テルミンとJAZZ
テルミンやマトリョミンの話。私、こちろうこと相田康一郎のプロフィールは左メニューバーのCATEGORYを。
 



余韻を作る

最近よく思うことなのだが、テルミンという楽器の特徴の一つとして、「余韻までも演奏者が作りだす」、あるいは「作りだせる」ということがあるのではないか。

普通の楽器は余韻は楽器自らがボディーの共鳴などによって作りだしている(部屋やホールの残響はここでは排除して考える)。しかしテルミンは電子楽器であり、余韻を作ろうと思うとリバーブなどのエフェクターを採用することになるだろう。
しかし、エフェクターで作られた「余韻」ではなく、楽器自らの余韻を出そうするとどうなるか。それには、疑似余韻とでもいうべきテルミンのコントロールが要るのではないか。具体的には、静かな曲の終わりやフレーズ終わりの長い音符の演奏上の扱い方の技術だと思っている。単純に言ってしまえば、聞こえるか聞こえないかわからないくらいの微弱音へのスムーズな減衰とその際のビブラートの扱いである。
今回のテーマはビブラートなので、ビブラートに焦点を絞ると、音量がある程度減衰したところで、弱くやさしいビブラートをかける。そのときの感覚は「音のゆらぎ」のようなイメージである。「ゆらぎ」だからといって不安定でいいわけではないが、あくまでも音が消え入り際で揺らぐイメージを手の動きや力の入れ具合に反映させていくことにより、テルミンという楽器自体の余韻を表現できると感じている。また、このような意識を持てるかどうかで演奏の質がずいぶん違ってくるように思う。
ビブラートが上手にかけられる人でもこの繊細な動きが出来ない方は多い。しかし、そういう微細な動きのコントロール、あるいは演奏者自らの極めて繊細な感情のコントロールがテルミン演奏の醍醐味でもある。

余韻すらも自らコントロール出来る楽器テルミンの素晴らしさ、また一方で、余韻すらもコントロールしなければならない集中力を要求される楽器テルミンの恐ろしさを常々感じる今日この頃である。

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