その前に・・・・・。
ー楚辞ー
~懐沙~
石をいだく
陽気盛んな夏のはじめ
草木鬱蒼と茂るとき
痛める胸は永くかなしみ
南土をさしてひた行く
湯王禹王はあまりに遠く
遥か昔で追う由もない
恨みを止め怒りをかえて
憂いに遭うて心をうつさず
願わくば我が志
後の世の法(のり)とならんことを
屈原
註釈1:屈原(前340~278)は楚の国の宰相)。
秦の張儀の謀略を見抜き、
踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、
楚の将来に絶望して入水自殺した。
春秋戦国時代を代表する詩人としても有名である。
:湯王は殷の初代帝、禹王はその先代夏王朝の初代帝。
どちらも名君としての伝説の王。
これらの抑制された心情を礎にした、
それでもやむなきを得て強く発した
大塩平八郎の檄文。
今の世に重ね合わせて読んでいただきたい。
「これは、天から下されたものである。
村々の百姓の方々に、これを贈る」(袋上書)
現世の天下の民が困窮しているようでは、
この国は滅びてしまう。
政治を担うには相応しい器ではない
小人どもに国を治めさせておけば、
災害が次々と生じてしまうと、
昔の聖人は、後世の人々に強く言い残している。
徳川家康公も
「善い政治とは、身寄りもない人たちに対して、
もっとも深い哀れみを掛けてあげることだ」と言われた。
ところがどうか?
これまでの240~50年もの間、戦乱はなかった。
しかし、社会の上層部の者たちは、
贅沢の限りを尽くすようになってしまった。
大事な政策を担う役人たちは、
自分たちが支配している民、百姓たちからは、
重い税を取り立てている。
ただでさえ、重い年貢や賦役に苦しんできた多くの人々は、
このような無体な強要に追いまくられ、
出費がかさみ、貧困に苦しめられるようになってしまった。
いまや、上層部の者たちを恨まない人は一人もいなくなってしまった。
当然である。
同じような苦しみに、江戸はもとより、
全国の人々がのたうっている。
民の恨みに呼応して、天も怒っている。
近年、地震、火災、山崩れ、洪水等々の
自然災害が頻発するようになった。
そして、ついに、食糧危機までもが発生してしまった。
これぞ、天が下している深い戒めである。
ところが、上層部は、この天の戒めの意味に気付いていない。
器が小さく奸計ばかりをめぐらす輩たちが政治を牛耳っている。
下々の民を彼らは悩ませ、
米や金銭を取り立てることばかりに熱中している。
私たちは、庶民や百姓たちの
こうした苦しみを見るばかりで行動を起こせなかった。
私たちは政治家どもを深く恨む。
しかし、私たちには、過去の覇王である湯王・武王の勢力はない。
孔子や孟子のような徳もない。
そのこともあって、私たちは、いたずらに動けないでいた。
これは、奉行に仁がないからである。
いま、奉行や役人たちが緊急に取り組まなくてはならない事態は、
自分たちならできる政治力でもって、
これら不届きな輩を取締り、下々の庶民を救うべきではないのか。
私たちには、湯王や武王の威勢はなく、
孔孟の人徳もないが、天下のために、
親類縁者に被害が及ぶことも厭わず、
この度、有志で話し合って蜂起した。
この度の私たちの蜂起は、
かつての日本の平将門、明智光秀の謀反、
中国のは劉裕、朱全忠の謀反に似てはいるが、
私たちは、天下国家を盗み取ろうとするような
欲得に駆られたものでは決してない。
それは、月や太陽、そして星などの天の動きに摂理があるように、
人もその摂理に支配されている。
つまり、湯武、漢の高祖、明の太祖が、民を弔い、
悪い支配者を征伐して、天誅を執行したのと同じように、
私たちは、誠を実行しようとしているのだ。
もし、疑わしく思うなら、私たちがなにをするかを、
終始見定めていただきたい。
ここに、天命を受けて天誅を下す行為に打って出る。
天保8年丁酉(ひのととり年)
匿名 摂津・河内・泉州・播磨の村々の
庄屋・年寄・百姓および貧民の百姓たちへ
ー所長コラム6:土佐堀川が育んだ改革者たちの言葉(6)
本山美彦(国際経済労働研究所理事長兼所長)ー
原文はこの倍くらいの長文のため、
現代の状況にそぐわない部分を割愛し、
口語体に訳された文章を抜粋転載しました。
この国の政治がうまくいっていないと云う事は
私のブログで幾度も触れてきました。
私が何故今大塩平八郎の檄文を載せたのか?
確かに武漢ウイルスが蔓延する前までは
表面上は政局が安定していたと思う。
確かに野党が様々な追及をして
政権を脅かそうとしてきたが、
その内容は幼稚園や大学の建設疑惑、
自衛隊の海外派兵の問題疑惑、
首相支持者への労いを目的にした花見の会不正疑惑など、
おおよそ国政に重大な支障をきたすような事案とは
到底思えない。
それらは全て東京などの
地検特捜部などが扱うべき案件ではないのか?
国政が国会審議で紛糾し停滞した結果、
喫緊の課題解消を含んだ法案成立が求められる場面で
幾度も流れる場面を目撃してきた。
これでは野党がその役割と責任を果たしてきたとは
全く思えない。
でもそんな野党より今の武漢ウイルスへの対応はまず過ぎる。
テレビのインタビューで
ラーメン屋さんを営む自営業者の言葉が
多くの国民や経営者の心情を代弁していると思う。
曰く
「安倍のマスクを全世帯に2枚づつ配布するとの
発表を聞いた時点で、(政府は)頼りにできないと悟った」と。
最近の風潮は
ブツブツ不平不満を独り事のようにつぶやくだけで
いたずらにフラストレーションを貯め込んでいるように見える。
しかし私は現代の日本人にも
大塩が信奉した陽明学が深層心理内に浸透していると思う。
ひとりひとりが無関心だった政治について
改めてよく考え、声を出して欲しい。
行動に移してほしい。
と云っても打倒政府を呼びかけているのではない。
このブログの「檄文」はあなたと私の意識に対して
呼びかけるものです。
自分の考えを内閣府にツイートするなど
たくさんの声が政府の意識を変え、
政治を変えるのだと私は信じています。
私たち国民の参政権は
何も選挙権だけではありません。
声を出す事、
声をぶつける事も
憲法が保障する参政権であると考えます。
この国に湯王も禹王も必要ありません。
国民ひとりひとりの意識と声が
湯王や禹王に匹敵する事を
強く意識してほしいと思います。
ー楚辞ー
~懐沙~
石をいだく
陽気盛んな夏のはじめ
草木鬱蒼と茂るとき
痛める胸は永くかなしみ
南土をさしてひた行く
湯王禹王はあまりに遠く
遥か昔で追う由もない
恨みを止め怒りをかえて
憂いに遭うて心をうつさず
願わくば我が志
後の世の法(のり)とならんことを
屈原
註釈1:屈原(前340~278)は楚の国の宰相)。
秦の張儀の謀略を見抜き、
踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、
楚の将来に絶望して入水自殺した。
春秋戦国時代を代表する詩人としても有名である。
:湯王は殷の初代帝、禹王はその先代夏王朝の初代帝。
どちらも名君としての伝説の王。
これらの抑制された心情を礎にした、
それでもやむなきを得て強く発した
大塩平八郎の檄文。
今の世に重ね合わせて読んでいただきたい。
「これは、天から下されたものである。
村々の百姓の方々に、これを贈る」(袋上書)
現世の天下の民が困窮しているようでは、
この国は滅びてしまう。
政治を担うには相応しい器ではない
小人どもに国を治めさせておけば、
災害が次々と生じてしまうと、
昔の聖人は、後世の人々に強く言い残している。
徳川家康公も
「善い政治とは、身寄りもない人たちに対して、
もっとも深い哀れみを掛けてあげることだ」と言われた。
ところがどうか?
これまでの240~50年もの間、戦乱はなかった。
しかし、社会の上層部の者たちは、
贅沢の限りを尽くすようになってしまった。
大事な政策を担う役人たちは、
自分たちが支配している民、百姓たちからは、
重い税を取り立てている。
ただでさえ、重い年貢や賦役に苦しんできた多くの人々は、
このような無体な強要に追いまくられ、
出費がかさみ、貧困に苦しめられるようになってしまった。
いまや、上層部の者たちを恨まない人は一人もいなくなってしまった。
当然である。
同じような苦しみに、江戸はもとより、
全国の人々がのたうっている。
民の恨みに呼応して、天も怒っている。
近年、地震、火災、山崩れ、洪水等々の
自然災害が頻発するようになった。
そして、ついに、食糧危機までもが発生してしまった。
これぞ、天が下している深い戒めである。
ところが、上層部は、この天の戒めの意味に気付いていない。
器が小さく奸計ばかりをめぐらす輩たちが政治を牛耳っている。
下々の民を彼らは悩ませ、
米や金銭を取り立てることばかりに熱中している。
私たちは、庶民や百姓たちの
こうした苦しみを見るばかりで行動を起こせなかった。
私たちは政治家どもを深く恨む。
しかし、私たちには、過去の覇王である湯王・武王の勢力はない。
孔子や孟子のような徳もない。
そのこともあって、私たちは、いたずらに動けないでいた。
これは、奉行に仁がないからである。
いま、奉行や役人たちが緊急に取り組まなくてはならない事態は、
自分たちならできる政治力でもって、
これら不届きな輩を取締り、下々の庶民を救うべきではないのか。
私たちには、湯王や武王の威勢はなく、
孔孟の人徳もないが、天下のために、
親類縁者に被害が及ぶことも厭わず、
この度、有志で話し合って蜂起した。
この度の私たちの蜂起は、
かつての日本の平将門、明智光秀の謀反、
中国のは劉裕、朱全忠の謀反に似てはいるが、
私たちは、天下国家を盗み取ろうとするような
欲得に駆られたものでは決してない。
それは、月や太陽、そして星などの天の動きに摂理があるように、
人もその摂理に支配されている。
つまり、湯武、漢の高祖、明の太祖が、民を弔い、
悪い支配者を征伐して、天誅を執行したのと同じように、
私たちは、誠を実行しようとしているのだ。
もし、疑わしく思うなら、私たちがなにをするかを、
終始見定めていただきたい。
ここに、天命を受けて天誅を下す行為に打って出る。
天保8年丁酉(ひのととり年)
匿名 摂津・河内・泉州・播磨の村々の
庄屋・年寄・百姓および貧民の百姓たちへ
ー所長コラム6:土佐堀川が育んだ改革者たちの言葉(6)
本山美彦(国際経済労働研究所理事長兼所長)ー
原文はこの倍くらいの長文のため、
現代の状況にそぐわない部分を割愛し、
口語体に訳された文章を抜粋転載しました。
この国の政治がうまくいっていないと云う事は
私のブログで幾度も触れてきました。
私が何故今大塩平八郎の檄文を載せたのか?
確かに武漢ウイルスが蔓延する前までは
表面上は政局が安定していたと思う。
確かに野党が様々な追及をして
政権を脅かそうとしてきたが、
その内容は幼稚園や大学の建設疑惑、
自衛隊の海外派兵の問題疑惑、
首相支持者への労いを目的にした花見の会不正疑惑など、
おおよそ国政に重大な支障をきたすような事案とは
到底思えない。
それらは全て東京などの
地検特捜部などが扱うべき案件ではないのか?
国政が国会審議で紛糾し停滞した結果、
喫緊の課題解消を含んだ法案成立が求められる場面で
幾度も流れる場面を目撃してきた。
これでは野党がその役割と責任を果たしてきたとは
全く思えない。
でもそんな野党より今の武漢ウイルスへの対応はまず過ぎる。
テレビのインタビューで
ラーメン屋さんを営む自営業者の言葉が
多くの国民や経営者の心情を代弁していると思う。
曰く
「安倍のマスクを全世帯に2枚づつ配布するとの
発表を聞いた時点で、(政府は)頼りにできないと悟った」と。
最近の風潮は
ブツブツ不平不満を独り事のようにつぶやくだけで
いたずらにフラストレーションを貯め込んでいるように見える。
しかし私は現代の日本人にも
大塩が信奉した陽明学が深層心理内に浸透していると思う。
ひとりひとりが無関心だった政治について
改めてよく考え、声を出して欲しい。
行動に移してほしい。
と云っても打倒政府を呼びかけているのではない。
このブログの「檄文」はあなたと私の意識に対して
呼びかけるものです。
自分の考えを内閣府にツイートするなど
たくさんの声が政府の意識を変え、
政治を変えるのだと私は信じています。
私たち国民の参政権は
何も選挙権だけではありません。
声を出す事、
声をぶつける事も
憲法が保障する参政権であると考えます。
この国に湯王も禹王も必要ありません。
国民ひとりひとりの意識と声が
湯王や禹王に匹敵する事を
強く意識してほしいと思います。