南八田の五輪塔
(園部町南八田)
天正3年(1575)の頃、天下統一を目指す織田信長は、家臣である明智光秀に丹波平定を命じました。光秀は亀山城を築きここを拠点として、丹波の豪族波多野秀治と戦いを繰り広げました。ここ園部町南八田が主戦場となり八田川を挟んで死闘が展開され、激しい戦いが幾日もつづく…、八田川は血の川となったと云われている。戦いは光秀軍の勝利に終わる。ここに、戦場で亡くなった悲運の武将波多野勢の供養として「南八田五輪塔」として波多野関係者が建てたものです。また八田の曹源寺には明智光秀方の供養塔が山門脇に鎮座する。八田の山裾には小さな一石五輪塔を見ることができます。何れも供養塔と思われます。
※この五輪塔は南八田の中心地、八田橋の横あたりにあります。
(一部、本梅深友会の案内より引用)
https://www.google.co.jp/maps/place/Unnamed+Road,+%E5%9C%92%E9%83%A8%E7%94%BA%E5%8D%97%E5%85%AB%E7%94%B0+%E5%8D%97%E4%B8%B9%E5%B8%82+%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%BA%9C+622-0066/@35.0614155,135.4294913,17z/data=!3m1!4b1!4m5!3m4!1s0x6000456acc9f45c1:0x700140a0af2ca10e!8m2!3d35.0614124!4d135.4310486?hl=ja