YouTube動画からお借りし、拡散したいと思います。
この動画には2頭の忠犬が紹介されています。
飼い主である人間と犬の深くて強い関係に、感動し涙する事もあるでしょう。
でも犬を飼う資格のない無責任な飼い主もいます。
私はそんな資格のない飼い主のひとりでした。
私がまだ若い頃、付き合っていた彼女と別れ、どん底の傷心状態にいました。
その彼女には飼い犬が居り、私もその犬に対し少なからず関わりを持っていたため、突然の別れにその犬との関係も絶たれてしまいました。
その時の孤独感からくる寂しさに、私はそれまで考えた事もない大胆な行動に走ります。
(その彼女と犬を追いかけたのではありません。悪しからず。)
当時一軒家にひとりで住む私は、地域の動物管理センターに赴き、そこで収監されている盛んに吠え喚く捨て犬たちの中から、檻の隅で震えている一匹の柴犬を貰い受けたのです。
私はその雄の老犬に『ケイ』と命名し、自分なりに精一杯可愛がりました。
でも私のその行動は、別れた彼女とその飼い犬を忘れるためであり、たった一週間で薬殺される運命にある可哀想な犬を救うという様な、決して善意の行動だったとは言えませんし、自分の打たれ弱い心を癒す道具として利用しただけ、と言われても返す言葉もありませんでした。
その程度の動機で後先考えず突っ走った私に正しい犬の飼い方など知る由もなく、行き当たりばったりの関わり方しかできない。
本当にケイの事を心から大切に思い、可愛がってあげる事ができたのか?
後になって考えてみると、本当に心を通わせていられたとは言えませんでした。
ケイは昔の飼い主を忘れられなかったのでしょう。
幾度か脱走を試み、その度外界を流浪の末、野犬捕獲係の人に捕獲され、貰い受けた動物管理センターに連れ戻されたとの連絡を貰い、その都度管理料1万円を支払い連れ帰りました。
以後ケイは脱走の常連となり、またいつもの事かと思われる程でした。
私はそれほど脱走できる隙を見せたつもりはないのだけど・・・、やっぱり甘く隙だらけだったのでしょう。本当に無責任でした。
でも最後の脱走で連れ戻された管理センターから家に連れ帰る際、額に何か黒い点の様な物がへばり付いているのを見つけました。
「何だ?これ・・・。」
私がその物体を人差し指の爪で引っ掻く様に取ってみると、何やら虫のよう。
後から私よりもう少しだけ犬に詳しい人に相談すると、どうやらその虫の正体はダニではないか?との事。
日をおかずケイは急激に体調を崩し、病院に連れて行く間に急逝してしまいました。
それも後から知った事ですが、ケイの額にへばり付いたダニは除去したけれど、取り残したダニの持つ爪がケイの額の皮膚を突き破り、頭蓋骨さえも突破し脳を破壊したのでは?
というのです。
だからダニは犬にとって命取りになる怖い存在なので、ダニを見つけた時点で直ぐに動物病院に連れて行くべきだったと。
そんな事全く知らない私は、無知であったが故に救えたかもしれない命を救えなかったのです。
無知であっても、もっとケイに愛情と関心を寄せていたら、異変にいち早く気付けたかもしれない。
要するに命を預かる身として無責任の誹りを免れないのです。
そんな私ですが、今の妻と結婚し、妻の飼い犬のシーズー犬『トム』(13歳)と同居しています。
私にとってトムは妻の付録でしたが、トムにとっても私は付録に過ぎない存在でした。
妻はトムを異常なまでに可愛がり、その姿は『溺愛』のレベルです。
トムのその性格は、頑固なまでに自分の意思を変えず、時々「コイツは(^_^;・・・・」と思わされる様なワガママ犬です。
そんなトムですが、時には我が家の序列最下位の私に(因みに、最上位:妻、次:トム、最下層:私)気を使ってくれる事もあります。
現在私は年配男にありがちな、平均的老人性疾患とも言える脚の膝を痛めています。
特に左脚が痛く、夜中に目を覚ます程。
今朝の事です。
そんな私を可哀想に思ってくれたのか、痛い所をずっーと舐めてくれたのです。
かねがね不思議に思っていたのですが、どうして犬は人間の痛い所を知っているのでしょう?
トムが私の痛む部位を正確に検知し、舐めてくれた事が過去に何度もあったから。
犬には人間には解らない特殊な能力があるのでしょうか?
無責任な飼い主として不適格者且つ、我が家の序列下位の私に対しても同情し、労わってくれる心根の優しい(?)トムに感謝しなければいけません。ナンテネ。
この世の中には核戦争を仄めかす愚か者や、エゴを剥き出しにして恫喝する者。
痴漢だのパワハラ・セクハラや汚職や企らみ、企てなど溢れかえっている人間社会。
今回のblogの主題は【忠犬】だが、
人間と犬と一体どっちが真に偉いと言えるのだろう?
実は犬の方が賢く優しく偉いのでは?
煩悩に塗れ(欲に溺れ)、無駄に武装した自尊心で固められた無様で愚かな私の姿。
果たしてトムにはどう見えているのだろう?
少なくともカッコよくはないわな。
生き物を飼うとか育てるのは、最大の体験であり学びであると実感しています。
共に幸せに生きる努力とか願いとかがお互いを成長させるのですね。
ケイを死なせてしまった経験は、私にとって一生逃げ出す事も消え去る事もできない記憶であり事実です。
せめてあの世では幸せに暮らしていて欲しい。
今一緒に暮らすトムには、残りの犬生、共に大切に過ごしたいです。