鮃 狂 (ひらめくるい)

サーフで、ルアーのヒラメ釣りをメインに、釣りを楽しむ中年おじさんの釣行記です。

今日は

2011年03月30日 21時37分51秒 | その他

  今日は、津波に遭われた被災者のハウスクリーニングをしてきた。本来なら、自分の技術をボランティアとして活用できれば良いのだが、おいらもサラリーマン、社の命令にはそむけず、申し訳ないが有料でこなしてきた。やるせなさが募る。 

 それにしても、津波による被害というのは、家屋が幸い残ったとしても、素人には、到底復元できないであろう細かい粒子の泥がこびりつき、本当に厄介だった。この汚泥は、陶芸に使う粘土より細かい気がする。自然界でそうお目にかかれない代物だ。それらを、丹念に水とブラシでこそげ落としてゆく作業。あとにも先にも今回だけでいい。二度とこのような自然現象が起こらないことを祈るばかりだ!。

 それから、日曜日に海を見てきた感想だが、ようやく本来の知っている海、慣れ親しんだ海に戻った気がしている。本来というのは、俺が知っている35年前ぐらいの海。もっとも、津波による侵食?で、砂浜はだいぶ無くなっていたが。

 昔からの、深い 浅いのメリハリがあり尚且つ、不用意に海に入れば、命を奪う水深と迫力が復元されていた気している。

 ここ2,3年の北茨城のサーフは、何度かここで書いたように、異様に浅く尚且つ横潮流が早かった。こんなことは35年ぐらい海と付き合ってきて初めてのことだった。だって、サーファーが50m位沖まで歩いていってエントリーしてたもん。

 特に、去年の海は、俺の幼少期から近年にいたるまで見たこと無い浅い海だった。何人もの命を奪った波打ち際から急深のサーフが北茨城の海だったのに、堤防やら何やら人口建造物のせいで潮流が変わり近年の海になったのか、いや、沖提やら沖テトラは最近出来た訳でないし、何かが変だと思っていた。

 が、これらの異常は勝手な想像だが、大自然の警告だったのかなぁ? なんて思っている。今回のことはそのリセット作用が働いたのかも・・・・・。そして海は本来を取り戻した。

 それにしては、あまりに多くの犠牲、悲劇を伴ったが。そして今回、新たに放射性物質のおまけも付いてきた。

 どうなる、今年のサーフ。それでも俺様は・・・・・。


ガソリンを求めて

2011年03月27日 17時10分59秒 | その他

 各地で災害復興に向け頑張っておられると思います。とにかく頑張るしかありませんね。

 今朝は、ガソリンを求めてAM5:30より出撃!。10時過ぎまで並んだけど一向に販売が開始される気配が無く、この列を離脱。知り合いのスタンドに頼み込んで、何とか20lを確保。何とか来週も出社できます。(無理言ってすいませんスタンドさん感謝です)

 スタンド渋滞に並びながら周辺のサーフ撮影しましたのでアップします。

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北茨城消防署より南を見た。大きな変化なし

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北茨城消防署より北側山海観方面

山海観は廃業だそうです。シンボルなのに残念です。

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山海観より山側方面を見た。

大北川の河口が大きくなり40年前ぐらいの感じになっている。奥に見えるのはとしま屋さんで、この周辺は壊滅的。残念です。下は高萩方面。

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雨情記念館より福島方面を見た。下は木のなくなった名勝二つ島

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国道脇の空き地に、打ち上げられたモクズガニの死骸。

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 写真掲載において配慮が足りない点がありましたら、あらかじめお詫びいたします


避難しています

2011年03月18日 11時42分44秒 | その他

 まず、東北関東大震災で亡くなられた方 お悔やみ申し上げます。そして被災し避難されてる方、一刻も早い普通の暮らしを取り戻せますようお祈りいたします。

 当日、自分は、作業を終え休憩しているところで地震が起きた。最初、向かい側のディラーのガラスが風も無いのにカタカタ揺れだしおかしいなと思った刹那、震度6強の揺れが来た!。ディラーのガラスが映画のワンシーンのように割れ出し道路から足元に亀裂が向かってくる・・・・。ヤバイ!。収まったかと思うとまた揺れを繰り返す。もう、揺れが収まる事が無いとさえ思えた。目線の中には噴出すガス?。自分がいた中古タイヤ屋の倉庫の棚からは、激しくホイルやタイヤが落ちてくる。この直撃を食らったら・・・・。恐ろしい揺れはようやく収まり、今度は家族の安否が激しく精神を揺さぶる。発生直後から携帯は不通。とにかくいったん帰社し自宅に向かった。

 今まで経験した揺れの中では、宮城県沖地震の時、鮎釣りをしていて、川岸が1mほど行ったり来たりし、鉄塔が折れそうな恐ろしさがあったが、今回は、立って体勢を維持するのが困難なほどで、間違いなく古い我が家は倒壊したと思ったし、わが命がここで終わりなることもごく自然なことにに思えた。

 しかし、臆病な妻の日ごろの備えのおかげで、(家具類を完璧に金具でとめていた)コップが3個ほど倒れただけで、家族全員怪我も無く何を逃れた。

 自分の住む北茨城は、死者の数こそ少なかったものの、瓦の崩落や、ブロック塀の倒壊など当たり前で、知人の家が津波で流されたり居住不能に陥っている。しょうちゃんも福島原発に当日作業に行っており命からがら深夜に帰ってきた。(よかった!)

 もし、これが、ひらめシーズンで多くのアングラがーキャストしていたらと思うと、ぞっとする。大津港の新堤防などは、消滅しておりここに釣り人がいたら・・・。

 そして、今度は福島原発の放射能騒ぎ。我が家は、アメリカ政府が危険とする半径80KM圏内に引っかかり、実際少ないとは言っても、他の地域より圧倒的に放射線濃度が高い!。

 小学生の子供2人を持つ親として、大丈夫と政府に言われても、最後にやっぱり駄目でしたなんてことにならない様に我が家は自主避難を決め(首になるかもしれないが会社を休み)現在姉宅に身を寄せています。ここも、東海原発に近いけど(笑)。2、3日ここで、原発の収束作業を見守り、帰宅するかどうかを決めようと思う。(作業員の皆さんには、本当に頭が下がる)

 宮城県は、自分の第二の故郷ともいえる地。悲惨な様相を目にするたび、お世話になった人々の笑顔が目に浮かぶ。

幸い仙台の名取市に住む親友から、自宅は津波で崩壊したものの、全員無事との連絡が一昨日にあり涙があふれた。

 まだまだ、予断を許さない様々な要因はありますが、とにかく1日も早く復興し、楽しい釣りができる日を取り戻しましょう。

 災害復旧に尽力されている皆さん、見えない放射線に命がけで立ち向かってくれている皆さん。くれぐれも気をつけて待っている家族の下に1日も早く帰れますように心より御礼、お祈りいたします。