先日、高校の同級生の集まりがあり
部活の友達4人でランチした
もともとは、5人組だった
みんな、生まれも育ちも都内だったけど
今では一都三県にちらばり、集まるのは大変なこと
結婚・子育てに忙しかったころは年賀状程度のお付き合いだった
5年前から、1年に1度程度の集まりがあります
きっかけを作ってくれたのは
KEI子さんで、5年前に亡くなりました
H子さんは、警察官の奥さんになり、3人の娘の母
M子さんは不妊治療をあきらめて、10年後に想定外の妊娠をして42歳で出産
いまだ、子育て奮闘中です
Y子さんは 下町の製造会社の奥様で、経理兼2児の母で、義父母と同居だけど
経済的には安定している
M子さんは、子どもが生まれてからキャラがかわり
教育環境が悪いからという理由で
千葉の家を売却して、横浜に新たに戸建を購入した
話題は、子どもの進路が多く
H子さんの旦那さんは、生活安全課から、機動捜査隊に移動していた
(あの手の服はもうフリマで処分したそうです)
長女さん
大学を半年で中退して、今はフリーター
親の扶養にはいったまま、お小遣い程度の稼ぎで満足しているらしい
次女さん
進路未定のまま高校を卒業して2年
家事手伝いと言う名の、ニートになってしまい
引きこもりではないので、リビングにいる
掃除程度の家事はするけど
「働け!」というと、首をかしげて「う~ん」というのみ
1年かかりで説得して、合宿運転免許を取りにいかせ
「何か変わることを期待した」親ですが
免許収得後も、変わらない生活
小遣いは渡していないけど
友達がいないから、お金はいらないそうです
3女さん
短大生 入学と同時に就活がスタートしているようで
これはちょっとかわいそうな気がする
Y子さんの長女さん
絵が好きで、アニメが好きでアニメの専門学校を卒業して
アニメーターになった
毎日出勤し、自分のデスクで絵をかいていたけど
雇用ではなく、委託契約で 1枚100円で働いていた
普通で6万 徹夜した月は10万くらい
「でも、楽しそうだったから・・・」Y子さんは言っていた
「でもねぇ 腰を痛めて、療養中なの。」もうアニメーターは辞めるそうで
就活もしている
24歳で、職務経歴なし になるそうです
長男さんは 大学生
20代が数万円の収入で満足している
3人娘の母が言う
「3人とも彼氏とかいたことないの。ちゃんと働かないと、出会いなんかあるはずないよね~
なんでこうなってしまったんだろう」母の悩みは深い
社会問題化している、フリーター、ニートが 身近にいて
改めて、子育ての難しさを実感したワタシ
孫がいるのは、
KEI子さんだけで
最後の入院の知らせを聞いたとき、2度お見舞いに行き
お子さんとお会いした
一番早く結婚して、一番早く出産をして、一番最初に逝ってしまった
当時、長女さんは 国立大学の看護科の4年生で
緩和ケアにいる、母に適切な介助をしているところを見た、
なんだかうらやましく感じてしまうほど
その頃、私は病んでいた
長男さんも大学生で、母を見舞う時
着ぐるみをきたり、女装したりで、病院内を沸かせていた
その後有名企業に就職して
24歳でパパになった
あと4年発病が遅ければ、、KEI子さんは、孫を抱けた
「なんで、KEI子の子は ふたりとも、しっかりしているんだろう」
ため息をつく、3人の母
聞きたくても、聞けないところにいる彼女は言うだろう
「あたしの子だからよ」
案外近くて聞いていたかもしれない
旦那が失業して、私が働いた最初のパート先に
42歳で年金暮らしの親の扶養に入っている女性がいた
社員に残業を頼まれても「103万超えちゃうから・・・」と断っていた
契約を変えて、社保に入れる時間働くようにと、彼女の今後を心配した社員が
何度も説得したが、「嫌がった」
作業仕事なので、スカート厳禁の職場だったが
彼女はスパッツの上にピンクのヒラヒラミニスカートをはいて、ひんしゅくを買っていた
(バレリーナが着る、チュチュというスカートだと思う)
「えっ~~~ お母さんはカワイイって褒めてくれたよ」
全然気にしてなかった
何でもお母さんに決めてもらっていたようで
20代の頃、結婚したいと思った男性がいたが、母に駄目だしされて、素直に諦めたらしい
「お母さんが駄目だって言うから・・・」
その後の彼女のことは知らない
子どもを、大人にするのが
難しい時代になってしまった
いったい何が変わってしまったんだろう
さっぱりわからない
両親に似て、メンタルが弱い うちの息子(本人も認めている)
一人っ子なので、どうでも、自立させなくてはならず
取り越し苦労ばかりしている
同級生のお墓詣りは
毎回母のお悩みと旦那の不満で盛り上がる
幸い、介護の苦労はまだ誰もしていない
お墓の前で声をかけた
「もう少し待っててね」