あくまでも『長野県道祖神碑一覧』は、既存資料をもとに作成した一覧である。ところが複数引用文献がふると、そこからどう一覧を作成するかは、その資料がうり二つならともかく、異なっていると悩むことになる。その実態を記した「伊那市表木下村の道祖神」では、『伊那市石造文化財』(伊那市教育委員会 1982年 391頁)にきさいある道祖神と、上伊那誌刊行会の『長野県上伊那誌民俗編上』(1980年 920頁)にある道祖神のくい違いについて触れた。
「伊那市表木下村の道祖神」で触れているように、竹入氏がおそらく独りでまとめた後掲書には、自然石の道祖神、いわゆる奇石らしき記載はない。ところが前掲書には「奇石 16×15×8cm」として明確に記載されている。もちろん竹入氏は前掲書にもかかわっているが、おそらく現地調査は別途担当地区の方がされている。こういう例が発生することは当たり前である。ようは「奇石」に注目された竹入氏の調査で、自然石の道祖神がすべて確認され、そして記載されたわけではなく、漏れもあったということになる。
ところが「伊那市表木下村の道祖神」でも記しているが、現状の下村の道祖神の祭祀空間で、どれをもって奇石とするのかはさらに悩むことになる。先ごろの例会で自然石道祖神に注目したこともあり、あらためて表木下村の道祖神も確認してみた。まず、祭祀空間全体である。十王堂前に並ぶ石碑群の中で最も目立つのは「庚申」である。これは伊那谷ではごくふつうの光景だ。そして前列なかほどには「道祖神」が立つ。「伊那市表木下村の道祖神」で紹介した際と同じように、今も「道祖神」の前に茶碗の欠片がたくさん置かれている。もうひとつの文字碑「道六神」は、この祭祀空間では最後列に立つ。碑が小さいこともあって目立たない。おそらく気がつかない人も多いだろう。その「道六神」の前に、まさに自然石が横たわっているが、これらは何か、ということになる。そして、最後の1枚。これは「道六神」を背面から撮影している。右端の小さな碑が「道六神」である。その前面に前述した自然石が二つ横たわっている姿も見える。さらに、最も後ろになる位置にも自然石がいくつか地中に埋まっている。『伊那市石造文化財』にある16×15×8cmにあたるようなものは、確かに見つからないが、どれもこれも自然石であって、祭祀空間にある以上、対象物のひとつとして捉えても間違いではない。たまたまここには「道祖神」や「道六神」があるからいわゆる道祖神の存在が明確だが、それらがなければ、ころがっている石のどれかが道祖神となるのだろう。
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