ふだんはほとんどスニーカーを履いているとそれほど気にはしないのだが、革靴をいつも通りの感覚で履いていると思わぬことになる。下ろしてさほど何回も履いていない靴なのに、知らぬ間にずいぶんと傷が付いている。足元は意識的にも遠いだけに、気を使わないと知らず知らずに傷が付く。こんな時、ふだん革靴を履いている人たちが、どう歩いているんだろうか、などと気になるところである。
子どものころはあまりに真新しい靴を履いていると目立つので、むりやり汚した記憶がある。「草むらに足を運んだり、ひどい時はぬかるみに足を運んだもの」と「変化」にすでに記した。同じことを記すことになったきっかけは、やはり「つまずいた」からだ。今履いている靴を下ろしたのは、半年以上前のこと。同じ靴を前にも履いていたのだが、下ろして間もなく側溝の蓋によくあるグレーチングにつま先を引っ掛けて、靴の先端に巻き込んで接着されていた部分が少しだが剥がれてしまった。その時の悔しさはなかった。下ろして間もないのだから当然である。足元の剥がれた部位を見るたびに悔しさがしばらくはよみがえったものだ。約1年ほど、そんな思いを抱きながら使い込んだ靴を新調。前の靴は現場用に変わった。今度こそはそんなことはないように、と真新しいうちは気を使って歩いたが、それでもときおりつまずくことが。いけないのはやはり側溝の蓋である。蓋を開けるために開けられた手掛け用のあの穴に引っ掛ける。そのたびにすぐにつま先に視線をやり、大丈夫だろうか、と確認する。さすがに気をかけるようになったから、つまずいてもそれほど大事には至っていなかったが、そこそこ靴を使い込んでくるとそれ以外の傷も付いてくる。すると気をかける度合いが低下してきて、再び大きなつまずきに…。人はつまづく人生を繰り返すもので、その度に後悔を重ねる。もちろん使い込んでいればある程度その後悔は低減されるが、とりわけ同じつまずきは「二度としたくない」という思いを重ねるから、後悔に自分自身への苛立ちが加わる。
何といっても側溝の上は歩かないにこしたことはないが、路側帯にあるから田舎道を歩くととりわけ側溝の上を歩かざるをえないことが多々ある。革靴も底が飛び出ていてつまずき安い構造だ。同じように側溝の穴や、グレーチングの編みに先をはめてしまうことがある。そして縁石などに靴の側面を擦ることもよくあるケース。ということで気が付けば傷だらけなのである。
さて、20代に時に買った黒の革靴を今もって履いている。長時間履いていると足が痛くなるからわたしの足に合っていないのかもしれないが、なにより足が大きく見える最近の革靴を好まないから、かなり傷んできてもそのまま使い続けている。もう30年モノである。前述のスニーカーのように同じ手の物が販売されていれば買い換えたいところだが、調べると同じメーカーが今も現存するが、30年前と同じ商品はさすがにない。最近靴底に貼ってあった薄い皮が剥がれてしまって、「いよいよかな」と思ったが、代わる靴がないから「直せないものか」と思って靴の修理をしてくれる店を探したところ近在にあった。ということで靴屋さんに持ち込んで相談したところ、皮より丈夫な材料で張り替えてもらえた。年に数えるほどしか履かない黒の革靴、もしかしたら、この靴ひとつで生涯を終えられるかもしれない。
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