きょうは帰る日。
朝から部屋の掃除をして。
コンロと、トイレも。
すこしだけ仕事もして
お昼過ぎに出発してきた。
庭においてある、古くてもう動かない重機を譲ってほしいと電話があった。
もともと同じリース会社にいたひとで、何度か、このユンボの修理もしてもらったひとから。
夫は今日からハードな六連チャンのため、ゆうべも不安で仕方ない、できるのかな、といってて。
大丈夫やって、いつもそういいながらもなんとかなってるやん、となだめたが、
わたしにはできないことなので、あまりいえず。
眠れないままでかけていったけど、
きのうの日曜日、昼間にたっぶり寝ていたからということもある。
ゆんぼを売却する話も、電話で聞くと、そうあまり考えずに、じゃ売って、といってきた。俺はそれどころやないんや、と心の声がした。
わたしもおいておいても動かないし、腐ってゆくだけやから、もう手放そうと決断したが、いざ、ここからいなくなるのか、と思うとさみしい気持ちになってきた。
べつに心もなにもない機械ですが、なんだかその存在感が大きい気がして。
この決断は良かったのかな、と夜になってためらいだした。
でももう自力では動かないし
これ以上放置しておいて、もういいか、とおもったころには、ぼろぼろすぎて、二束三文ということにもなりかねない。
買い取るのは修理やさんだから、なんとか動かしてもっていくといってる。
そちらでなにかで活躍できるのなら、この子の余生はここで朽ち果てるのを待つよりは、希望的といえましょう。
あした早速くるといってた。
なにかを手放すとなにかが手にはいるっていうよね。
なんだろうな
そうして、いろんなことが変わっていくんだな。
外人さんの買付やさんもときどききて、売ってくださいといわれたが、どうもあやしく、どうぞ。と言えなかった。
今回、馴染みの修理やさんから、電話がきたのは、なにかの転機なのでは、という気がした。
さよなら
ゆんぼくん💧
わたしはこのゆんぼを買ったわけでもないし、ましてや操縦はただ一度、この家がたつまえに、この土地を均していた夫に、いっぺんやってみ、といわれ、ちょっとばかし、動かしてみただけである。
だのに、愛車を手放すかのような
物悲しさ。
夫の、ほな、売って❗の、即答のドライさが
羨ましい。