「読書の巡り合い」って、どんなこと?
私は還暦を迎えた折に、決めたことがあります。
シニアのボケ防止し、年間100冊の本を読み切る目標を掲げました。
当初数年は目標未達成もありましたが、ここ10年間目標達成が持続出来てます。
読書本の分野は特定されてません。
行き当たりばったり、関心の引く本といった感じ。
何処から関心の引く本が、出てくるのか?
情報の出どころは、いろいろ様々です。
読書本で紹介された書籍、読本本の著者の他の書籍などなど。
あるきっかけで会田雄次著「アーロン収容所」を読みました。
引き続いて、同じ著者の著書を紐解いております。
「ヨーロッパ・ヒューマニズムの限界」
読み始めたばかりです。
この著書の冒頭に竹山道雄「ビルマの竪琴」を取り上げております。
小学高学年で、この映画を鑑賞し感動したことが蘇ってきました。
郷里は貧しい集落です。
子供が映画を見るのにお金を費やすことが、惜しまれる時代です。
子沢山の家族が多い集落で、集落の学校が分校場から独立した小中学校に
衣替えをしました。
先生の数も増えました。
ある国語の若い先生が、集落の人々にと映画の上映を企画しました。
学校の体育館を使用しての映画鑑賞会です。
子供10円、大人20円。
当時のお金です。家族も多くその出費は家計に大きな負担になります。
夜の映画会に行きたい気持ちが顔に出ており、ソワソワ落ち着きません。
二人の弟子分の手前、自分一人と云うわけにはいきません。
蓄えの小遣いがあるわけではありません。
「これで、行って来い!」という人もおりません。
「早く、ご飯を食べなさい。」
3人の兄弟が、母親に促されて早い夕食。
別に映画を見るためのお小遣いが配られるわけではありません。
母の裁縫箱の上段の小物入れには、何時も小銭が入ってました。
早い夕食を促した母の言葉の裏には、それを持って、早く出かけろとの合図だったのです。
ガキ大将の偉いところは、それを読み解くことの素早さです。
田舎では映画を見る機会は殆どありません。
嬉しかった! あの気持ち未だに忘れておりません。
その時の映画が「ビルマの竪琴」でした。
映画のストーリーは未だに鮮明に記憶に留めております。
スクーリングに映し出されて映像と音声、それだけではありません。
感極まって、映像の役者と一緒の気持ちで大声を発していたのです。
勿論、両目からは涙がボロボロ、溢れ出してます。
集落一のガキ大将が大衆の前で演じた「一コマ」です。
この懐かしい場面が、この書籍の冒頭に解説付きで記されておりました。
ビルマに残留する決意をした水島上等兵とその所属部隊の仲間達が
水島と名乗らず、水島と思って呼びかける戦友たちにも答えずに
行き交う橋の上の場面があります。
「一緒に帰ろうよ!」
標準語ではありません。田舎の方言です。かなり訛ってます。
会場内のお祖母ちゃんたちも、「そうだ!そうだ!」と
あっちこっちから、掛け声が飛び交います。
映画の鑑賞会場から、一人の迷脇役が誕生しました。
狭い集落です。話題は隅から隅まで行き渡ります。
あの国語の若い先生に授業の合間に、映画の感想を聞かれる。
「泣けえ、涙が止まらなかった!」みんな同じ感想。
「感動して流す涙は、決して恥ずかしい事ではありません。
その人の素直な気持ちが自然に表現されたものです。
その事で他人を,あざ笑うようなことをしてはいけません。」
その先生の教えは、今も大事に取ってあります。
この映画を見て数日後、世間の噂を聞いた母が、
「ほんと、みんなと一緒に帰ってくればいいのにね。」と一言。
映画を一緒に見ていたような気持ちを共有した感じ。嬉しかった。
60数年前の出来事ですが、記憶が薄れることなく鮮明に蘇ります。
「読書の巡り合い」偶然の出来事ですが、
出会えた時の喜びには感動が付き物です。
読書は私のシニアライフの友達です。
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