綱敷天神社 禰宜日誌

大阪梅田の綱敷天神社のご案内ブログです

享保の大火(妙知焼け)から300年

2024年03月21日 | 日記

享保9年3月21日(1724年4月14日)。
大坂三郷(現在の大阪市中央区、北区南部、西区東部)を焼き尽くした大火、「享保の大火」から今日でちょうど300年です。


この大火災は、戦災を除けば大阪の歴史上最大規模の火災で、火元となった尼僧の名前から、「妙知焼け」とも呼ばれます。


この日、午後1時頃、現在の大阪市西区南堀江2丁目あたりから出火し、まるまる一日かけて大阪市内の大半を焼き尽くし、町数407、焼失家屋11765軒、戸数60292、蔵屋敷32、寺社44が罹災。当地梅田も、現在の扇町線から南側は灰燼に帰しました。


あまりにも凄まじい火災であった為、この享保9年から前の記録というのは大阪市内ではあまり残っておらず、近世未曾有の大火災であった事が分かります。


しかし、10万人が死亡した江戸の明暦の大火などに比べると、死者数は293名であり、これは防災意識が高かった事や、水の都の堀割が至るところにあった事なども影響があったのかもしれません。


現在、大阪は第二次大戦の空襲以来、市内を焼き尽くすほどの火災というものを経験していません。ですが、大阪市北区の南浜霊園にある「大坂三郷大火五十回忌追善塔」は、現代に火事に対する警鐘を鳴らし続けています。


冬春の入れ替え時、風の強いこの季節。どうぞ火の元にはお気をつけ下さい。

写真①:近世大坂三度の大火。一番左が享保の大火。
写真②:享保の大火の被災地を現代地図に投影。(正確なものではありません)
写真③:南浜霊園に残る享保の大火の五十回忌追善塔

※正確には当時の3月21日は旧暦でしたので、現代の暦に直すと4月14日ですが、先人の火災への警鐘を思えば、突風の吹きやすいこの時期の方が相応しいと考え、本日投稿しました。


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