ふと、考えてしまった。
この12年をふりかえる話をしていて、
ずいぶんとひどいことをされてきたけど。
卓球の愛ちゃんのニュースで夫からモラハラをうけたとか、ひどい言葉をいわれたとか
きいた。歯医者で口を開けたら、誘うようなくちのあけかたをした、この売女め、て。
たしかにひどい。
売女て💦
モラハラかあ、
だんだんなくなってきたけど、そんなことも日常茶飯事だったな。
モラハラということにも気がついてなかった。
売女はないが、外道はいわれたし。
売女もひどいけど、外道もいかでか、ひどいよ❓
わたしやわたしの子供がお金を使うことで、
⚪⚪家の金を使いやがって、この外道が❗
と。
⚪⚪とは、夫の姓名。
え⁉️
わたしも⚪⚪だよね⁉️
わたしは⚪⚪になったんだよね⁉️
意味わからんと思ったわ。
でも、わたしはわたしのもっていたお金を、夫が必要なときはすべてだしてきた。
夫婦なら当たり前だとおもっていたから。
だのに、そんなことをいうんだ、と半ばあきれたし、いわれたことにたいして、嫌な思いをしただけで、心底傷つくことはなかったのだとおもう。
なぜかというと、彼の口走る言葉は、ほとんどが真実ではないからです。
前の嫁のがよかった、呼び戻すぞ、とか。
よその奥さんはこうこうこうしてるぞ、お前もそれぐらいできて当たり前だ、とか。
わたしは嫁いできたのに、ここは、息子の家だぞ❗お前のじゃないとか。
なんだそりゃ、なことばかり。
新しくわたしの田舎に建てた家も、これは俺の息子のだぞ、という論争をどれだけ繰り返してきたか。
え、わたしの家は⁉️どこに⁉️わたしはいつまでも仮住まい❓
思い出せば数えきれないモラハラの数々。
それらが激昂すると、その果ては暴力。
でも、そんなことばかりなのに、なんで、平気なのか、と
よくいわれた。
平気なわけはないし、ものすごく悩んできた。この日記にも書かれてる。
わたしはもしかしたら、バカなのかな、とおもうときもあるし。
わたしを知っているひとは、そうおもってるひともいるかもしれない。
で、思い出したのが、聖子ちゃんの
瞳はダイヤモンドという歌。
🎵傷ついても傷つかない
心は小さなダイヤモンド💎
この歌をはじめてきいた学生のときから、いいなあ、わたしもそうありたいと思った。
そうありたいと思って、ここまできた。
なにがあってもなにをされても、からだが傷ついてぼろぼろでも、
わたしそのものを誰も傷つけることはできない。
そういうひとになりたいと。
鋼鉄ではなくて
あくまでダイヤモンドなのです。
キラキラと純粋に輝き続ける
ダイヤモンドでありたい。
🎵あー泣かないでメモリー
わたしはもっと強いはずよ
でもあふれてとまらぬ涙はダイヤモンド
ダイヤモンドのような涙を流しながらも
ダイヤモンドでいたいのです。
ある種、もしかして、バカなのかも😅
夫はわたしと最初にあったとき、なんて純粋な人なんだと思ったそう。
ダイヤモンドとおもってくれたかはしらないけど、ダイヤモンドを傷つけることはできないのですよ、いくら、がんばっても。
夫が完全に根負けするのをひたすら待ち望んでいるわたしです。
そういや、きょうは聖子ちゃんの誕生日でしたね。
ついでに、とんがり屋根の花屋さん、て歌もダウンロードしてききました。
これもかわいくて切なくて大好きな歌です。
🎵通りには迷い子の白い猫
抱き上げてつれてきたいのに
おいでって手をふると逃げるのね
わたしたちよく似てるわ