島・港・海岸

2017年03月21日 | 日記


若干のインターバルがあったが、父ちゃんの車のオーバーホールは半年かかり
電気系統、オイル系統、足回りが終わり、一応 納得した

「新車の走りが戻った。連休どこかに行こう」
という提案があった

こういう提案は、前日か当日、キャンセルされることが多かったので、あまり信用できない

でも
「どこ行く?」が多かったので、息子に聞いてみた

まず、押さえておかなくてはならないのが、行く気があるのかどうかで
聞いてみると、2センチぐらい顔が縦に動いた

どこがいい? と聞いてみるとかすかに
「うみ・・・」と聞こえた
中学生の頃は、山だったが、高校生になって、海になった
これも成長なのかもしれない

趣味の多い、父ちゃんの20代
レモンイエローからの赤いスポーツカーで、海釣りに行っていた(ヘビメタバンドもやっていた)
釣り場は、主に東京湾だったらしいのですが、
埼玉に越してきて、「海」と言ったら、千葉か茨城の海

「首都高を使って、東京を超えて、神奈川に行くのは辛い」
と、言っていた人だったが
今回は、神奈川方面に行ってもいい、という

足回りが良くなったので、首都高攻めめがしたくなった?



日曜日、早起きをして




観光船に乗って、無人島(旧海軍施設)






なんか 映ってる ?


その後、息子が経験したことのない おしゃれな 港湾の公園




イージス艦?や、潜水艦を見た




記念撮影






その後、荒々しい自然へ



その前に




ミサキのマグロ丼大盛


地層や、大地の隆起が見られる海岸へ (俺の釣り場)
この辺にくると、父ちゃんナビなしで、移動できる






もう、このころ、私の足裏は、痛み止めが効かないくらいで






ここまで行かれず、待っていた


そして、自己渋滞に巻き込まれながら 帰宅


20年以上前、デートスポットだった 大黒パーキングに寄った





ここは、私のお気に入りで、若いころ、週末の深夜に何度も来ていた
「久しぶりだね~」と 父ちゃんに行ったら

「俺は、あんたと、ここに来た記憶がない。何度もとかもない


あらら~~ワタクシ・・・ 誰と来てたんでしょう?


巨大なループを2周、3周して地上に降りる感じは、近未来的で大好きだった

あと、週末の深夜は、イカレタ改造車が集まるので面白かった

規制が厳しくなったので、ものすごい改造車はなかったけど
走り屋系の車のオフ会は今でも、健在のようだった







思春期の息子が、喜んでいるのか、楽しんでいるのか
ほどんどしゃべらず、表情をかえることがないので、読み取りにくい

親より前を歩いているときは、楽しんでいるで

ずっと前を歩いていた



父ちゃんの方が分かりやすい
父ちゃんの車は、オートマですが、ギアにマニュアルモードが付いている

道の前方が開けていたり、見通しのよいカーブが続くと

ものすごい速さで、ガチャガチャ ギアチェンジを始める
車の性能の限界に挑戦して、脳内麻薬の全開(大げさ)

私も息子も、Gに耐えるため、ドアの上についている取ってを掴まないと、振り回される

息子が助手席を嫌がる原因の一つ


途中で事故渋滞に巻き込まれたが、それほどイラつかず
眠気が出たとき、息子も参加しての「しりとり」

息子が父ちゃんに気を使った


私は、足裏事情で、座って待っていることが多かったのですが
楽しい一日でした


スペシャルキャンペーンと、断酒で 父ちゃん
切れることがなくなり

高校生になっても、一緒に出掛けてくれる 息子にも感謝



で。ふくらはぎと、太ももの 筋肉痛に悩まされる 月曜日でした
足裏はねぇ~~ ため息が出ます



月曜日も父ちゃんは、車いじりをしていた

ゴム系を全部交換したいのだそうです


以上
猿島・横須賀・城ケ島でした
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亀とお酒と・・・思い出

2017年03月09日 | 日記

どこかのお祭りで、鯉にお酒を飲ませる とういう行事があり

「虐待だ!」

と、炎上しているという、記事を見て思い出した



私が子供のころ
(もう、40年前。子供時代が半世紀前って・・・・)



家の裏に、大して整備されていない、大きな公園があり
大きな農業ため池があった


台風や大きな雷雨の翌日

公道を、ノコノコと 亀が歩いていた(蛇やカエルも)
公園のため池から流されてきた ?
よくわからない


そのころ、父母と祖父は農業をしていた

道路と言っても舗装されていない砂利道で

「車にひかれたら可哀想だと」


父や、祖父が見かけると、連れ帰ってきた

亀は木の樽にいれられ、餌をあげていた

木の樽は漬物用で、入れ物がそれしかなかった



私と弟のためなのか
亀は 2,3日 樽の中にいた

樽が大きく、つま先立ちして、覗いていた


「亀を公園に返し行くよ」

祖父だったか、父だったか覚えていない

そう声がかかると、弟と一緒に眺めていた



どういう理由なのかわからないが


醤油さし程度の大きさのお皿に、お酒を少したらし、亀に飲ませていた


舐めた亀と、首を引っ込めてしまう亀がいたような気がする


亀が家に来ることは、よくあったので、あまり覚えていない




大人だけが飲む、お酒を亀に飲ませることが不思議だった




気になって、グーグル先生で調べてみたら
亀にお酒を飲ませる風習は昔からあったようで


葛飾北斎の絵にも「お酒を飲む亀」があるらしい



八千代の時代から、浦島太郎さんのごとく縁起物で

お酒を奢って、福を招く





その公園は防災拠点として、雨水処理施設として、近場の観光地として
今は立派に整備され、上下水も整い、道路も整い、水田も畑もなくなった

一応、都内です


台風のあと、亀がノコノコ歩いているところを見かけることがなくなった



今、住んでいるところは、部分的に
首都圏郊外型住宅地  水田 
明確に分かれていて、やはり、亀は見かけない



亀にお酒を飲ませたら、やはり 動物虐待になるのかな?


でも、うちに野良亀がきたら、私は お酒飲を飲んでいただきたいと、思うかもしれない


同じような習慣をご存知の方、いますか ?





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