『筆子中』は昔の寺小屋だ!
(園部町船岡堂坂 慈眼寺)
(園部町船岡堂坂 慈眼寺)
旧船井ごおり三十三観音霊場所の第十一番札所『大法山慈眼寺』がある。この寺の境内に寄せ墓(供養墓)があり、その傍らに『塚』が置かれている。この塚は『筆子中』の文字が刻まれ、寺子屋の教え子(筆子中)たちがお寺の住職を偲のんで建てた塚であろう! 江戸時代末期、寺が地域の子供たちに初等教育である手習いを担っていた。寺が場所を提供し、住職が「読み・書き・算術・ソロバン」を教えます。寺子屋と呼ばれるゆえんである。船岡はその昔、若狭街道が通り大堰川は水軍の拠点地、また鳥羽宿場として賑わったところ。この地域の子どもの教育習得率は高かったことが想像されます。日本の小学校の開始は寺小屋から…1872年(明治5年)より始まり今に至る。このことを覚えておきたい。
園部町にはこの一基のみ!…石造物文化財指定に準ずる逸品である。
碑文(正面)『塚』
碑文(横)『一滴洞水首』(下にデフォルメが刻まれている)
(裏)『筆子中』『江戸 広瀬新蔵 直純』
慈眼寺の境内に寄せ墓(供養塚)があり、その横に塚がある。(写真右)