そしてとうとう東京渋谷の「福田会 育児所」の門の前まで来た。
福田会は仏教系組織が立ち上げた施設。
受け入れの中心となった日赤本社の病院に隣接、構内には運動場や庭園などの設備も整い、子供たちに最適な環境の場所だった。
福田会育児所に到着すると、受け入れ関係者や役人たちが待ち受け、門の外には大々的な報道で知った地元民たちが大勢歓迎の言葉と笑顔で出迎えた。
すでに全国から援助物資やお菓子、義援金などが続々送り届けられている。
その総額は驚くほどで、孤児たちの滞在費を賄って余りあるほどだった。
下は4歳から上は16歳まで様々な年齢層の孤児たちは、到着して間もなく医師の健康診断を受けた。
まず病気や栄養失調で弱っている子から。
長い苦難の放浪の結果、栄養失調や凍傷、チフスなど様々な症状を抱える子。
ひとりひとりが死線を潜り抜けてきたのだ。
担当した医師の診断が終わると要入院治療の子と一般宿舎の子に分けられ新調された衣服と靴などが与えられた。
そして環境の整えられた部屋と食事、担当した保母や看護師、医師の献身的扱いからようやく安息の地にたどり着けた事を本能的に感じ取った。
それまで抱いていた親を失った寂しさ・孤独など心の氷と闇からようやく解放されつつあるのを、子供たちの輝いた水色の笑顔が示していた。
診察が終わり、比較的健康で一般宿舎での暮らしに耐えられる子たちは付き添いの大人たちから部屋割りを教えられ、それぞれの部屋へ。
もうすぐ6歳になるヨアンナの部屋は、9歳のエディッタと7歳のハンナが同室だった。
エディッタはおちついたお姉さん口調でもったいぶる癖があった。
ヨアンナと同室と分かると
「よろしくね、お嬢ちゃん!」と済まし声で言った。
また「私と一緒の部屋に居たいのだったら、良い子でいる事よ。
私は煩くする子はキライですからね。」
彼女は孤児になる前、特に母親の影響が強かったようだ。
彼女の口調はどこにでもいる、口うるさい母親のそれである。
9歳にして年を取ったおばさんだったのだ。
ヨアンナは鼻持ちならないその雰囲気に(少し感じ悪!)と心の中で思った。
ハンナはその逆で、ヨアンナに対し満面の笑みを浮かべ優しくハグをしながら、
「私はハンナ。ヨアンナちゃんの事,なんて呼んだらいい?あとで一緒に庭にいってみましょ!お夕食の前に!
あ~ぁ、少し疲れたけど、すぐにでもここを探検してみたいの。
あそこに池が見えたでしょ?
あの池に、お魚がいるか知りたいの!だって何か泳いでいそうじゃない?
ヨアンナちゃんはどう思う?
そうそう、私たちの面倒をみてくれる舎監のレフさんって何だかお魚のような顔してない?
私、心の中で笑っちゃった!でも優しそうな人で良かった!
もし怖い人だったり、厳しい人だったら毎日が楽しくないもん。
そうでしょ?ヨアンナちゃん。
ねえ、ヨアンナちゃんと呼んでよかった?」
マシンガン・ガールズトークでそうまくし立てた。
年上のお姉さんだし、少しその勢いに気おくれしたが、
「ええ、ヨアンナでいい、よろしく。」とだけ言えた。
内心ヨアンナはここに辿り着くまでに仲良くなった
友エヴァと同室になれなかったことを残念に思った。
当然部屋も一緒でいつも仲良く暮らせると思ったのに。
今日は長旅で疲れたでしょうから、明日はゆっくり寝ていても良いと舎監のレフさんに言われている。
ヨアンナ達は心にゆとりができ、これから過ごすこの施設での暮らしに期待と希望で胸が高鳴り、興奮気味なのは仕方なかった。
部屋の様子は、飾り気のない白い壁の8畳ほどの洋室にベッドが3つ。
カーテンは無地の薄い青色の予定だったが、孤児たちの不安な気持ちを考え、花柄に変更されていた。
そして人数分の机と椅子と箪笥。
そして窓辺には花瓶に心づくしの花が添えられている。
ベッドはパーテーションで仕切られ、最低限のプライバシーは守られている。
窓の外には高い塀があったが、ヨアンナの2階の部屋からは、庭の中にあるごくありふれた一本の木が見える。
しかしその木は春には大そうきれいに咲き誇るであろう桜であった。
それと桜の隣に小さく浅い池が見えた。
塀の外の家並みがそこでの生活の匂いがしてくるような異国の、しかし安心感のある佇まいを感じた。
部屋の少女たちは、ヨアンナを含め、直ぐにそれぞれの気の合った友のところに行き、自分たちの環境や様子の違いなどを確かめ合い、やがて施設内の探検が始まった。
当然ヨアンナも友エヴァの元に。
しかしエヴァは栄養失調で治療が必要と判断されベッドでの療養生活を告げられていた。
(やっぱり注意深く健康観察の監視を受けた結果、随伴の大人たちからのお目こぼしは無かった。 残念!!でもエヴァの身体を考えたら仕方ないよね。)
彼女に限らず、孤児たちの多くは身体に様々な問題を抱えていたので、元気に動き回るわけにはいかなかった。
彼女ら孤児たちは一番最初に心の回復を見せ、最後まで回復できないのも心だった。
「ここはお母さんの待っていてくれているところとは違う。」
ヨアンナは思った。
「でも、もういい。」
「だってあの夢を見た日からずっと、お母さんとお父さんが、私のそばで見ていてくれているのが分るもの。」
「だからもう平気!お母さん、お父さん、これからも、いつまでもずっとヨアンナの事見ていてね!きっとよ!!」
消灯の時間になり、ベッドに入るとヨアンナはいつも父と母と神様に「お休み」を言ってから眠るのが日課となった。
エヴァは翌日ヨアンナの来訪をとても喜び、その後ふくれた口調で訴えた。
「ねえ聞いて!昨日お医者先生が私に特別にくれた栄養剤のお薬をね、毎日1錠ずつ飲むようにとくれたの。
お薬なのに、とてもおいしかったわ。
私が思わず「美味しい!!」と云ったら、それを脇で見ていたエミルとヤンがあっという間に私から取り上げて昨日の晩のうちに残り全部を食べちゃったのよ!
悔しいったらありゃしない!あれはお菓子じゃなく私が貰ったお薬なのよ!信じられない!!」
ヨアンナは深く同情したが、内心(ここにもまたヤンがいるの?病気で一緒にこれなかったあの彼もヤンだったけど、同じ名前ね。
どうやらヤンと云う名前はあまり良い印象を持てないわ。
御免なさいね、いたるところにいる『いたずらヤン』さん!)
それと同時に、(取り上げられたお菓子(薬)がそんなにおいしいのなら自分も食べてみたかった)とも思った。
でも彼女の前では絶対口にはできない。
来日した孤児たちへの世間の関心と同情は日ごとに高まり、個人で直接慰問品や義援金を持ち寄る人、無料で歯の治療や理髪を申し出る人、学生音楽隊の慰問、婦人会や慈善協会の慰問会への招待など善意の支援は後を絶たなかった。
中には孤児たちの着ている衣服のみすぼらしさに驚き、思わず自分の着ている一番きれいな服を脱ぎ、渡そうとする者、髪のリボン、櫛、ひいては指輪まで与えようとした者もひとりやふたりではなかった。
その中にヨアンナの記憶に強く残る少年がいた。
少年と云ってもヨアンナにとっては兄のような年上の人。
彼の名は井上敏郎、当時の少年と云っても中学2年生。
孤児支援のため訪れた父についてきたのだった。
そして彼も慰問品を携えてきた。
用意した慰問品では足らず、持っている物は全て与えようと思っていた。
自分のカバンの中のノートや鉛筆と数枚の千代紙も。
何故千代紙?
彼は聡明で気が利く少年だった。
慰問品だけでは孤児たちに心が通じない気がした。
特に幼い子たちはきっと喜んでくれるだろう。
彼はその千代紙で折り鶴を折り、小さな孤児達ひとりひとりに渡した。
最後の1枚をヨアンナの手を取り
「これは鶴という幸福を呼ぶ鳥だよ。君にあげる。幸せになってね。」
とまっすぐな眩しい笑顔で彼女の手のひらに置いた。
「わぁ~何てキレイなの?それに可愛い!!」ヨアンナは思わず笑顔になった。
じっと少年の顔を見つめ、不思議と心が華やぐ思いがした。
どうしてだろう?このお兄さんにまたいつか会いたい。
そして美しく不思議な紙でできたこの鶴を、その日まで大切に持っておこうと心に決めた。
年上の優しく素敵な少年の記憶と共に。
つづく