子供の頃 家の中で遊ぶのが好きで、積み木や塗り絵が特に好きだった。
私は覚えていないのだが 祖母が言うには人を描く時に足から描いていたらしい。
絵を描くのは好きだった。
小学校の頃 写生大会があると進んで参加していたが、一度も受賞した覚えがない。
その頃、自分の絵には密かに自信を持っていたが、先生からほとんど評価されなかった。
ただ、工作だけは雑ながらアイディアを無視できなかったらしく 先生が渋々みんなの前で認めてくれたことがある。
担任の先生はクラスで一番の秀才が几帳面に作った工作を好んでいたのは明白だったが、私の工作も無視出来なかったのだろう。
新聞配達中に拾った壊れたおもちゃから取り出したモーターを使って、パワーシャベルが前後に動き、更に上から降りてきたシャベルが左右に開きまた閉じるというものを、思いつきだけで作ったのだった。
自分でも思い通りよくできたと思った。
確かに雑ではあったが、そんな複雑な動きをするモノを作った同級生など一人もいなかったから。
小学校時代 書道も好きだった。
自分から習いたいと言って、毎週土曜日に近くのお寺で習った。
教えてくれていたのは公立高校の先生。
その当時は 学校の先生のそうしたアルバイトも暗黙の了解であったらしい。
今では すぐに問題になるであろう。
ともかく 夢中だった。
暑さも寒さも感じなかった。
身体で 表現することの楽しさが私をとらえたのだった。
教えてくれた先生が、私の筆の持ち方がおかしかったにもかかわらず「持ち方なんていい。小手先で書くな、身体で書け」と教えてくれたのだった。
身体で書くと 踊っているようでもあり快感だった。
止めやはね、早く遅く筆を身体で動かす、心を乗せて動かす、筆先を思いのままに動かすのは本当に楽しかったものだ。
私の知らないうちに 先生が勝手にコンクールに出品したりして 書道では何度も賞を頂いた。
そのせいもあり、今でも 書道は好きである。
私は覚えていないのだが 祖母が言うには人を描く時に足から描いていたらしい。
絵を描くのは好きだった。
小学校の頃 写生大会があると進んで参加していたが、一度も受賞した覚えがない。
その頃、自分の絵には密かに自信を持っていたが、先生からほとんど評価されなかった。
ただ、工作だけは雑ながらアイディアを無視できなかったらしく 先生が渋々みんなの前で認めてくれたことがある。
担任の先生はクラスで一番の秀才が几帳面に作った工作を好んでいたのは明白だったが、私の工作も無視出来なかったのだろう。
新聞配達中に拾った壊れたおもちゃから取り出したモーターを使って、パワーシャベルが前後に動き、更に上から降りてきたシャベルが左右に開きまた閉じるというものを、思いつきだけで作ったのだった。
自分でも思い通りよくできたと思った。
確かに雑ではあったが、そんな複雑な動きをするモノを作った同級生など一人もいなかったから。
小学校時代 書道も好きだった。
自分から習いたいと言って、毎週土曜日に近くのお寺で習った。
教えてくれていたのは公立高校の先生。
その当時は 学校の先生のそうしたアルバイトも暗黙の了解であったらしい。
今では すぐに問題になるであろう。
ともかく 夢中だった。
暑さも寒さも感じなかった。
身体で 表現することの楽しさが私をとらえたのだった。
教えてくれた先生が、私の筆の持ち方がおかしかったにもかかわらず「持ち方なんていい。小手先で書くな、身体で書け」と教えてくれたのだった。
身体で書くと 踊っているようでもあり快感だった。
止めやはね、早く遅く筆を身体で動かす、心を乗せて動かす、筆先を思いのままに動かすのは本当に楽しかったものだ。
私の知らないうちに 先生が勝手にコンクールに出品したりして 書道では何度も賞を頂いた。
そのせいもあり、今でも 書道は好きである。