わが町では8月6日午前8時15分
サイレンが鳴る。
原爆が落とされた時間なんで
市民に黙とうの時間を知らせる。
1分間の黙とうの間、ずっと鳴り続ける。
今年も手を合わせ黙とうした。
子供たちは夏休みでも、この日は
登校日になる。
たぶん広島だけじゃろうね?
ウチの母親は77年前のこの時間
爆心地から1kmくらい離れとるじゃっろうか?
当時の国鉄横川駅の駅舎内におった。
爆発の瞬間は屋内におったんで
熱線を浴びて火傷することはなかったが
数秒後の爆風で駅舎の下敷きになったらしい。
ひたいに大きな傷を負い
血だらけの母親を助け出して
背に負い、三滝まで逃げてくれた人、
その人のおかげで九死に一生を得ることが出来た。
数日後、母を助け出してくれた人は
亡くなったらしい。
ひたいの生え際の傷は
普通には見えにくかったんで
目立つことはなかったが、
子供のワシには手で触らせ
その惨状を折に触れ、教えてくれた。
それから6年後にワシは生まれたんで
母親に連れられ、母親の実家がある
広島市の中心街に行く頃には
街は復興し普通にデパートも
営業しとったし、原爆の傷跡は
原爆ドームしか知らずに育った。
戦後10年以上経っとるのに
デパートの前には傷痍軍人の人が
道行く人からの投げ銭を求めて
白い病床兵姿で軍帽を被って
座っとったが、ホンモノかどうか怪しい。
学校の先生にも、道行く人にも
ケロイドの跡が残る人がおられた。
原爆の爪痕と記憶は時の経過と共に
徐々にうすれ、ウチの母親も
すでにこの世にはおらん。
高校3年生の孫娘はひい婆ちゃんになる
ワシの母親のことは、よう覚えとるんで
来年の受験が終わったら、
ワシが母親から聞いた原爆の惨状を
伝えてやろると思う。