綱敷天神社 禰宜日誌

大阪梅田の綱敷天神社のご案内ブログです

令和3年 遣梅式

2021年07月24日 | ノンジャンル
本日24日、大阪天満宮の天神祭に際し、当宮御旅社の梅ケ枝を遣わす「遣梅式」の方、滞りなくお納め申し上げました。コロナ禍の為、略儀にて執り行い、また換気の都合上、初の外での神事となりましたが、梅ケ枝の方、無事に授与致しました。



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令和三年 七夕祭

2021年07月08日 | ノンジャンル
昨夕、茶屋町の当宮御旅社にて七夕祭を斎行致しました。

本年はコロナ禍の為、催事一切を中止しましたので、神事のみとなりましたが、氏子崇敬者皆様の技芸上達、諸願成就、そしてコロナ禍の収束を祈念申し上げました。

また大雨被害の報が各所から聞こえて参ります。何よりご安全をと願っております。



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御旅社灯籠 奉納200年とサツマイモ

2021年06月25日 | ノンジャンル
文政4年(1821)6月に、茶屋町の当宮御旅社にございます石灯籠2基が奉納されました。今月はそれからちょうど200年です。
石灯籠には、
①相上村屋由兵衛
②塩屋卯兵衛
③芋屋勘右衛門
④芋屋市良兵衛
の奉納者4名の名が見えます。
実は芋屋と塩屋の名前は石刻がはっきりと見えていたのですが、あとの1名。相上村屋の名前は石刻が薄れてきており判読がかなり難しくなっていました。
今回200年の節目にあたるので、この文字をきちんと後世に残す為に拓本を取りましたところ、はじめて相上村屋由兵衛の名前がハッキリと表れ、ようやく4名の名前が確認出来ました。
しかしこの相上村。一体どこの村なのかと調べてみましたところ、関西圏には同名の村は無く、なんと遠く、埼玉県熊谷市にあった村の名前と判明しました。
何故そんな遠くの村の名前を冠す方が、大阪梅田に石灯籠を奉納したのか。当時の相上村について調べてみますと、
享保19年(1734)、青木昆陽の指導のもと救荒作物としてサツマイモの栽培が急速に広まっていき、寛延4年(1751)頃からは埼玉県川越市で大規模な栽培が開始されます。相上村はこの川越市から近く、早い段階でサツマイモの栽培は始められていたものと推測されます。また中山道に接していた事から、大坂方面にも交通の便は取りやすかったようです。
安永2年(1773)頃には江戸庶民の間でもサツマイモが親しまれ、芋屋という商売が成り立っていた事が当時の小咄本などから伺われ、この頃には相上村もサツマイモの栽培地として成り立っていたものと思われます。
寛政年間(1789-1801)になると、関西にもサツマイモは伝わり、尼崎を中心に栽培され、俗に「尼いも」とも呼ばれていたようです。
これらを総じて考えますと、この石灯籠が奉納されたのは文政4年(1821)。大坂梅田にサツマイモが到来していてもおかしくなく、また相上村屋の名前が判明した事で、この芋屋の石灯籠は、埼玉の人が伝えたサツマイモゆかりの石灯籠である可能性がかなり高くなりました。
想像ですが、
埼玉の相上村のサツマイモの種イモを、郷里を屋号にした相上村屋由兵衛さんが大坂梅田まで伝え、それを元に芋屋勘右衛門、芋屋市良兵衛の二人が栽培と販路を整え、塩屋卯兵衛さんの塩を使って、芋を塩ゆで、塩蒸しして販売し、ある程度大きな商売が出来た事から、その神恩感謝を込めてこの石灯籠を奉納したのではないでしょうか。
以前は、江戸時代の芋屋なので里芋農家の方が奉納された石灯籠とばかり思っておりましたが、200年目の節目で、サツマイモを通じての大阪梅田と埼玉の思いもかけない繋がりの発見となりました。当宮では今後、敬愛を込めてこの石灯籠を「御芋灯籠」と呼びたいと思います。
そして今日6月25日は天神さまのお誕生日である御誕辰祭(ごたんしんさい)が執り行われる日であり、折角の機会にと御神前にも焼き芋を献りました。なおこの焼き芋は角田町の歯神社の隣の焼き芋専門店の蜜香屋バタータスさん(http://mikkouya.com/)のもので、この芋灯籠のお話を申し上げたところ、お供えにと献供くださいました。








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令和3年 歯神祭

2021年06月04日 | ノンジャンル
令和3年の歯神社例祭(歯神祭)、滞りなくご奉仕申し上げました。

本年はコロナ禍の為、昨年と同じく神事のみと致しました。その為、歯ブラシ授与も致しておりません。

大変な大雨でしたので、仮のテントを立ててご奉仕しましたが、横からも雨が入り込み、祭壇も装束もびっしょりで、歯神社の由来となった淀川の洪水が起きた当時の雨に思いを致す神事となりました。

今回の歯神祭では、氏子崇敬者の方のご安寧はもとより、歯の悩みをもたれている方の懊悩消除、そして歯の医療やお仕事、学業に携わられる方々のご清栄、また本年は特に、コロナ禍でワクチン接種に動員される歯科医師みなさまの盡愛報国のお志の成就を祈念してご奉仕申し上げました。

どうか一日も早くコロナ禍の災禍が歯止めされる事を願うばかりです。



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令和3年 歯神祭 参列中止のお知らせ

2021年05月30日 | ノンジャンル
ツイッターなどでもご案内させて頂いておりますが、
新型コロナウイルスによる、緊急事態宣言が
4月25日に発出されましたが、
感染者数が中々下げきらない状況の為、
延長、再延長となり、今後の感染状況の見通しも難しく、
誠に残念ですが本年も歯神祭につきましては、
神職による神事のみとし、一般の方のご参列は
ご遠慮頂く形で斎行する事となりました。

なお、神事の開式は、例年は11時ですが、
参集を防ぐ観点から、時刻も変更して斎行致します。

再度の参列中止となり、誠に恐れ入りますが、
何卒ご理解ご協力を賜りますよう、お願い申し上げる次第です。

https://twitter.com/tunashiki

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令和3年 玉姫祭

2021年05月05日 | ノンジャンル
本年も、茶屋町に鎮座致します、綱敷天神社御旅社の末社、玉姫稲荷神社例祭(玉姫祭)の方、滞りなくご奉仕申し上げました。

例年であれば事前にご案内などを掲載しておりますが、残念ながら本年も昨年と同じく、新型コロナウイルスの疫禍による緊急事態宣言の発出中という事もあり、事前のご案内は控えさせて頂き、神職のみによる神事とさせて頂きました。

なお、「梅田の牛の藪入り」の名残りともいわれる、当宮の神牛像への花飾りの方は、本年も茶屋町のお花屋さんフロリスト・メリーさんのご協力のもと飾らせて頂きました。本日夕方までお飾りしております。

この「梅田の牛の藪入り」とは、江戸時代に日頃働いてくれている牛たちに、柔らかい新芽の茂る季節である旧暦5月5日に、梅田周辺、特に現在の大阪市北区大深町、芝田2丁目付近で、花飾りなどの晴れ着ともいえる装いを付けて放牧してやり、ゆっくり休養を取らせた行事の事です。藪入りとは休暇という意味です。その行事も近代化で絶え、今はこの花飾りのみが、梅田の牛の藪入りを唯一伝えているものとなっています。

今年の玉姫祭は珍しく雨が降り、社殿前に祭壇を設ける事が出来ず、拝礼のみの略儀となりましたが、コロナ禍もこの雨のように流れ行き、今後の感染者数が減る事を願うばかりです。どうぞ氏子崇敬者の皆様には今は不要不急の外出はお控え頂き、何卒お体お大切にと祈念申し上げる次第です。


 


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令和3年 菜種守の授与について

2021年02月24日 | ノンジャンル
本年も例年通り、イライラ封じの「菜種守(なだねまもり)」の授与を明日、2月25日から4月上旬までの菜の花の時期限定で、茶屋町の御旅社で授与致します。

コロナ禍でイライラのつのる昨今。春の和らぎの如く、穏やかな心もちになりますよう、祈念致し授与申し上げます。



●授与についてのご案内●

初穂料:700円

昨今、社務多忙の為、平日は留守がちでございますが、
土日の13:00~17:00であれば概ね授与所に神職か巫女が詰めております。
(2月25日は午前中、神事の為ご対応出来ませんが13~17時は授与可能です)

※菜種守は茶屋町の御旅社限定の御守ですので、御本社では授与しておりません。



●菜種守について●

茶屋町はかつて一面の菜の花畑で、俳人の与謝蕪村が「菜の花や月は東に日は西に」と詠むほどに菜の花の名所でした。

また当宮の御祭神、菅原道真公も菜の花にはご縁があり、道眞公が天神さまとなられた後、京都では落雷や災害が続き、天神さまの祟りと恐れられましたが、道真公の御命日である旧暦2月25日頃に咲く菜の花の風情に、天神さまの荒ぶる御心が年を重ねるごとに次第に宥ね(菜種)られて、学徳の神さまと成られたという信仰があり、この菜種守はそういったトゲトゲしい心を宥ね、開運を祈念する御守です。

御守の中には御神符と共に、茶屋町産の菜種が封入されております。かつて梅田で菜種を栽培していた頃は、その出来の良し悪しを鞘を振って確かめ、その音が良ければ笑顔になったという言い伝えもあり、この菜種守もそういった故事に倣い、菜種の音が鳴るようになっています。

また御守袋の織り柄が近世までの梅田の風景になっており、まさに梅田・茶屋町ならではの御守です。


●諸注意●
新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が、3月には解除される可能性がございますが、2月中は宣言発出中となります為、ご参拝時にはマスクの着用、4名以上の団体参拝の自粛にご協力お願い申し上げます。



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令和3年1月15日 とんど祭のご案内

2021年01月08日 | ノンジャンル
謹みて新年の御祝詞を申し上げます。 今年も氏子崇敬者皆々様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。

さて、来る1月15日 神山町の御本社において、古しめ縄、古い御神札、御守などのお焚き上げ行事である、とんど祭をご斎行申し上げます。

 ◯日時:1月15日 08:00~10:00(受付ご対応の時間)

 ◯場所:大阪市北区神山町9-11 綱敷天神社 御本社 境内

   ※茶屋町の御旅社では火炉が設けられませんので、
    例年、古しめ縄などは取り纏めてトラックで御本社に
    運んでおります。トラックでの運搬は
    1月15日の午前8時の予定ですので、
    御旅社にお持ち寄りの場合は、
    午前8時までにお持ち寄り下さい。
    それ以降は御本社に直接お持ち寄り下さい。
    (8時以降に御旅社にお持ち寄りの場合は
     有料となる場合があります)

 ◯お受付出来るもの
  ・しめ縄(ダイダイ、ミカンは外して)
  ・古い御神札、御守
  ・可燃の縁起物(福笹、)
  ・木製の神具品

このお焚き上げの忌み火でもって、年神さまにお帰り頂くという信仰から、上り調子の午前中にお焚き上げするのが吉例とされます。ですので午前中にお持ち寄り頂きますようお願い申し上げます。(午前8時~10時までは受付の者がおります。午後からはお受付致しておりません)

なお、下記のものはお受付しておりません。

   ☓ 他宗教のもの
   ☓ おモチ (パックのおモチも)
   ☓ ダイダイ、ミカン
   ☓ 串柿
   ☓ 陶器類
   ☓ 金属類、銅像
   ☓ ガラス類
   ☓ ビニール製品
   ☓ 書籍、分厚い紙
   ☓ 樹脂類
   ☓ 財布、写真、ぬいぐるみ等、個人的なもの

おモチや串柿などは、強いて申し上げれば年神さまからのお下がりです。ご自宅でお召し上がり頂くのが本義でございます。(ダイダイは半分に切り、洗濯ネットなどに入れて、湯船につけて、ダイダイ風呂としてお楽しみになられるのも良いでしょう)

それと、近年多く見られるのですが、とんど祭にしめ縄をお持ち寄りになられて、受付の者にポンと放り投げるように渡して、そのまま帰られる方が目立ちます。 とんど祭はゴミ焼却ではありません。日本人であるならば、まず御神前に参拝し、しかる後、受付の方に丁寧にお渡しして、火炉にしめ縄をご投入頂くのが最低限の礼儀です。そうした行いの一つ一つを大切にしましょう。

当宮のとんど祭は、昔からのご縁で無償のご奉仕を頂いている方々のお陰で何とか維持いたしております。そういった方々のご負担を増やさぬよう、何卒、事前のダイダイの取り外しなどご協力頂きますようお願い申し上げます。

また、少々の雨天であれば、とんど祭は斎行の予定です。

古くから梅田で続く「とんど祭」を今後も伝え残していく為にも、皆様のご協力を何卒宜しくお願い申し上げます。

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新嘗祭と白酒黒酒

2020年11月23日 | ノンジャンル
本日11月23日は、日本全体の収穫感謝の祭礼である「新嘗祭(にいなめさい)」が宮中はじめ全国の神社で斎行されます。

その際、御神前にはその年に収穫された新米がお供えされ、また白酒(しろき)、黒酒(くろき)という特別なお酒も献られます。

書くと長くなるので割愛しますが、古代の製法で醸された特別なお神酒で、文字通り白色、黒色のお酒です。

特に黒酒の方は、「久佐木(くさぎ)」という木の灰を用いて黒くするのですが、その灰は平安時代の『延喜式』によれば、伊勢国、丹波国の両国から献進された久佐木を用いていました。
今般、その伊勢国に鎮座します久居八幡宮の禰宜さまより、ご厚意で伊勢国の久佐木の灰をお頒かち頂きまして、当宮でも黒酒を奉製する機会を得、本日午前中に当宮でも新嘗祭をご斎行申し上げ、大神さまに白酒黒酒を献り、収穫感謝はもとより、令和の御代の安寧、氏子崇敬者の皆様の弥栄と、疫病鎮静を祈念いたしました。

御神饌につきましては新嘗祭をお納めした後、すぐに撤下しましたが、白酒黒酒は折角の機会でございますので、今日の夕方まで御本殿内にて特別に展示しております。お参りの際に是非ご覧くださいませ。

最後になりましたが、久佐木の灰を御献進下さいました久居八幡宮 禰宜さまありがとうございました。



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亥の子餅と梅田

2020年11月16日 | ノンジャンル
今日は旧暦10月初亥の日です。

古来この日には亥の子餅を食べる習わしがあります。
亥の子餅とは、餡を求肥で包み、うり坊(イノシシの子供)に見立てた形から亥の子と呼ばれる和菓子です。

少なくとも貞観年間(9世紀中頃)には記録に見られ、源氏物語にも登場するなど日本でも有数の由緒をもつ和菓子です。

なぜ今日、そんなイノシシの形をしたお菓子を食べるのでしょうか。
それには、実は梅田の古いお話が関わっています。

古事記、日本書紀によれば、古墳時代の第15代天皇、応神天皇さまがまだ赤ん坊の頃に、腹違いの兄弟である、忍熊王、香坂王の2皇子が応神天皇を亡き者にしようと企んだ事がお話のはじまりです。

その際、2皇子は事の成果の可否を占う為に、「菟餓野(兎我野)」の地で、狩りをして良い獣が獲れたら大吉、獲れなかった凶として、戦の吉凶を占う事にしました。これを「菟餓野の誓約(うけい)」といいます。

しかし結果は、飛び出てきたイノシシに香坂王が殺されるという大凶で、結果、忍熊王も敗れて、応神天皇側が勝利しました。

この事で、イノシシに命を助けられたと感じた応神天皇は、毎年亥の月亥の日に吉例として供御を行うようにと命じた事が、亥の子餅の由縁と伝えられています。

この誓狩が行われた菟餓野の地については、実際には諸説ありますが、梅田は当時の地勢から考えると、菟餓野の地の最有力候補といわれており、誓狩のイノシシの話は古代の梅田であった可能性が高いといわれています。(ちなみに日本の記録上、動物としてのイノシシが登場するのはこの時が初めてです)

つまり、梅田は亥の子餅の縁の地ともいえなくありません。

亥の子餅そのものについては、最も由緒を伝えているのは大阪府豊能町の木代村、切畑村、大円村の3村のものが有名で、江戸時代には宮中への献上行列が名物となっていました。

もし今日の初亥を逃してしまった方は、二ノ亥の日(11/28)、三ノ亥の日(12/10)もありますので、その折りに亥の子餅をお召し上がりになられるのも良いかもしれません。

余談ですが、この初亥の日はコタツを出す日とされており、いよいよ冬がやってくる時期とされます。これから段々と寒さが増していき、また新型コロナの問題もありますので、正念場の冬となるやもしれませんが、亥の子餅などを食べて滋養をつけて、これからの冬も元気に過ごしましょう。



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