彫刻家の独り言

北海道出身の彫刻家 黒田栄一のブログです。Yahoo!ブログ「彫刻家 黒田栄一 山のアトリエ」も見てください。

小学校の頃好きだったこと

2012年07月14日 20時25分01秒 | 日記
子供の頃 家の中で遊ぶのが好きで、積み木や塗り絵が特に好きだった。
私は覚えていないのだが 祖母が言うには人を描く時に足から描いていたらしい。

絵を描くのは好きだった。
小学校の頃 写生大会があると進んで参加していたが、一度も受賞した覚えがない。
その頃、自分の絵には密かに自信を持っていたが、先生からほとんど評価されなかった。
ただ、工作だけは雑ながらアイディアを無視できなかったらしく 先生が渋々みんなの前で認めてくれたことがある。
担任の先生はクラスで一番の秀才が几帳面に作った工作を好んでいたのは明白だったが、私の工作も無視出来なかったのだろう。
新聞配達中に拾った壊れたおもちゃから取り出したモーターを使って、パワーシャベルが前後に動き、更に上から降りてきたシャベルが左右に開きまた閉じるというものを、思いつきだけで作ったのだった。
自分でも思い通りよくできたと思った。
確かに雑ではあったが、そんな複雑な動きをするモノを作った同級生など一人もいなかったから。

小学校時代 書道も好きだった。
自分から習いたいと言って、毎週土曜日に近くのお寺で習った。
教えてくれていたのは公立高校の先生。
その当時は 学校の先生のそうしたアルバイトも暗黙の了解であったらしい。
今では すぐに問題になるであろう。
ともかく 夢中だった。
暑さも寒さも感じなかった。
身体で 表現することの楽しさが私をとらえたのだった。
教えてくれた先生が、私の筆の持ち方がおかしかったにもかかわらず「持ち方なんていい。小手先で書くな、身体で書け」と教えてくれたのだった。
身体で書くと 踊っているようでもあり快感だった。
止めやはね、早く遅く筆を身体で動かす、心を乗せて動かす、筆先を思いのままに動かすのは本当に楽しかったものだ。
私の知らないうちに 先生が勝手にコンクールに出品したりして 書道では何度も賞を頂いた。
そのせいもあり、今でも 書道は好きである。


コケティッシュネコちゃんとの再会

2012年07月13日 20時53分26秒 | 日記
今朝のウオーキングで以前出会ったコケティッシュネコちゃんと再会した。
今回はサービスたっぷりで、近寄ってきてくれてごろんと横になったり手に顔を近づけたりしてくれた。






最近、鳥も比較的側に寄っても 逃げないことが多くなってきた。
害を為さない人間だと ようやく認識してきてくれたのだろうか。
そうだと嬉しいのだが。

近くの木で素敵な声で囀ってくれました


我が家のキュウリもようやく少しずつ収穫が始まった。
既に7本程 お腹の中におさまった。
小ぶりだが歯ごたえがよく、気に入っている。
まだまだ 最盛期にはほど遠いのでこれからが楽しみである。

職人の手

2012年07月12日 19時38分15秒 | 日記
大学時代 石屋さんに出入りしていた先輩から、石彫りの職人の手が 長年の作業で変形していると聞いた。
それを聞いて そんな手になりたいと憧れた。

その頃は職人に憧れるあまり 地下足袋を日常的に使っていたこともあった。
神田まで地下足袋を履きリュックを背負って古本を買いに行ったこともあった。
相当の変人であった。
それだけの理由からではないが、周りから あいつは絶対結婚できないと言われていたらしい。
それが 恋愛すると しっかりカッコをつけるようになるのだから面白い。

付き合い始めたひとに手を見せないように隠していた。
日常的に粘土をいじったり、石を彫ったりしている故のアカギレやひび割れが沢山あり、世間で言うところのきれいな手とはほど遠かったのである。
そんな手を見せたら嫌われはしないかと恐れたからである。
しかし そのひとは 働き者の手だと言ってくれた。

今、憧れていた職人の手からほど遠い軟弱な手を眺めている。


蛇と同居!?

2012年07月11日 20時01分59秒 | 日記
今日も山のアトリエの物置に蛇がいた。
どうも 居心地が良いらしい。
ま、噛みついてこなければ 同居にも目をつぶるしかない。
不幸な接触をしないよう祈るばかりだ。
蛇は私が小屋に入っていっても逃げる様子も無く何時間も同じ場所でじっとしていた。

苦手感があるせいか 最近、夢の中でも蛇が出てくる。
細かいことは覚えていないが蛇に関する夢を見ていたことだけは間違いない。
それでも 命の危険がなければ、やはり 共存しかないようだ。

相変わらず以前から手がけている大理石作品にかかりきりである。
今日は顔の部分だけを手がけていた。
それも まだまだ仕上がらない。
ともかく 納得するまで何度でもやり直す覚悟である。
自分が表現したいことが有る程度はっきりさえしていれば、諦めずに作り続けることで 必ずや良い結果が得られると信じている。

幸せの数

2012年07月10日 19時40分09秒 | 日記
幸せの数を数えるか、不満の数を数えるのか。
青い鳥は何時だって 側にいると気づくだけで 幸せになれるんだ。

そうは言っても 本当の苦難に陥っている時、そんなことを果たして言っていられるのか自信は無いが、心一つで瞬時に幸福を感じたり 不幸を感じたりするってことは理解できる。

不満は不満を呼び込み、幸せは幸せを呼び込む。
だから何時もありがとうと言って過ごしたいと思っている。

日本人はお人好しが多いという。
それは美徳の一つだと思うが、弱点にもなりうるので、警戒は怠らないでいたい。

日本の国債発行額は現在およそ1000兆円という。
これは国家財政の3年分、税収の7.5年分だそうだ。
それなのに 先日テレビで安倍さんが日銀法を改正して、ドンドンお金を刷ることができるようにするべきといった内容の発言をしているのを聞いてびっくりした。

そんなことが現実となって、そのまま日本号が沈没してしまうような事態にならないことを祈りたい。

男はつらいよ

2012年07月09日 19時02分29秒 | 日記
何だかあの懐かしいメロディーが聞こえてきそうだな~
寅さんの映画は全部見た。
見るのが辛いくせに 新作が発表されると必ず見たもんです。
寅さんの「馬鹿さ」が人ごとではなくて、見るのが辛かったんだと思う。
まるで 自分を見ているようなところが沢山あったから。

横浜に住んでいる姉からSOSの電話があった。
ま、頼りにされている内が華とは言え、重なる時には重なるモノだ。
しかも 私には今年に入ってから出稼ぎ仕事の口が一つもない。
未だこれから どうなるかは分からないけれど。
出来るだけのことはしてあげようとは思うが・・・いかんせん・・・先立つものが・・・嗚呼!!!

それにしては私には全く悲壮感がない。
「何とかなるさ」という気がいつもしている。
必要な時には必要なことが起きると なんとなく信じている。
きっと その内 どこかから講師の口でもかかる気がしている。
我ながら驚く程楽天的である。


ミミズ

2012年07月08日 20時13分31秒 | 日記
庭の土を少しいじるとミミズが飛び出してくる。
以前は 土を掘り返しても なかなかミミズの姿を拝むことが出来なかった。
それが 最近はミミズさんをよく見かけるのは 土がよくなってきたからだと思っている。

ミミズは土を豊かにしてくれる 有り難い存在だと思っている。

子供の頃は 川釣りのえさとしてミミズを集めたことがある。
牛糞や馬糞の積み重ねて得る所を探すとミミズがうじゃうじゃいた。
とは言え 家の近くにそんな所はなかったので自転車でかなりの遠出をしなければならなかった。

ミミズといえば ミミズを食べるということが報道されていたことがある。
更に そのミミズを養殖する事業が宣伝されていた。
告白すると、当時 僅かではあるがその事業に心が動いた。
ただ 冷静に考えると ミミズを好んで食べる人がそんなに多くいるとは考えられなかった。
やはり ブームにはならなかったようだ。


料理

2012年07月07日 08時56分06秒 | 日記
昨日の朝、ウオーキングに出ようとしたとたんに激しく雨が降ってきてウオーキングを断念した。
今朝は時折小雨が降りはしたものの無事ウオーキングが出来た。
ウオーキングは健康維持の大切な習慣なので出来る限り確実に実行したいのだ。

家に着く頃は雨脚が少し強まってきた。
いつもなら そのまま小1時間程家庭菜園の手入れをしたりするのだが、代わりに台所仕事をすることにした。

野菜ジュースをつくった後、その絞りカスに煮大豆やニンニク、ショウガ、シソなどを刻んで加えて餃子とロールキャベツ、ロールサンチュ(サンチュが沢山あるので具をサンチュで巻いただけ)をつくった。
見かけはとてつもなく悪い。
とても 人様にお見せできるような代物ではないが、味は贅沢を言わなければ充分食べられるはず。

今日は、昨日安く手に入れてきたダイコンで大根おろしをたっぷりつくり、色々な野菜にそえて食べる予定。

塩分、糖分、油をなるべく減らそうと心がけている。
身体の状態は心にも意欲にも直接働きかける。
健康で無ければ制作もままならないからだ。

広義で言えば、食生活も制作の一環ととらえることも出来ると思っている。

未だこれから料理を数品つくる予定。
制作の後では ほとんど料理する元気が残らない。
玄米の冷や飯を温めもせずに食べる程だ。

料理が終わり次第 山に制作に行く予定。
雨がひどいようなら 家のアトリエでエスキース制作でもしようと思う。

旅報告9

2012年07月06日 18時23分37秒 | 日記
洞爺湖を後にして、途中 道の駅に寄った他は 何処も寄らず、ただひたすら長沼に向かった。
天気に恵まれて とても気持ちが良いのは前日と同じだったが、やはり寒さには閉口した。
長沼に着いた時には 身体が冷え切って寒さに震えていた。
野村氏は古い農家の納屋を借り、アトリエとしていた。
最近 住む所は札幌に移したという。
納屋の1階は作業場となっていた。
その作業場にはしごがかかっていて そこを昇っていくと隠れ家的な心地よい空間が表れた。

薪ストーブがすぐに目に入った。
その薪ストーブは点火されていて、温かいではないか。
優しい野村氏は、私が冷え切ってやってくることを予測して薪ストーブを焚いて待っていてくれたのだった。
彼の心遣いと薪ストーブにすっかり暖められた。
彼は音楽にも造詣が深く、珍しい楽器もたくさん置かれていた。
音楽とマトンとアスパラと楽しい会話を肴にたくさん飲ませて頂いた。
嬉しい時間だった。
出会いとは不思議なモノだとつくづく思う。
未だ何回も会っていないのに 昔からの友人のようだった。

残念ながらアトリエとその周辺の写真をとり忘れてしまった。

翌朝早めに彼のアトリエを辞して、また当別に向かった。
長沼から当別までは思いの外距離があり1時間半程を要した。
感覚的には1時間以内くらいかと思っていたのだが。

最後の2泊を札幌で過ごすことにし、当別で一休みした後 札幌に向かった。
北海道移住が心で大きく広がり始めていたので、途中 簡易物置小屋(作業場、事務所)の展示場を見学したした。
移住するにはいったいどれほどの費用を要するのかと そんなことばかり考えていた。

狸小路にある初めてのカプセルホテルに予約無しで飛び込んだ。
運良く空きがあった、1泊2700円也。
此処は 期待以上に快適であった。
空調も心地よい上、カプセルも広く使いやすい。
漫画本が数千冊もあり、読み始めたら止まらない。
もう何処にも行くのが億劫で早めの夕食を同じ狸小路で済ませ、後はゆっくりしていた。

翌日は朝もゆっくりし、夕方近くから作品の講評会が会場であるということで、自分がお役に立てるならばと 会場で待機していた。
残念ながら 彫刻の出品者とは数人としかお会いできず 残念であった。

夜からは授賞式と懇親会があったが、会費が高額だったのでわがままを言って遠慮させて頂いた。
その代わり 最後の夜を友人の浅井氏と過ごした。
驚いたのは私が目をつけていた店を彼が指定してきたことだ。
安くて美味しい店だと 今回札幌に来てから目をつけていたのだ。
自慢ではないが そんな店を見つける嗅覚はかなり鋭いと思っている。
そこを 彼は時々利用しているという。
確かに安いし美味しいし良い店だった。
その後2件ハシゴして、札幌の最後の夜は過ぎていった。

翌日は11時台発の飛行機で東京に戻ってきた。
飛行機を降りると ムッとした暖かな空気に触れた。
私の前を若夫婦らしい人が歩いていた。
その奥さんが「うわっ!戻ろうか?」と 冗談を言うのが聞こえ、思わず 微笑んでしまった。
そう 蒸し暑い東京に帰ってきたのだった。


旅報告8

2012年07月05日 20時13分00秒 | 日記
今朝 山の作業場の物置を開けると、ナント目の前に蛇がいた。
思わず大声で叫んでしまった。
蛇もビックリしたようでゆっくりと壁の方へ移動していった。
銭形模様が無かったので、多分アオダイショウだと思う。
マムシでさえなければ まずは安心できる。
やはり 蛇は苦手だ。
制作していても何だか気分が落ち着かなかった。
そのせいなのか よろけてしまい雨水のたまったバケツの中に足を踏み込んでしまって、どうにも気持ちの悪い思いをした。

昨日の続き
洞爺湖の石井氏のゲストハウスに荷物を置いた後、早めの夕飯とお酒を頂きながら歓談した。
石井氏の居間からの眺めは最高であった。

石井氏の家の前からの夕暮れ風景

正面には洞爺湖が見えている。
その景色に惚れて、そこに土地を求めたとのこと、確かに素晴らしかった。
石井氏から不思議なお話をたくさんうかがった。
私は その全てを信じることが出来た。

翌朝3時50分頃起きてみると外はもう明るかった。


ゆっくり 散歩することにした。
湖畔に向かって歩いていたのだが、振り返ると何とも言えない畏怖の念に近いモノが私をとらえた。

石井氏のすぐ裏手の景色

ここに住むことを許されて住んでいるという 石井氏の言葉がすんなり頷けた。
多くの人は金さえあればどこにでも住める、それが当たり前と傲慢にも思っているが、そうではなく我々は何者かに許されてそれぞれの場所に住まわせて頂いているのだと思えた。
それぐらい 厳粛なおもいにさせられる 不思議な力のある風景だった。

そう、私も1泊そこで泊まることを許して頂けたのだ。

朝のお茶をゆっくり頂きすっかりのんびりさせていただいた後、石井氏宅を辞した。

次は長沼に向かう。
長沼の彫刻家野村氏のアトリエに向かうのだ。

続きはまた明日。


旅報告7

2012年07月04日 06時48分56秒 | 日記
北海道滞在7日目。
その日は展覧会初日だったので会場へ行った。
絵画、版画、工芸の作品鑑賞の後、会場を後にして洞爺湖に住む版画家石井氏宅目指し ナビを頼りに出発した。

頼りの綱のナビ。道路がガタガタでガムテープで押さえないと落ちてしまう。

いい天気だがともかく寒かった。
札幌を離れると 景色は正に北海道。

広々とした景色が広がっていた。
 
車のスピードについて行くのは難しかったので、後ろから来る車には道を譲り 追い越して頂いていた。
持っている服は全て着たが それでも寒い。
寒さが蓄積されていった。

とても気持ちの良い天気であり、素晴らしい景色であるにもかかわらず 寒さのあまりふるえ続けていた。

途中 中山峠近辺にある道の駅に隣接したキノコ王国なる所で休憩した。
そこで小さな碗で1杯100円のキノコ汁を頂いた。


それでも 身体はなかなか温まらなかった。
諦めて又走り始める。

喜茂別に入ると視野は広がり、前方に羊蹄山らしき姿も見えてきた。

広々とした景色と羊蹄山が何とも嬉しかった。

喜茂別を過ぎると洞爺湖が間近に迫ってきた。
ちょっと寄り道をして洞爺湖の道の駅に行った。
そこには1杯100円のホタテ汁が売られていた。

これは先ほどのキノコ汁より碗も一回り以上大きい上、たくさんのホタテが入っていた。
これには驚いた。
私の常識からいって、これが100円などということが全く信じられなかった。
冷え切った身体にこれほど美味しい汁はまたと無かった。

そこを出ると 洞爺湖は目の前だった。


洞爺湖は小学校の修学旅行で1度、成人して2度訪れたことがあった。
それからまもなくして石井氏のお宅に到着した。

私が泊めて頂いた石井氏のゲストハウス。

この続きは また明日。




旅報告6

2012年07月03日 20時13分39秒 | 日記
北海道滞在6日目、朝から展覧会の陳列作業。
陳列委員長の小野寺氏がきちんとした計画を立ててくれていたので、終始作業は順調に進んだ。
夕方からお疲れ様会がファクトリーのサッポロビールのお店であった。
昔ビールの醸造所だったとか。

いかにもビールが美味しく飲めそうな所

会費無しの飲み放題と有らば、飲まざる所以は無し。
普段 飲めそうもない高級ビールをバンバン飲ませて頂きました。
ありがたやありがたや。
以後の記憶は定かではない。
多分 カプセルホテルに帰っておとなしく寝たことでしょう。(多分・・・)

今日 地震がありました。
このところ 又地震が多くなってきた気がします。
更に記録的な豪雨が頻繁に報道されています。
何時 想定外のことが起こるか分かりません。
備えをしなくてはと、思いつつもなかなか進んでいませんが、それでも 水は何ケースか買って備えています。
又、夜中に電気の供給が止まっても避難し易いよう電池式センサーライトや電池の買い置き、ローソクの買い置き、いくらかのガソリンの備蓄などはしています。(昨年の3.11の際にはガソリンが手に入らず苦労しましたので、オートバイなら数ヶ月動き回れるくらいの備えはしてあります。)
それでも まだまだ不十分だと思っています。

それにしても原発は勘弁して欲しいモノです。
放射能が降ってきたら 対処できません。
いくら経済が大切といっても、命や安全より優先させるわけにはいきませんよね。

旅報告5

2012年07月02日 20時03分58秒 | 日記
北海道滞在5日目の夜、友人の畑山氏と札幌市北34条にある「健蔵」という店で落ち合った。

イイ感じの店構え

ここに来たのは3回目であった。
その日の飲み相手である畑山氏が内装、外装の石積みを担当した縁故である。

入ってすぐの雰囲気もイイ

店内はどこもかしこも店主の細かな神経が行き届いた内装となっていて、心地よい。

料理も酒も美味しく、友人と歓談していたので時間を忘れていた。
気づくと地下鉄が無くなりそうな時間であった。
慌てて店を辞し友人と別れて地下鉄のホームに向かった。
ナント最終の地下鉄が5分前に出発したばかりであった。
そこから宿泊しているカプセルホテルまで タクシーだと三千円以上かかると友人から聞かされていた。
そんなお金を払うつもりはない。
エイッとばかりに歩き始めた。
およそ 南と思える方向に歩いていたのだが、何百メートルか歩いたてから間違っている方向に歩いている気がしてきた。
人通りはほとんど無い。
たまたま通りかかった若い女性に「南」がどちら方向か聞いてみた。
やはり違っていた。
私は東に向かって歩いていたのだ。
そこで方向修正して、ひたすら歩くこと1時間数十分。
いい汗をかいて、カプセルホテルに到着した。
お金も節約でき、健康にもよい一石二鳥の選択であった。



旅報告4

2012年07月01日 07時13分01秒 | 日記
北海道旅行顛末記が途中で終わってしまったと 友人からお叱りを受けた。
残念ながらだんだん細かなことの記憶が薄れてつつあるので、これからは印象に残ったことだけを、記したい。

滞在4日目、日中は当別へ行った。

当別駅前の案内板

当別駅

旅行中はどうしても野菜不足になるので、近くの農産物販売所でキュウリとアスパラガスを買い、きゅうりはそのままボリボリかじり、アスパラは小屋で茹でて食べた。

我が地所と物置小屋

夕方から一昨年の八王子の個展に駆けつけてくれた友人の浅井君宅に招かれた。
彼は中学校の美術教師をしている。
翌日から 修学旅行とのことなのに、忙しい中 わざわざ気を遣って招いてくれたのだった。
共通の友人も駆けつけ、楽しい時間を過ごさせて頂いた。
翌日の彼のスケジュールを鑑み、遅くならないように気をつけてお宅を辞した。

翌日、札幌芸術の森美術館「立体力」展を見に行った。

私の好きな作家の作品が多数有り、イイ刺激になった。
俄然 やる気が湧いてきた。


次に本郷新の彫刻美術館に行った。
ここは札幌に来るとほとんど毎回顔を出す所。
本郷新は尊敬する彫刻家の一人。

この2ヶ所を見ただけで疲労感たっぷり。
早々にカプセルホテルでごろごろ、そして洗濯。