まだ、テレビが無かった時代です。
1957年やっと我が家にラジオが購入されました。
昭和30年代当初の頃です。
まだまだ、みんな貧しい時代です。
山里深い農村では、ラジオから流れる歌声が唯一の娯楽でした。
その中で私の一番のお気に入りはラジオドラマです。
まだ小学生高学年の頃です。外ではガキ大将でした。
何故か、このラジオドラマが始まると、
素直です。ラジオを独り占めにして、その傍から離れません。
そのラジオドラマの放送時間帯が我が家の夕食時間帯です。
ラジオを聴きながらの食事は、大家族では厳禁です。
私は8人兄弟の中で育ちました。
5男坊のガキ大将だけ認めて貰えるわけがありません。
でも、一週間に一度だけ、夕食を絶ってラジオ放送に夢中になってました。
今の時代のような便利な録音装置は備わってません。
ラジオ放送、そのものを欠かさずに聞く事しかありません。
それほど夢中にさせたラジオドラマは
ラジオ東京が1957年9月から放送開始したラジオドラマ
「赤胴鈴之助」です。
吉永小百合や山東明子が子役や語り手で出演しておりました。
「猪口才な小僧、名をなのれ!」
「赤胴鈴之助だ!」
剣はとっては 日本一に 夢は大きな少年剣士
元気いっぱい 一度や二度 のな笑顔
失敗なんかや くじけない オー!
がんばれ 強いぞ 僕らの仲間
赤胴鈴之助
どれほど、勇気を頂いたことやら、計り知れません。
このラジオドラマの放送時間は30分。
毎週水曜日18:15~18:45分です。
その時間帯で大家族の夕食は終わってしまいます。
厳しい躾の親父の元、母親は食後の片づけを否応なく進めざるを得ません。
5男坊の我儘を見過ごすわけには行かないのです。
母親に代わって、祖母が大きなお握りを作ってくれてます。
中に大きな自家製の梅干しを入れ、そして周りに味噌を塗ってあります。
それが毎週のことです。長く続きました。
祖母の行為に誰も文句が出ません。
今思い出すと、あのお握りの味ともに大粒の涙が伴います。
「なして? 飯も食わずに、そんなの好きだべェ?」
祖母の笑顔に、自分の感情を伝える事すら出来ずに過ごしていた頃のことです。
全て、懐かしさにとって代わります。そんな素敵なラジオドラマです。
カラオケボックスで「赤胴鈴之助」を選曲しました。
子供のときに覚えたものが、頭の隅っこに、ちゃんと健在してました。
何十年前の家族団らんのひと時が蘇ってきました。
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