コメディアンから戦時下の大統領へ……ゼレンスキー氏はどんな人物か
ウォロディミル・ゼレンスキー
1978年1月25日(44歳)ウクライナ第6代大統領
旧ソビエト連邦・ウクライナ社会主義共和国(現在のウクライナ)
東部の主要都市クルィヴィーイ・リーフに生まれる。
キエフ国立経済大学のクルィヴィーイ・リーフ校で
法学を専攻、大学卒業後は法曹ではなく
コメディーを追求し、制作会社Kvartal 95を設立。
コメディアンへの道を選ぶ。
父オレクサンドル・ゼレンスキー:ドネツク・ソヴィエト貿易研究所
(現・ドネツク国立経済貿易大学)の
クルイヴィーイ・リーフ校に勤務する物理学教授にして研究者。
母はエンジニア。
妻 :オレーナ・ゼレンシカ (1978年2月6日生 2003年結婚)脚本家
父の仕事の関係上、幼少期の4年をモンゴルのエルデネトで過ごす。
祖父はソ連軍でナチスドイツと戦い、兄弟3人はじめ、
親戚の多くがホロコーストで命を落とした。
ウクライナ東部出身(ロシア語圏)。
元々ウクライナ語は苦手で
主にロシア語を使用していたが
大統領当選以降、ウクライナ語を特訓、
ほぼウクライナ語のみでこなす。
かつてのクラスメート、オレーナ・ゼレンシカと
2003年結婚。
番組制作会社を設立。
番組制作会社では演技者と云うよりは
脚本家であり、プロデューサーであった。
彼の主な活躍の場となったのは、
ウクライナのオルガルヒ(新興財閥)
イーホル・コロモイスキー所有のテレビ局。
その一つ、自身がウクライナ大統領を演じた
ドラマ『国民のしもべ』。
2015年~2019年に放送、絶大な人気を博す。
その内容は
彼が演じる高校の歴史教師。
物語は選挙で授業を妨害された主人公が
怒りに任せて誰もが抱いている不満、政治腐敗に激怒し
政府批判を行う様子を生徒が隠し撮りし
その動画をSNSにUPした。
動画の再生回数は数百万回に達し、
それをきっかけに大統領選挙に挑む羽目となる。
政党(国民のしもべ)を結成、
そしてとうとう大統領に当選してしまう。
劇中大統領に立候補した彼は、
「もしも僕が一週間でも大統領になったら、
賞与も夏の別荘も全部廃止する。
大統領も高校教師も同じ暮らしをすべきだろう。」
と言っている。
『国民のしもべ』がキッカケで
現実の大統領選挙にも立候補した彼は、
「私の政治的野心とは
ウクライナ社会の声に寄り添う事です。
様々な世代のウクライナ人が変化を求めていました。
私も変化をのぞんでいたひとりです。」
国の最高権力を握り
国民の味方を演じたゼレンスキー氏。
ウクライナ人は新しいリーダーを求めている。
ドラマの人気がそれを裏付けている。
彼に本当の大統領を任せてみてはどうか?
との声がコモロイスキー氏の周辺からも出てくる。
有力オルガルヒの後押しもあり、
それらが追い風となり
作品の続きをイメージした宣伝を開始し
新政党『国民のしもべ』を結成、選挙運動を開始する。
実際の選挙活動は政治集会や討論会ではなく、
原作の展開と同じ
インターネットでの呼びかけを中心に据えた。
主人公が作中で国民に呼びかける際、
ドラマ同様「親愛なるウクライナ国民へ」
も多用した。
そうしたドラマと一体化した活動が功を奏する。
2019年の大統領選は
過去最大となる44名もの候補者が乱立。
その中でゼレンスキー氏は
決選投票で72.7%を獲得。
現職大統領の27.3%を
大きく引き離す大勝利となった。
架空のドラマと現実が混同してしまうような
荒唐無稽なストーリーが実際に出現した社会。
しかし、ドラマと現実にはひとつ大きな違いがあった。
作品中ではオリガルヒが政治をゲームとして扱う。
更にオリガルヒのために動く政治家、
縁故主義が蔓延し、税金が浪費される社会、
インフラは放置され、
当たり前のように脱税する資産家など
ウクライナ社会の腐敗と現状に
怒りを覚える国民を描き出している。
そんなオリガルヒと対決し
ウクライナ経済を立て直すべく、
汚職の一掃を目指す姿が
物語の中心になっているドラマに対し、
実際のゼレンスキー大統領は、
バックに有力オリガルヒの影がつき纏う
負のイメージが消えなかった。
大統領に任命された当初は
国民の高い支持率があり、
変化への期待の表れであったが、
停滞から抜け出せぬ経済、
失業率の増大が続き、
オリガルヒの影が次第に支持率を下げてゆく。
更に不幸にもそんな時、
アメリカの大統領選の渦中にあった
トランプ大統領からウクライナへの援助と引き換えに
トランプの対立候補バイデン親子のロシアとの関係を示す
情報の提供を求められた。
政治・外交経験に於いて
全くの素人であり外交ノウハウを持たない
新人大統領のゼレンスキー氏は
困惑の表情を示す。
「私はアメリカのそうした微妙な政治問題に
関わりたくない。」
彼はそう言ってかわす。
しかしその報道を目にした国民はどう思ったか?
プーチンはどう思ったか?
ウクライナの国民も
隙あらば牙を剥こうとするプーチンも
彼を弱腰との印象を持った。
プーチン大統領は
数年に渡ってウクライナ東部のドンバス地域に
戦いを仕掛けてきた。
ゼレンスキー大統領は
この戦いの終結を約束した。
「よく質問される。
停戦と引き換えに何を差し出すのかと。
おかしな質問だ。
愛する家族を守るため
ウクライナ人はまず何を行うか
我が国の英雄たちが
殺されないことを約束する。
出来る事は何でもやる。
難しい決断を恐れない。
人気の低下も恐れはしない。
大統領の職を辞する事さえ厭わない。
平和の為なら。」
大統領選挙から数週間後、
彼は捕虜交換を成功させる。
メディアが注目する中、
35人のウクライナ人が祖国に戻る
最初の快挙であった。
当初プーチンは
彼を理想的な大統領だと思っていた。
何も分かっていない
無能で弱虫な大統領だと。
ロシア側の要求に対し、
ゼレンスキー大統領は
すぐに譲歩するだろうと確信していた。
そんな時ゼレンスキー大統領に
ビジネスで得た資産を
海外に移しているとの報道がなされた。
水際まで追い詰められたゼレンスキー大統領。
彼は反撃に出る事を決意した。
オリガルヒに対し、反旗を翻したのだ。
かつての後ろ盾コロモイスキー氏をはじめ、
オリガルヒとの戦いを掲げ、
特にビクトル・メドベチェク氏が所有する
テレビ局を閉鎖に追い込んだ。
彼はウクライナでプーチン大統領に
最も近いされる人物でもあった。
プーチン大統領も圧力を強める。
2021年春、ウクライナ国境付近に
10万人規模の軍隊を終結した。
大々的な軍事演習を開始した。
その様子はロシアのテレビ局で放送される。
2021年5月のゼレンスキー大統領へのインタビュー。
「ロシアによる国境付近の軍備増強を
非常に懸念しています。
2014年のロシアによるクリミア併合と
それに続くドンバスでの紛争以来、
我々は一貫して表明してきました。
事態はいつエスカレートしてもおかしくないと。」
無防備なこの国に
プーチンの野望を抑える術はない。
隣国ロシアの大統領プーチンとどう渡り合うか?
それがゼレンスキー大統領の最大の課題であった。
ブタペスト覚書
ウクライナは1994年
英米露の安全保障と引き換えに
ウクライナの核兵器を放棄する約束をした。
ゼレンスキー大統領
「国際協定は遵守すべきものです。
ではブタペスト覚書は?
我々の安全は保障されていない。
効果が無い。
更に我が国が長年温めてきたロシアとの親交
血縁関係にある人も多く
歴史的、経済的つながりもある。
ソビエト時代のそうした関係も
効果が無い。
では残された手段とは?」
プーチンはウクライナが
独立国である事自体が気に入らない。
傀儡政権以外は誰が大統領になろうが
挑戦者に他ならない。
2021年7月
プーチン大統領はロシアとウクライナ、
両国民の一体性を主張する論文を発表した。
それは国家としてのウクライナを
否定するような内容だった。
プーチン大統領はウクライナに関する主張を続ける。
侵攻の3日前にも。
「ウクライナは単なる隣国ではない。
ロシアの歴史、文化、精神性と不可分な存在だ。」と。
2022年2月24日
ついにロシアはウクライナに侵攻。
ファシストとの戦いと云うのが
プーチン大統領の言い分であった。
「この作戦の目的は
ウクライナ政府による迫害と虐殺から
人々を守る事です。
ウクライナの非軍事化と非ナチ化が必要です。」
ゼレンスキー大統領は即座に応じる。
「彼らは我々をナチと呼んでいます。
800万人もの命を犠牲に
ナチスを打ち負かした民族が
何故ナチたり得ましょうか?
何故私をナチ呼ばわりできるのか?
祖父は第二次世界大戦では赤軍の兵士として
戦ったと云うのに。
我々を攻撃すれば報いを受けます。
決して背中を向けません。
最初のミサイル攻撃を受けて以来、
全国民がゼレンスキーの下に結束した。
政治的な違いを捨て
「リーダーはゼレンスキーだ」
との認識で一致した。
ゼレンスキー大統領はSNSで呼びかける。
「自由と尊厳以外に
我々に失うものなど無い。
それが最も貴重な財産だ。」
「奴隷にはならない。
それが我々の意思であり運命です。
我が軍への誇りは永遠です。」
決意に満ちたその声が
毎日国民を励ました。
ゼレンスキー大統領は真の大統領になった。
ある日の国民に呼びかける動画。
「雪です。
戦争同様に厳しい春です。
悲しいですね。
でも大丈夫。
我々は勝利します。」
そう言って軽くウインクした。
ウクライナ政府からの情報は
他国の言語でも発信され、
世界中の人がフォローした。
世界が注視する中、
彼は一世一代のパフォーマンスを演じている。
国の存続を賭けたパフォーマンスである。
フィクションの世界で様々な役を演じてきた
彼だからこそできたと思う。
現実の世界でも
その才能が必要に迫られ発揮されている。
ロシア国民にも語りかける。
「ロシアの皆さん、よく聞いてください。
ロシア兵の死者は数千人、捕虜は数百人、
彼らは派遣された理由すら知りません。
殺すか殺されるかです。
今すぐ戦争を止めるよう
ロシア政府に言ってください。
早ければ早い程
ロシアの犠牲者が減ります。
ロシアの皆さん、
昨夜キーウ(キエフ)で
複数の集合住宅が爆撃されました。
1941年の再来です。
ロシア国内で戦争に抗議する皆さんを
我々は見ています。
貴方達は私たちウクライナ人の声を聞き
私たちを信頼し始めてくれている。
私たちと共に戦い
戦争に反対してください。」
彼ゼレンスキー大統領は
ウクライナの声となった。
徹底抗戦を主張するウクライナ国民を見て
驚きは感じない。
世論調査では3割が武器を手に戦う覚悟があると言い、
8割がロシアは侵略者で
戦争の責任はロシアにあると言っている。
プーチン大統領は軍事侵攻から一日以内に
ウクライナが内部崩壊すると見ていた。
しかし現実には真逆の事が起きた。
国民が一致団結したのだ。
これはロシアの侵略者たちが
ウクライナ人の気質を殆ど理解していないことの
現れであった。
国民総動員体制が整った。
「自分の町は自分で守る覚悟です。
私たちの多くは民間人です。
皆ここで生まれました。
この町の幼稚園、学校に通い
育ったのです。
プーチンを阻止し
祖国を守ります。」
(若い女性のコメント)
今ウクライナでユダヤ系の大統領が
必死の形相で訴えている。
スーツを着もせず、無精ひげも伸びたままで
戦地から世界に向け
私たちの味方になってくれと叫んでいる。
深刻な事態です。
私たちは今ある責任を突き付けられている。
でも私たちがそれにキチンと向き合う事が出来るのか?
私は危惧している。
以上、NHKで4月24日(日)8:00に放映された
『戦時下の大統領 ゼレンスキー』より抜粋。
ゼレンスキー大統領
彼は世界史に残る人物となるだろう。
彼の活動を見て私は思う。
今、プーチンの野望と
習近平の野望。
日本は決して危機の圏外にはいないのだ。
だが、この国にゼレンスキー大統領のような
責任を以って国を背負うリーダーに
なり得る人物はいるのか?
私は自分のblogで
ゼレンスキー大統領と要素が重なる物語をUPしている。
それは『シベリアの異邦人~ワルシャワ蜂起編』と
『ママチャリ総理大臣』である。
いずれも戦争の危機を描き、
隣国の理不尽に立ち向かう姿を描いた。
私はこの国に、民意を結集し
悪しき力に立ち向かえる国になって欲しいと
心から思う。
ウォロディミル・ゼレンスキー
1978年1月25日(44歳)ウクライナ第6代大統領
旧ソビエト連邦・ウクライナ社会主義共和国(現在のウクライナ)
東部の主要都市クルィヴィーイ・リーフに生まれる。
キエフ国立経済大学のクルィヴィーイ・リーフ校で
法学を専攻、大学卒業後は法曹ではなく
コメディーを追求し、制作会社Kvartal 95を設立。
コメディアンへの道を選ぶ。
父オレクサンドル・ゼレンスキー:ドネツク・ソヴィエト貿易研究所
(現・ドネツク国立経済貿易大学)の
クルイヴィーイ・リーフ校に勤務する物理学教授にして研究者。
母はエンジニア。
妻 :オレーナ・ゼレンシカ (1978年2月6日生 2003年結婚)脚本家
父の仕事の関係上、幼少期の4年をモンゴルのエルデネトで過ごす。
祖父はソ連軍でナチスドイツと戦い、兄弟3人はじめ、
親戚の多くがホロコーストで命を落とした。
ウクライナ東部出身(ロシア語圏)。
元々ウクライナ語は苦手で
主にロシア語を使用していたが
大統領当選以降、ウクライナ語を特訓、
ほぼウクライナ語のみでこなす。
かつてのクラスメート、オレーナ・ゼレンシカと
2003年結婚。
番組制作会社を設立。
番組制作会社では演技者と云うよりは
脚本家であり、プロデューサーであった。
彼の主な活躍の場となったのは、
ウクライナのオルガルヒ(新興財閥)
イーホル・コロモイスキー所有のテレビ局。
その一つ、自身がウクライナ大統領を演じた
ドラマ『国民のしもべ』。
2015年~2019年に放送、絶大な人気を博す。
その内容は
彼が演じる高校の歴史教師。
物語は選挙で授業を妨害された主人公が
怒りに任せて誰もが抱いている不満、政治腐敗に激怒し
政府批判を行う様子を生徒が隠し撮りし
その動画をSNSにUPした。
動画の再生回数は数百万回に達し、
それをきっかけに大統領選挙に挑む羽目となる。
政党(国民のしもべ)を結成、
そしてとうとう大統領に当選してしまう。
劇中大統領に立候補した彼は、
「もしも僕が一週間でも大統領になったら、
賞与も夏の別荘も全部廃止する。
大統領も高校教師も同じ暮らしをすべきだろう。」
と言っている。
『国民のしもべ』がキッカケで
現実の大統領選挙にも立候補した彼は、
「私の政治的野心とは
ウクライナ社会の声に寄り添う事です。
様々な世代のウクライナ人が変化を求めていました。
私も変化をのぞんでいたひとりです。」
国の最高権力を握り
国民の味方を演じたゼレンスキー氏。
ウクライナ人は新しいリーダーを求めている。
ドラマの人気がそれを裏付けている。
彼に本当の大統領を任せてみてはどうか?
との声がコモロイスキー氏の周辺からも出てくる。
有力オルガルヒの後押しもあり、
それらが追い風となり
作品の続きをイメージした宣伝を開始し
新政党『国民のしもべ』を結成、選挙運動を開始する。
実際の選挙活動は政治集会や討論会ではなく、
原作の展開と同じ
インターネットでの呼びかけを中心に据えた。
主人公が作中で国民に呼びかける際、
ドラマ同様「親愛なるウクライナ国民へ」
も多用した。
そうしたドラマと一体化した活動が功を奏する。
2019年の大統領選は
過去最大となる44名もの候補者が乱立。
その中でゼレンスキー氏は
決選投票で72.7%を獲得。
現職大統領の27.3%を
大きく引き離す大勝利となった。
架空のドラマと現実が混同してしまうような
荒唐無稽なストーリーが実際に出現した社会。
しかし、ドラマと現実にはひとつ大きな違いがあった。
作品中ではオリガルヒが政治をゲームとして扱う。
更にオリガルヒのために動く政治家、
縁故主義が蔓延し、税金が浪費される社会、
インフラは放置され、
当たり前のように脱税する資産家など
ウクライナ社会の腐敗と現状に
怒りを覚える国民を描き出している。
そんなオリガルヒと対決し
ウクライナ経済を立て直すべく、
汚職の一掃を目指す姿が
物語の中心になっているドラマに対し、
実際のゼレンスキー大統領は、
バックに有力オリガルヒの影がつき纏う
負のイメージが消えなかった。
大統領に任命された当初は
国民の高い支持率があり、
変化への期待の表れであったが、
停滞から抜け出せぬ経済、
失業率の増大が続き、
オリガルヒの影が次第に支持率を下げてゆく。
更に不幸にもそんな時、
アメリカの大統領選の渦中にあった
トランプ大統領からウクライナへの援助と引き換えに
トランプの対立候補バイデン親子のロシアとの関係を示す
情報の提供を求められた。
政治・外交経験に於いて
全くの素人であり外交ノウハウを持たない
新人大統領のゼレンスキー氏は
困惑の表情を示す。
「私はアメリカのそうした微妙な政治問題に
関わりたくない。」
彼はそう言ってかわす。
しかしその報道を目にした国民はどう思ったか?
プーチンはどう思ったか?
ウクライナの国民も
隙あらば牙を剥こうとするプーチンも
彼を弱腰との印象を持った。
プーチン大統領は
数年に渡ってウクライナ東部のドンバス地域に
戦いを仕掛けてきた。
ゼレンスキー大統領は
この戦いの終結を約束した。
「よく質問される。
停戦と引き換えに何を差し出すのかと。
おかしな質問だ。
愛する家族を守るため
ウクライナ人はまず何を行うか
我が国の英雄たちが
殺されないことを約束する。
出来る事は何でもやる。
難しい決断を恐れない。
人気の低下も恐れはしない。
大統領の職を辞する事さえ厭わない。
平和の為なら。」
大統領選挙から数週間後、
彼は捕虜交換を成功させる。
メディアが注目する中、
35人のウクライナ人が祖国に戻る
最初の快挙であった。
当初プーチンは
彼を理想的な大統領だと思っていた。
何も分かっていない
無能で弱虫な大統領だと。
ロシア側の要求に対し、
ゼレンスキー大統領は
すぐに譲歩するだろうと確信していた。
そんな時ゼレンスキー大統領に
ビジネスで得た資産を
海外に移しているとの報道がなされた。
水際まで追い詰められたゼレンスキー大統領。
彼は反撃に出る事を決意した。
オリガルヒに対し、反旗を翻したのだ。
かつての後ろ盾コロモイスキー氏をはじめ、
オリガルヒとの戦いを掲げ、
特にビクトル・メドベチェク氏が所有する
テレビ局を閉鎖に追い込んだ。
彼はウクライナでプーチン大統領に
最も近いされる人物でもあった。
プーチン大統領も圧力を強める。
2021年春、ウクライナ国境付近に
10万人規模の軍隊を終結した。
大々的な軍事演習を開始した。
その様子はロシアのテレビ局で放送される。
2021年5月のゼレンスキー大統領へのインタビュー。
「ロシアによる国境付近の軍備増強を
非常に懸念しています。
2014年のロシアによるクリミア併合と
それに続くドンバスでの紛争以来、
我々は一貫して表明してきました。
事態はいつエスカレートしてもおかしくないと。」
無防備なこの国に
プーチンの野望を抑える術はない。
隣国ロシアの大統領プーチンとどう渡り合うか?
それがゼレンスキー大統領の最大の課題であった。
ブタペスト覚書
ウクライナは1994年
英米露の安全保障と引き換えに
ウクライナの核兵器を放棄する約束をした。
ゼレンスキー大統領
「国際協定は遵守すべきものです。
ではブタペスト覚書は?
我々の安全は保障されていない。
効果が無い。
更に我が国が長年温めてきたロシアとの親交
血縁関係にある人も多く
歴史的、経済的つながりもある。
ソビエト時代のそうした関係も
効果が無い。
では残された手段とは?」
プーチンはウクライナが
独立国である事自体が気に入らない。
傀儡政権以外は誰が大統領になろうが
挑戦者に他ならない。
2021年7月
プーチン大統領はロシアとウクライナ、
両国民の一体性を主張する論文を発表した。
それは国家としてのウクライナを
否定するような内容だった。
プーチン大統領はウクライナに関する主張を続ける。
侵攻の3日前にも。
「ウクライナは単なる隣国ではない。
ロシアの歴史、文化、精神性と不可分な存在だ。」と。
2022年2月24日
ついにロシアはウクライナに侵攻。
ファシストとの戦いと云うのが
プーチン大統領の言い分であった。
「この作戦の目的は
ウクライナ政府による迫害と虐殺から
人々を守る事です。
ウクライナの非軍事化と非ナチ化が必要です。」
ゼレンスキー大統領は即座に応じる。
「彼らは我々をナチと呼んでいます。
800万人もの命を犠牲に
ナチスを打ち負かした民族が
何故ナチたり得ましょうか?
何故私をナチ呼ばわりできるのか?
祖父は第二次世界大戦では赤軍の兵士として
戦ったと云うのに。
我々を攻撃すれば報いを受けます。
決して背中を向けません。
最初のミサイル攻撃を受けて以来、
全国民がゼレンスキーの下に結束した。
政治的な違いを捨て
「リーダーはゼレンスキーだ」
との認識で一致した。
ゼレンスキー大統領はSNSで呼びかける。
「自由と尊厳以外に
我々に失うものなど無い。
それが最も貴重な財産だ。」
「奴隷にはならない。
それが我々の意思であり運命です。
我が軍への誇りは永遠です。」
決意に満ちたその声が
毎日国民を励ました。
ゼレンスキー大統領は真の大統領になった。
ある日の国民に呼びかける動画。
「雪です。
戦争同様に厳しい春です。
悲しいですね。
でも大丈夫。
我々は勝利します。」
そう言って軽くウインクした。
ウクライナ政府からの情報は
他国の言語でも発信され、
世界中の人がフォローした。
世界が注視する中、
彼は一世一代のパフォーマンスを演じている。
国の存続を賭けたパフォーマンスである。
フィクションの世界で様々な役を演じてきた
彼だからこそできたと思う。
現実の世界でも
その才能が必要に迫られ発揮されている。
ロシア国民にも語りかける。
「ロシアの皆さん、よく聞いてください。
ロシア兵の死者は数千人、捕虜は数百人、
彼らは派遣された理由すら知りません。
殺すか殺されるかです。
今すぐ戦争を止めるよう
ロシア政府に言ってください。
早ければ早い程
ロシアの犠牲者が減ります。
ロシアの皆さん、
昨夜キーウ(キエフ)で
複数の集合住宅が爆撃されました。
1941年の再来です。
ロシア国内で戦争に抗議する皆さんを
我々は見ています。
貴方達は私たちウクライナ人の声を聞き
私たちを信頼し始めてくれている。
私たちと共に戦い
戦争に反対してください。」
彼ゼレンスキー大統領は
ウクライナの声となった。
徹底抗戦を主張するウクライナ国民を見て
驚きは感じない。
世論調査では3割が武器を手に戦う覚悟があると言い、
8割がロシアは侵略者で
戦争の責任はロシアにあると言っている。
プーチン大統領は軍事侵攻から一日以内に
ウクライナが内部崩壊すると見ていた。
しかし現実には真逆の事が起きた。
国民が一致団結したのだ。
これはロシアの侵略者たちが
ウクライナ人の気質を殆ど理解していないことの
現れであった。
国民総動員体制が整った。
「自分の町は自分で守る覚悟です。
私たちの多くは民間人です。
皆ここで生まれました。
この町の幼稚園、学校に通い
育ったのです。
プーチンを阻止し
祖国を守ります。」
(若い女性のコメント)
今ウクライナでユダヤ系の大統領が
必死の形相で訴えている。
スーツを着もせず、無精ひげも伸びたままで
戦地から世界に向け
私たちの味方になってくれと叫んでいる。
深刻な事態です。
私たちは今ある責任を突き付けられている。
でも私たちがそれにキチンと向き合う事が出来るのか?
私は危惧している。
以上、NHKで4月24日(日)8:00に放映された
『戦時下の大統領 ゼレンスキー』より抜粋。
ゼレンスキー大統領
彼は世界史に残る人物となるだろう。
彼の活動を見て私は思う。
今、プーチンの野望と
習近平の野望。
日本は決して危機の圏外にはいないのだ。
だが、この国にゼレンスキー大統領のような
責任を以って国を背負うリーダーに
なり得る人物はいるのか?
私は自分のblogで
ゼレンスキー大統領と要素が重なる物語をUPしている。
それは『シベリアの異邦人~ワルシャワ蜂起編』と
『ママチャリ総理大臣』である。
いずれも戦争の危機を描き、
隣国の理不尽に立ち向かう姿を描いた。
私はこの国に、民意を結集し
悪しき力に立ち向かえる国になって欲しいと
心から思う。