77年前の今日、太平洋戦争は終わり、
国民も軍人も敗戦を受け入れざるを得んかった。
日本中の街が空襲でメチャクチャにされたのに
ワシらが物心ついたころには
戦争のがれきらしきものは
原爆ドームの他には見当たらんかった。
ワシは広島市中心部から10kmほどの郊外に生まれたが
母親の実家は広島市の中心街にあったんで
小さい頃から母と一緒におばあちゃんちへ
再々行ったもんじゃが、すでに街は復興を遂げていた。
爆心地から1kmも離れとらん場所で被爆した母も
爆風で倒れた建物の下敷きにはなったものの
屋内に居たため火傷は負わず、
額に大きな傷を負っただけでじゃったんで
その頃は額の生え際の傷跡に触れないかぎり
まったく健常者と変わりは無かった。
じゃけど終戦からワシが物心つく頃までの
10年間は、広島だけじゃのうて全国の街で
耐えがたきを耐え、忍び難きを忍んだ先輩たちが
必死になって日本の国を再興させてくれた事と思う。
そのご苦労に、感謝しかない。
ありがとうございました。