このイラストは私のblogの読者様であり、
イラストレーターでもあられる
snowdrop様に描いていただいた作品です。
#13イラストのリクエスト〜『板垣退助』 - snow drop~ 喜怒哀楽 そこから見えてくるもの…
(snowdrop様のblogリンク先)
Snowdrop様
素晴らしいイラストをありがとうございました。
心から感謝いたします。
第22話 上野戦争
1868年(慶応4)4月4日
江戸城無血開城が決まり、
5月3日の総攻撃は回避された。
その前日の5月2日、
ようやく東征大総督府に追いついた退助は、
その時初めて総攻撃中止を聞く。
「へ?」
暫く頭の中がウニになる。
明日の作戦参加のため
死にもの狂いで駆け付けた今までの努力は
一体何だったのか?
しかし、西郷の説得を
意外にあっさり受け入れた。
退助の頭の中には迷いがある。
旧幕府軍などの旧勢力を
ここで徹底的に叩いておかないと、
後に禍根を残す。
しかし、江戸市中を戦火で覆い蹂躙すると、
お菊の住む日本橋の店も被害を受ける。
退助は常にお菊の安否が気がかりだった。
実は無血開城の交渉が決裂した場合、
勝海舟は江戸市中に火を放つつもりでいた。
薄皮一枚の自制による合意が
江戸壊滅を回避した。
5月13日東征大総督 熾仁親王が江戸城入城。
正式に大総督府の管下に入り、
江戸城明け渡しが完了した。
しかし、江戸市中は不穏な空気が充満していた。
江戸に入った新政府軍に対する敵意が
むき出しになっていたのだった。
と云っても敵意をむき出しにしたのは
武士階級での話。
江戸庶民は市中が争いごとに巻き込まれるのを
恐れている。
将軍様が居なくなり、
それに仕えていた偉そうな武士がどうなろうと
どうでも良かった。
戊辰戦争の特徴。
それは武士階級での内乱であり、
一般市民が広く参加できる性格のものではない。
それはその後続く東北・北海道の戦いでも
同様である。
庶民は蚊帳の外での戦争であり、
その限定された階級闘争は、
後の自由民権運動の難しさを予感させた。
慶喜は御三卿一橋家出身。
一橋は10万石であるが、
一か所のまとまった領地を持つわけではない。
継ぎはぎの領地を合計し、
ようやく10万石なのだ。
故にその家格に相応しい家臣団を持っていない。
そんな中、側近の家臣渋沢誠一郎(渋沢栄一の従兄)、
天野八郎らが新政府に反発する者を集め
彰義隊を結成した。
彰義隊は当初、勝海舟により慶喜警護を任され
不平家臣や浪人たちの懐柔に利用されていたが、
慶喜の謹慎場所を江戸から水戸へ移されると、
頭取の渋沢誠一郎は上野からの撤退を主張する。
しかし武闘派の副頭取天野八郎との対立が発生、
彰義隊を脱退した。
これにより天野の新政府への徹底抗戦派が
主権を握った。
この当時、上野を拠点にした彰義隊をはじめ、
不平旧幕臣たちによる薩摩藩士殺害、
肥前藩士や尾張藩士などのテロ行為が散発した。
更に輪王寺公現入道親王(後の北白川宮能久親王)
を擁立する暴挙に出る。
つまり天皇がふたり存在する事態となり、
外国列強勢力は広くこの事件を報道した。
「えらいこっちゃ!!)
この事態に及び、東征大総督府は
上野の東叡山に集結する
旧幕府軍を討伐する決定を下す。
指揮官の大村益次郎は
敗残する彰義隊の逃亡に前もって備え、
忍に芸州藩、川越に筑前藩、
古川に肥前藩を配置する周到さを見せた。
更に上野を封鎖するため各所に兵を配置、
神田川、墨田川、主要街道の遮断。
三方に兵を配備、
根岸に敵の退路を残し逃走予定路とした。
討伐作戦計画の説明を聞いた西郷隆盛は
作戦を指揮する長州藩の大村益次郎に
「皆殺しにするつもりですか?」
と聞く。益次郎は一言、
「はい、そうです。」
平然と答えた。
作戦を聞いた退助。
ある決心をする。
この戦乱にお菊を巻き込むわけにはいかない。
治安の悪い江戸市中での危険を冒し、
お菊の元に駆け付けようと考えた。
周到な変装に身をまとい、
日本橋のお菊の元へ急ぐ。
あくまでも私用での市中移動に
供の警護をつける訳にはいかない。
二度と自分の命を守るために
部下を失わないと決めていた。
退助は八王子での一件を
一生忘れられないであろう。
大隊指揮官として
どれだけ軽率無謀の誹りを受けようと、
人の生死には代えられないのだ。
目指すお菊の店舗に辿り着くと
ひっそりと閉ざされていた。
裏に回り戸を叩く。
何度も何度も叩いていると、
中から一人の男が出て来た。
巧妙な変装により
すぐには訪問者が退助と分からない。
しかし退助が
「お菊に会いたい。」と声をかけると、
状況を察した留守番の男は、
「おかみさんはここには居られません。
ひと月ほど前にお国に避難されました。」
「ほう、そうか。
ここには居らぬか。」
「はい、おかみさんは、最後までここに残ると
申しておりましたが、旦那様の説得で
引きずられるようにお立ちになりました。」
退助はお菊の気持ちを慮(おもんばか)った。
戦乱が迫り、必ず自分が迎えに来ると信じるお菊。
逃げ出そうとする筈はないのだ。
お菊の不在を知った退助は
もうここに用はない。
「邪魔をした。」
そう言い残し、急ぎ隊に戻った。
戻った退助は、来るべき彰義隊との戦いに
臨むつもりでいた。
しかしその前に前哨戦が始まる。
1868年(慶応4)江戸城無血開城に従わぬ
旧幕臣の一部2000人が船橋大神宮に布陣。
5月24日船橋にて新政府軍800人と衝突した。
数に勝る旧幕府軍を見事撃退、追撃し
5月27日の五井戦争も勝利する。
そうした中、東北地方・新潟で
奥羽越列藩同盟が結ばれた2週間後、
7月4日新政府軍10000人が彰義隊4000人を攻撃、
上野戦争が始まった。
新政府軍は土佐隊の活躍や、
佐賀藩の新装備、アームストリング砲の
強力で絶対的な威力により、
彰義隊を撃退、その日のうちに
新政府軍圧勝で上野戦争は幕を閉じた。
赤熊(しゃぐま)の被り物をして戦う迅衝隊。
いずれの戦いに於いても獅子奮迅の活躍を見せる退助。
土佐の赤熊隊は戦(いくさ)を重ねるごとに、
その勇猛果敢の戦いぶりから名声を得てきた。
八王子での死闘を経験した退助の采配は、
それ以降別人と云える指揮を執る。
お菊を一日も早く江戸に戻したい。
それと退助の描く自由な世を造りたい。
迅衝隊、断金隊、護国隊等を率いながらも
わが身を守るため命を落とした部下二人を思い、
冷静沈着、緻密にして勇敢な指揮官になっていた。
そんな退助に、思いもしなかった話が持ち上がる。
退助が戦の最中の江戸に戻ったわずかな間、迅衝隊総督 深尾成質から
意外な提案を告げられた。
本国の土佐に新婚の嫁が居るのに、
江戸住まいのある女性を権妻(妾)としてどうか?
との打診であった。
「へ?」
この回2度目の「へ?」である。
つづく
意外な提案を告げられた。
本国の土佐に新婚の嫁が居るのに、
江戸住まいのある女性を権妻(妾)としてどうか?
との打診であった。
「へ?」
この回2度目の「へ?」である。
つづく
最後の「へ?」
続きが気になります😆✨🎵
また楽しみにしています😆🌸☀️✨
あれは朝敵征伐せよとの錦の御旗ぢゃ知らないか
錦の御旗の威力は想像以上に凄いと改めて思いました。
戦闘シーンの描写をもっと詳細にできたらと思いましたが、
話が長くなり、横道に大きく外れてしまいそうなのでやめました。
まだまだ戦の場面は続きますので、少しづつ出してゆこうと思います。
今後もお付き合いいただけると幸いです。
コメントありがとうございます😊
とても励みになります。
もしよかったら、今後もお付き合い頂き、
ご期待いただけたらと思います。
いつもお付き合いいただき、心より感謝申し上げます。
楽しみです…((o(^∇^)o))ワクワク