ひと筆めぐり 【新発見・再発見・摩訶不思議・唯一無二】への楽しみ…

地域に息づく歴史のひと幕にふれ、…遥かなる往時に思いを馳せる

中世の山城 『埴生城(砦)跡』

2019-12-26 | 歴史
園部に新名所誕生 中世の山城『埴生城』
 2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」亀岡市、福知山市等関係する行政、町は俄かに活気づく…。ここ丹南市園部町埴生も明智光秀丹波攻略の際、和睦に統治に向け奔走(活躍)した人物がいる。少し追ってみることにする…。
 その人物は野々口西蔵坊と呼ばれ、金輪寺(亀岡市)の山伏である。
当時、光秀方と行動を共にした。光秀は西蔵坊を、敵対する八上城主(篠山市)波多野秀治との和睦(仲介)交渉役に命じている。多くの丹波の兵が派遣されている。奔走の努力の結果、和睦・統治が成立すると、その証として自分(光秀)の老母を人質として波多野方へ差し出しすことになる。後に光秀は神尾山城(亀岡市)で対面するが、城内で波多野秀治を謀殺してしまう。これに激怒した八上城の家臣達は光秀の母を処刑する。その後、西蔵坊は和睦奔走の疲れから熱病発症、狂死する…。
 埴生城は本目城(神尾山城)の峰づたいに位置する山城で、埴生郷の土豪で野々口氏の居城(砦)であったという。豊臣秀吉が出した一国一城令(1615)により取り壊され、埴生城の山裾に野々口氏の屋敷があり立派な門があったと伝えられ、この門が最福寺(曹洞宗)の薬医門として移築されたと…伝えられていたが、平成七年山門改修時に棟札より、元禄十四年の冬に薬医門として建てたと記されている。
 この春頃、園部の有志住民が山頂(280m)の城周りの立ち木を伐採整備、約300坪?…。園部若森地区内府立農芸高校等一望、園部の新名所誕生、中世の山城ファンにはたまらない癒しのスポットが誕生した。
本丸地は平滑され、虎口・石垣が散在、櫓台があったと思われる高所も現存、その下に石垣が…。櫓台後方の大堀切斜面にも石垣が見られ、野面積みの自然石で組む、その一部が見られる。当時、波多野氏と対峙する最前線を固める砦(城)として担っていたのが分かる。

本丸から南を…若森地区、府立農芸高校、亀岡盆地が一望


虎口・石垣が散在、櫓台が…

最福寺の薬医門(元禄十四年の冬)




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