待ち人来たる 2

2019年05月13日 | おとうちゃん



例えば、私はブログを書いているけど
それは私の一部分であり、全部ではない


ハンドルネームの私と本名の私は結構ずれている

その部分を意識して、人のブログを読まないと、大きな誤解をしてしまう

七子さんのブログを読むときも、そうだった

「書いて吐けば、いくらか楽になり、リアルな生活に立ち向かえる」

そう思っていた

実際に書いていることがものすごく大変な状態であっても

例えば、行間とか、文の締め方 「。」の前にその人らしいさがあったりする

七子さんは、いい意味で、したたかで、いい意味で、鈍感な部分があり

うまく流していることを感じていた

「なぜ、わざわざ困難な道を選ぶ?」

実際にお会いして、声を聴いて、お話をすると

どうしても、そうなってしまう という人柄を感じた
そして、いろいろあるけど、何とかしてきている彼女の強さを感じた

もちろん、そばにいてくれる旦那さんがいるから
乗り越えてくることができたのだろう


七子さんが更新を止めている
その後のご家族のことを
聞くことができた

この事を、私は書いてはいけない


ただ、ご夫婦が、家族の話をするとき

「うちの娘たち」という言葉で始まって

長女が・・・・次女は・・・・三女は・・・

という話を何度も聞いた

旦那さんもそうだった

それぞれの子を、一つにまとめてから、話しだす

この言葉を聞いて、やっぱり^^と思った


結婚前からいろいろ大変なことがあり、結婚してからも
さらに困難があったけど


2人は 家庭という、幹や根をじっくり育て、
家族という枝葉を広げていっている


2人の雰囲気はよく似ていた

Мさんは、優しく、穏やかで、よく気がつく人だった
なによりも「できる人」だった


本来なら、私がご案内をしなくてはならない立場だったのだけど

私も初めての場所で、調べてもよくわからなかった


Мさん 現地調達した、観光ガイドとスマホの地図で、効率よく
回るコースを考えてくれて

私らがおしゃべりしている間に、段取りをたて

「次は右に・・・ここから、レンタル自転車・・・」

というように、面倒がらずに、私たちを楽しませようとし

妻、七子さんの要望に応えていた


Мさんが公務員で、優秀な人だとは知っていたけど

職種を聞いて、ビックリ

お世話になったことがあるが、レアなお仕事




結婚して3年くらい

と、言っていた

新婚さんの雰囲気もあり、20年連れ添ったかのような
気軽さもあった


(うちは、まだヒリヒリしている)



七子さんのブログによく出てきていた言葉

まったり、のんびり


本当にその通りだった






七子さん
Мさんに出会えてよかったねーーーーー♪













なんか、文字サイズも、プレビューも カテゴリの編集もできない
ちょっとごgoo
変だね




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どこいくの?

2017年05月29日 | おとうちゃん



土曜日、息子が突然言い出す

「明日Dと東京のLOFTに行く」


「ん?LOFTなら、すごそこにあるじゃん」


「Dの欲しものは、東京のLOFTにしかないらしい」



「で。どこのLOFT?」

「だから、東京のLOFT」


うーん 東京にはLOFTたくさんあるんだけど・・・・  突っ込まないことにした


息子は自分から行動することがあまりないので、いつもⅮ君まかせ よくわかっていない

日曜日
朝9時 東京のLOFTに自転車で向かった
久しぶりのロングライド

帰ってきたのは7時
煤煙で顔が真っ黒^^


昼過ぎ、旦那のアイフォンでどこにいるのかチェックした 池袋にいた
(あの日以来、息子が出掛けると、不安で不安でしかたがない)

旦那は旦那で、いつでも現地に迎えに行けるよう、車の解体修理を我慢していた





何気なく聞いてみた

「浅草行って、湯島天神行って、池袋に行った。浅草まで2時間かかったけど、あとは楽だった」


へー池袋だけじゃないんだ

Ⅾ君の欲しいものはみつかったの?


「あった。俺新しい筆箱かった」

「お昼は?」

「牛丼特盛」


テンションが高いので、良くしゃべる

あと、2,3人、自転車仲間がいるといいねぇ


「うん」



何キロ走った?

「わかんねぇ Dはスマホアプリで計っているけど。100キロ以上かなぁ」


息子2度目の 冒険の書は 池袋のLOFTでした


田舎の子は、東京に行きたがるよね






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父の日

2017年05月15日 | おとうちゃん


昨日、日曜日は、全国的に母の日でした

しかし、父の1周忌法要のため

私らは、父の日でした

去年の今頃は、積極的治療に意欲を燃やし
副作用に苦しんでいました


遺影の父は年を取らず、私たち家族は年を取りました

お寺さんの高いところに、父の戒名を書き込んだ卒塔婆が並べられ
父は、あちらの人になったのだ

そう思いました

マツリゴトの仕切りはいつも父でした

その父がマツラレ、弟が仕切っていました




お昼は、近所のお寿司屋さんでした
親族だけで、集まりました


お料理の最後にお蕎麦がでましたが

立派なお刺身とてんぷらを見て

育ち盛りの、男子二人は、最初に

「ご飯がないと食べられない」と主張し

大盛ご飯を別注し、食べきれない、叔父叔母の分も食べきり、母を喜ばせました


久しぶりにお会いした、母方のおじさんが、息子に「身長何センチ」と尋ね

息子は「176センチ」と答えていました


えっ 174センチだったよね
高校に入り、2センチ伸びていたようです
道理で、運動部辞めたのに、よく食べるはずです




穏やかな良い一日でした






父の葬儀。告別式のとき、ブラックフォーマルツーピース着たました
パツンパツンで、背中のジッパーが半分しか上がらず、上着で隠していたワタクシ

-5キロのおかげで、スッー と入り、ジッパーも何の抵抗もなく、上まで上がりました


重ね重ね、良い一日でした



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マツリゴトのあと

2016年07月26日 | おとうちゃん

 

 

父が家に戻る

葬儀屋さんの指導で

神棚に半紙が貼られ

仏壇の扉が閉められた

 

父専用の祭壇が設けられた

 

お通夜で

坊主から、戒名をつけられ、仏弟子 僧都にされた

 

火葬場で、四十九日法要の予約を強引にされ

石屋さんも指定された

 

父の同級生に石屋さんがいて

母が頑張って、指定業者を拒否した

 

 

実家に行くたび、母が嘆いていた

お花が減って

「おとうちゃんの場所がどんどん小さくなる」

 

法要の日

ブリザードフラワーの仏用 花かごを持って行った

 

 

 

家を出る前

母は父の遺骨に 孫を読んだ

 

「おじぃちゃんのお母さんは、小学2年で亡くなった。妹もいたけど、若い時に亡くなってしまった

 おじいちゃんの子供時代はさびしかったけど、今はこんなにたくさん家族がいる。」

 

 

結婚してよかった、離婚しなくてよかった

息子ができてよかった

 

と、心の底から思った

 

坊主の長い話と、お経が終わり

父の肉体が確かに存在していたことを証明する 遺骨が地下に入った

 

これからは、位牌というものと、思い出だけが、父の存在の証となる

寂しい

 

実家に戻り

神棚の白い紙が はがされ、仏壇の戸を開け

位牌が納められた

 

坊主の呪文で 父は ご先祖様になった

 

 

 

東日本大震災の時、本堂が半壊し、立て直しになった

寄付と言いながら、料金表があった

 

実家のお墓は二 マス分あるので

基本料金30 × 2

院号一人につき プラス10

 

 

祖父は 養子だったので 曾祖父に 院号をつけた

父は縁の薄かった 自分の父に 院号をつけた

 

父は80 寄付していた

法要の前、坊主はここを強調した

寄進者名簿  大きな看板の 上のほうに 父の名前があった

 

告別式のあとくらいから

弟は 坊主から プレッシャーをかけられていた

「先代さんと同じお付き合いを・・・・」

 

 

新盆も訪問する 日時が指定された

例年、坊主の都合で、お経をあげにくる年があったり、なかったり

 

指定されたら 5万

 

施餓鬼法要もするように言われた  5万

 

 

弟はだいぶ参っていた

父のときは、なんとかできそうだが

母のときは無理かもしれない

 

自分がなんとかしても

息子には・・・・・

 

 

弟のラインでは

坊主と金  という言葉が 何度も入る

実際の支払いは、母がしているが

今後のことを思うと、気がめいるようだ

 

 

マツリゴトは ひとまず 落ち着いた

 

母が寂しそうなので

「坊主のいうことは、業務上の絵空事で、おとうちゃんの 心はここにいるよ。成仏なんかしてないよ。

 見えないけど、ここで、今まで通り暮らしているよ」

 

少し、母が笑顔になった

 

ゴーダマ・シッタルダ は あの世のことなんて語っていない

前世の行いが悪いと、不幸に生まれる

不平等な世界で、幸せになるにはどうしたらよいのかを考えた、カースト制の国の王子さま

 

 

父は仏弟子になることを望んでいたので、あれでいい

母は父のところに行きたいというので、同じでいい

 

私は、私の信条に従い

実家のそこかしこに 父の存在をかんじ、思い出して 泣く

夜中に思い出してなく

夢で会って、朝泣く

マツリゴトが終わって

 

 

あの 坊主  一度蹴とばしてやりたい

いつか必ず、蹴とばす

 

本堂再建の前に 跡取り 小坊主用の 家を建てている

あれだけ集めれば、何件も家は建つ

 

 

 

 

 

 

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最後に見た夢

2016年06月24日 | おとうちゃん

人は最後の瞬間美しい夢をみるという

お花畑・光・虹・懐かしい人

自身の人生を振り返る

 

立花隆さんの著書によると

最後の瞬間、その時だけ活動する 脳の組織があるらしい

父は最後にどんな夢をみたのか

そんなことを

ここ数日考えていた

 

 

 

 

非常に暗く、長く、重いです

 

 

 

犬神サヘエには、娘が三人いた

マツコ・タケコ・ウメコ

男子がいないので、マツコに養子をとった

養子は フユヒコ(私の祖父)

マツコとフユヒコの間に 男子 イチロウ(父)  女子 ハナコ ができた

 

タケコは嫁に行った

不幸は突然起こった

マツコが病気で亡くなった

イチロウ 10歳 母を亡くした

 

養子なので、外から 後妻を迎えられない

まだ嫁に行っていなかった  ウメコ

サヘエが決め

ウメコとフユヒコは結婚した

戦前の話である

イチロウとウメコの年齢差は 10歳

 

 

ウメコは気性の激しい人で、この結婚で少し壊れた

ウメコにも 1男2女ができた

 

イチロウとハナコに猛烈ないじめをした

       オンナはオンナを より激しく攻撃する

 

ハナコは座敷に上がることを許されず、土間で生活をし、一人で食事をとった

フユヒコは娘を愛していたが、会話をすると  家付き娘の ウメコが激高する

 

フユヒコは 土間の炭火の灰の中に 手紙と小遣いを隠して ハナコに渡した

唯一のコミュニケーションだった

 

イチロウ(父)が19歳の時 妹 ハナコ 16歳

ハナコは農薬を飲んだ

 

父は妹を、祖父は娘を守れなかった

 

この事件で、 ウメコの精神はさらに病んだ

一度癇癪を起すと、何時間も 怒り、わめき、暴れ続ける

今なら、何かの病名がつくだろう

 

 

イチロウに縁談が来なかった  来るはずがない

この家に娘をやろうと 考える人はいない

 

フユヒコは 伝手を頼って、遠い縁の親戚(事情を知らない)に仲人を頼んだ

チヨコ(母)との縁談があった

 

チヨコの両親は 縁談を急ぐ、フユヒコを怪しみ

聞き込みをし、事情を知った

 

 

何度も話し合いが持たれた

長男が二人いる状態を解消しないままでは、嫁にやれない

 

高齢だった 犬神サヘエ は決断した

 

長女の長男 イチロウが 跡継ぎである

ウメコ・フユヒコと3人の子どもは すぐに分家する

田畑は半分に分ける

約束は最初の方だけ守られ、もう一軒家が建てらた

 

 

本家 サヘエ・イチロウ・チヨコ  

    があこ キヨシ が生まれた

 

サヘエが生存中はそれでも、なんとか抑えがきいた

亡くなったあと、ウメコが長年貯め込んでいた イチロウへの憎しみがさらに激しくなった

 

あっちの家・こっちの家

私と弟は あっちの赤ん坊 と 呼ばれた

 

サヘエ亡き後、イチロウとチヨコが仲睦まじく暮らすことを ウメコは許さなかった

 

ウメコの娘の一人を送り込み、逐一 報告させた

私の叔母人あたるこの人は、まだ中学生くらいの年齢だった

「何を食べた・どんな服をきてたか・どんな会話をしていたのか」

 

叔母も荒んだ 

 

叔母は私たち兄弟を虐待した

   オンナはオンナをいじめる

 

繰り返された

アマリオボエテイナイ

 

フユヒコは分家から毎日 本家に通い

チヨコ・イチロウと農作業をした

ウメコが見ていないので、イチロウと仲良く、孫の私たちをかわいがることができた

 

しかし、ウメコはその様子をずっと 物陰から 隠れてみていた

郵便物はいったん分家に届き、開封されたから こちらに届いた

 

 

時々叔母に連れられ、あっちの家に行かされた

家はおろか、門のなかにも 入ることは許されず

あれこれ質問され、どう答えていいのかわからないので、下を向いてしまうと怒られた

何時間もただ立っていることが多かった

 

両親が農作業に出ている時間

ウメコが何回かきたのを覚えている

他の子どもを従え、ありとあらゆる引き出しを開けて覗いていた

 

恐ろしい時間だった 小学校低学年ころだったと思う

 

両親は 私が叔母からいじめを受けていることに気づいていた

私は大人の顔色をうかがう、陰鬱な子供になっていた

テレビと炬燵のある部屋から追い出され 土間に座っているとき、父母が帰ってきた

父は力なく、私を見て微笑んだ

 

妹を守れなかったように 娘を守れない

腹違いの妹を叱ると、その報復は半端ではなかった

 

イチロウ一家の存在を認められない ウメコ

 

しだいに 祖父 フユヒコは 来なくなり

土地を切り売りして生活し始めた

 

イチロウとチヨコは 田畑を失い

自営で加工の仕事を始めた

 

同居していた叔母は 成人し、会社で勧誘され、カルト教団に入って救われた

宗教にのめり込んだが、兄夫婦 に対して謙虚になり、食費を直接渡すようになった

叔母にとっては 実母である ウメコ 

叔母なりに苦しんでいた

 

私が高校生の頃

叔母は嫁に行った

彼氏が軽トラを借りて叔母の荷物を取りにきた

その日が最後だった

父は、お祝いを渡し、叔母は泣いていた

いつどこで 挙式をし、どこに住むのか 伝えずに去った

 

 

 

祖父 フユヒコが来なくなり

叔母がいなくなったが

その代り、白い車が 家の周りを ぐるぐる回り

時に停まって、家の様子を伺うようになった

 

ウメコに命じられ フユヒコや 免許を持った 他の子どもに運転させ

相変わらず、監視をしていた

 

 

ある時期

突然、アッチの家が取り壊された

そしてアッチの家の人たちがいなくなった

 

遠縁を通して、かなり 遠いところに引っ越したことがわかった

 

 

近くに住んでいるから 気になってしかたがない

離れてしまえば ウメコの 奇矯な行動が減り

息子夫婦は安心して暮らせる

 

祖父 フユヒコが決断した

 

 

以降 私ら家族は 父の 親族からの呪縛から解放された

田畑を失い 貧乏になってしまったが その方がずっとよかった

 

母は好きな服が着られるようになり

旅行にいけるようになった

父は町会で肩身の狭い思いをしなくなった

町会の人は、みんな 父の事情をよく分かっていた

 

 

父は、フユヒコを 父として尊敬していた

フユヒコの訃報が届いたのは、20年前

「最後の時間には 呼んでもらえると信じていた」

でも、知らされたのは半年後で、フユヒコと取引をしていた不動産屋からであった

この不動産屋だけが、フユヒコ一家の様子を父に知らせてくれた

また、私たちのことも、こっそり フユヒコに 伝えてくれた

 

 

「長男さん 4月に結婚しました。長女さんは11月に結婚するそうです」

ウメコたちがいないとき、病院の枕元で、私たち兄弟の消息を伝えてくれた

フユヒコは 涙を流して頷いた と 聞いている

 

 

父が亡くなる二日前

父と話をしていたとき、郵便物を見つけた

私学の同窓会通信 

宛名

父の 腹違いの 弟だった

 

「最後に会ったのいつごろ?」

「小学5年生くらいかなぁ」

「会いたい ?」

 

返事はなかった

 

 

父は 家族の縁が薄かった

葬儀の時にきた親戚は ほとんどが 母方だった

父かた親戚は いとこの 子ども もう 代替わりをしていて

顔がわからない

 

父方にも 叔父叔母と その子供がいるらしい

ウメコは父より 10歳 年上 生きているとは思えない

 

 

 

だから私は 父の見た最後の夢が気になってしかたがない

だれにもわからないことだけど

 

父の最後の夢は 自分の妻子 家族 孫ではなく

 

父の 母 父 妹 

マツコ フユヒコ イチロウ ハナコ

少ししかなかった 父の幸せだった子供時代に戻って

4人で楽しく過ごしている

そんな夢であってほしい

 

そうでなければ

父の人生の 辻褄が合わないのだ

 

 

父は許していたようだったが

私は  父方の祖父 父の継母  腹違いの 弟妹 の 存在を

消してしまいたいと思っている

 

 

弟も私も 幼い時の記憶がない

 

 

 

陰鬱な記事にお付き合いくださりありがとうございました

父の夢を書こうと思っていたのですが

私自身の人格形成そのものにまで、広がってしまいました

 

 

こんな事情はどこにでもありますが

私の遺伝子に ウメコが 混じっていると思うだけで

怖くて仕方がないです

 

 

 

 

 

 

 

 

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おとうちゃんが 残したもの 勝手に増えていくもの

2016年06月21日 | おとうちゃん

日曜日に実家に行った

旦那が珍しく

「お線香をあげに行こう」と言ってくれた

お酒を止めてから、穏やかになり

父が亡くなってから

さらに 優しくなった

 

実家には

家中に父の気配があった

 

テレビ台の上に 往復はがき

洗濯機のそばに  シルクの襟巻

玄関に   サンダル

洗面所に 歯ブラシ メンズ白髪染め 櫛

作業ズボン 

家庭菜園道具

防火用水の金魚

薬 メガネ・メモなど 

 

 

亡くなる二日前の日曜日

息子と実家に行っていた

終活を初めていた父

無駄に力がある息子に

バイトを頼んだ

 

 

 

天井をはがれたところを、はがす

すぐそばで、父が指示出していた

 

新しいスーツを買ったと聞いて

私は、派手な半そでのワイシャツをプレゼントした

これが最後だとは思っていなかったので

なんとなく、昔の話をして、孫たちの話をきいた

よく覚えていない

派手なワイシャツは納棺された

 

 

先週の日曜日の実家の庭

 

 

夏野菜

内孫ちゃんたちは、キュウリ・トマト・イチゴ・ベリー系

熟しているのを見つけると、そのまま洗わずに食べてしまうので

随分気を付かって、作っていた

 

 

 

生生姜に味噌をつけて食べるのが大好きだった

これも豊作

 

 

 

小ねぎの 鉢と  百合の鉢が たくさん

仏壇ようの 百合には 当分不自由しないと、母が笑っていた

小ねぎの鉢は 二つ貰って帰った

 

 

 

実家、裏の公道に 昔からのおじぞうさん がいる

今のおじそうさんは、父が施主

先代のおじぞうさんは、祖父が施主

先代さんは 暴走族に 何度も投げ捨てられて  顔がなくなって

父と母で 取り替えた

祖父の前はどうだったのか、もともと誰が設置したのか

聞いていない

父に聞いておくべきだった

 

 

 

地域の高齢者さんの間でついたあだ名が

「ぽっくりさん」

拝むと ぽっくり いけるらしい

 

着飾って、色々なものがおいてあるけど

父母が買っているわけではなく

色々な人がお供えをしていく

毎月新しいベビー服を持ってきて 着替えさせている人がいる

 

 

愛称 「ぽっくりさん」 の 話を聞いて

若いころ、

母を教祖、ぽっくりさん を ご神体にして 一儲けをしようと考えた 

ぽっくりまんじゅう ぽっくりお守り 

よこしまな私は不適格者

 

これからは、母と 弟夫婦で守りをしていく

 

「ぽっくりさん」に助けられた」と

色々なエピソードがあるのですが、宣材になってしまうので、自粛

 

 

※ しゃちくん 記憶にないかもしれないけど 見たことあると思うよ あの道だからね

 

父が ぽっくり 逝けたので、旦那と二人で 久しぶりにちゃんと 拝んだ

旦那はお線香をあげて、すぐに帰った

 

兄弟が揃ったから みんなで 位牌を作りたい 

母が言ったので

仏具屋さんに行った

 

母と弟で話を聞いていた

値段があってないような、仏具の世界

母は父と同じ位牌に入りたいと願い

大きめの位牌を購入した

92000円なり

 

「うちでは 〇〇杉を扱う 唯一のお店です」

〇〇杉を進めてくる

プラス100000円

 

暇な私と義妹さんは

本当かよ と 突っ込みながら

スマホで調べてみる

 

なんでもネットで買える時代

〇〇杉  はるかに安い

 

おかげで、スマホでネットするたびに

仏壇の広告が張り付くようになってしまった

 

一生懸命 花や猫 服 お料理の検索をするが

仏壇広告は強い

なかなか 取れない

 

 

四十九日の話し合いをして

家に戻った

 

 

父が亡くなったとき

父が戻る前に 枕花が 3かご 届いた

3つとも、不動産屋

 

実家には一山分

お墓・仏具・香典返しのカタログが届いていた

 

不動産屋の電話

私がいる間だけでも、3回電話がかかった

 

商機は逃してはいけないけど、未亡人になったばかりの 76歳には

キツイ

 

 

 

 

 

 

次は 「 ぼうさん 考 」

罰当たりに 戻ってきた私

いくらか 現実に戻ってきました

 

 

繰り返し 繰り返し 陰鬱なブログにお付き合いくださりありがとうございます

 

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ずっと 泣いていていたわけじゃない

2016年06月16日 | おとうちゃん

 

 

父が緊急搬送された

母と連絡がつかない

死亡が確認された

 

現実感がないまま、冷静さをうしない

なにをどうしていいかわからず

 

息子の高校と旦那に電話をかけ

母の携帯に電話をかけ

母のいそうな、親戚の家に電話をかけ

弟・義妹さんからの ラインを見

職場に電話をかけ

 

あとは 呆然としていた

 

息子が帰ってきた

無口で、必要最低限のことを、もごもご としか言わない息子だが

玄関に入るやいなや

「母ちゃん ダイジョウブ?」

と、大きな声で声掛けをしてくれ

私は、号泣してしまい、息子は手を握り、背中をさすってくれた

 

とーちゃんが 帰ってくるまでに出かける支度をしてほしい

そう、息子に言うと

火の元確認や、家中の鍵閉めまで、してくれた   

 

旦那は、知り合ったばかりの頃の 旦那に戻り

辛抱強く、私の混乱につきあってくれた

 

父と病院で対面したとき、現実を受け入れられず  泣いた

父が死体袋に入れられ、警察車両に乗せられたとき   激しい怒りで泣いた

 

父は、金曜日に 自転車で病院に行き

その帰り道、紳士服店により、夏用スーツを購入していた

年齢が重なるごとに、オシャレに気を使い

「汚い年寄りにはなりたくない」が口癖で、ちょっとの外出でも

ズボンの前に、しっかり 線がついものしか、身に着けなかった

 残念ながら、火曜日に亡くなった

 

父が戻ったとき、そのスーツを着せてることにした

 

しかし、父の変化が止まらず、ワイシャツのボタンがちぎれそうになり

納棺時に、葬儀屋さんが用意した変な着物に着替えさせることになった

 

旅たちのお支度

旅たちのお手伝い

旅立つ故人様のために

 

葬儀屋さんの芝居かかった声が 癪に障る

 

着物のあちこちに紐があり、縛れ という

足元の紐を縛り、そこから 変な着物の父の全身を見たとき

はじけた

 

「おとうちゃんは どこにもいかない。旅なんていかない。ずっとここにいる。旅 旅 って 意味わかんない」

叫んでしまった

 

 スーツを着ていた父は耐えられたが、いかにもな 着物は 嫌だった

旦那と息子に抱えられ、別室連れていかれた

過呼吸を起こしてしまった

 

父が箱に入る

そんなことは受け入れられず、見る気にもなれず、息子が持ってきてくれた袋を口に当て

泣きながら、呼吸を整えようとした

 

お通夜の時間

母がレンタルした着物に着替えたとき 

「アレッ。いつ美容院にいったの?」

「午前中行って、髪をセットして二日間持つように 固くまとめてもらった

 こぎれいにしておかないと、お父ちゃんに怒られるから」

 

ちょっと 笑った

 

 

火葬場まで、父の写真を持って、初めてハイヤー乗った

弟が思い出した

「があこちゃんの結婚式の時、ロールスロイスにみんなで乗ったね」

 

私らはハワイ挙式で、ロールスロイスがセットになっていたが

両親や親戚がバスでは申し訳ないと、もう2台用意をしたことを思い出した

 

「あんとき おとうちゃん ハワイに夢中で、結婚式のスケジュールが入っていることを忘れたんだよね」

 

 

 

 

 

火葬場は、耐えられなかった

「お顔が見られる最後でございます」

 

そんなはずない

できるわけがない

認めることができない

でも、粛々と進む

私は止めることができない

 

また私が、叫びだすのではないかと心配した旦那と息子が

ずっと腕をつかみ、背中をさすってくれた

いやだ いやだ いやだ 

見送ることを拒み、隅で座り込んでしまった

また過呼吸

旦那と息子は、そばにいてくれた

 

灰とお骨をみて、ようやく 諦めがついた

でも、受け入れたわけではない

 

 

 初七日法要が終わり

実家に帰った

 

家に着くなり

弟が叫んだ

「こんな葬式 お父ちゃんが最後だ。俺は家族葬で十分だ」

肩の荷が下りた弟の魂の叫びに、噴き出して、笑った

 

叔父さんが尋ねてきた

「お通夜に ヒラサワ カツエイがきてたけど、お付き合いあったの?」

 

父の遺影を眺めていた、母が答えた

 

「あの人は、ありとあらゆるお通夜にきてるのよ。どこのお通夜にもいるの。有名よ」

 

「大分前から、よーかい っぽい。あそこに住んでるんじゃないの?」

 

みんな笑った

遺影の父も笑った

父はこういうジョークが大好きだ

 

 

 

 

 

 

書くと、大分 気持ちの整理ができます

申し訳ありませんが、もう少しお付き合いください

 

 

 

 

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上・中・下・普通

2016年06月14日 | おとうちゃん

 

父は不祝儀に詳しい人だった

いくら包めばいいのかわからないとき

父に電話をかけて、きいた

 

父は町会長をしていたとき

地域で大きなお葬式があると、葬儀委員長を頼まれていた

一番詳しい人が、いなくなってしまったので

それは大変だった

 

病院の霊安室で弟と会ったとき

「お寺と葬儀屋さんに電話をした」と言っていた

 

ぼうさんは、8.9.10 がいいと言ってた

どうしてもなら、土日でもなんとかする

 

「旅行の予定でもあんのかな」 弟が笑った

 

菩提寺は幼稚園経営もしている

私も弟も、甥姪も この幼稚園に通っていた

園長と住職の兼業なので、土日は休みたいのだろう

 

検死の都合もあり、9日・10日に決めた

葬儀屋さんも、空いていると連絡をくれた

父はこの葬儀屋さんの互助会に入っていた

 

 

家に戻ってから、戒名のことで再び電話をした

「普通で50万です」

ゴニョゴニョ言われるより、はっきり言ってもらった方がいい

その上は100万だとも聞いた

 母にどうするか聞いた

「普通でいい」と答えた

 

翌日、葬儀屋さんが、父を連れて帰ってきてくれた

先に、ワンボックス車が来て

実作業をする人が3人来た

父を受け入れる準備をし、その後、父をきれいにしてくれた

 

 

父と弟が戻ってきた

 

父を乗せてきてくれた人がコーディネーター のような 話を始めた

父がいないので、弟と私で決めるしかない

 

祭壇の流行りは、花祭壇ですが・・・

写真を見せてくれた

神社みたいな祭壇より高いが、流行りなら仕方がない

花祭壇は 上中下 3パターンあった

 

地味な葬式だと言われたくないので   中 にした

 

窯を選べと言われた  これも 上中下  中 にした

 

お通夜の料理を選ぶ   中

 

香典返しを選ぶ      中

どれもこれも、上中下の3つしかないので その他 色んなものが中になった

 

困ったのはお料理の人数 

ネットで調べると、見込の人数の 5割

葬儀屋さんは 7割 と言った

見込みの人数なんてわからない

 

母に決めてもらった

150人見込んで、100人分注文した

 

葬儀場から 火葬場までの車の用意

24人乗りのバスを何台借りるか

これも悩んだ 親戚をざっと数えて20人 そこに当日加わる人

ギュウギュウでは失礼なので、2台にした

火葬場まで来てくれた人は 37人だった

 

喪主の母が 中 を1対選んだので

その他の花は  下 になった

 

駆けつけてくれた叔父が

「花は多いほうがいい」と言うので

弟夫婦と、私ら夫婦 2対 

おかしな話だが 孫一同で 一対

 

「子供がお花を贈るのはおかしい」

母が却下してくれた

 

叔父さん達も頑張ってくれた

その後、親戚やご近所さんから、お花を戴けるという連絡があり

直接、葬儀屋さんに注文して、支払いを済ませてくだった方もいて

お花はたくさんあった

 

 

「おとうちゃんが今までしてきたことが、帰ってきてるだけ

不祝儀には随分お金がかかった」 母が言った

 

支払いは、坊さんと 葬儀屋さんだけだとおもっていたが、違っていた

火葬場代(チップ別) 待っている間の 茶菓子代

車代(会社が違っていた)

花やさん

料理屋さん

酒屋さん  別々だった

 

 

支払いはいつなのか 尋ねたら

酒屋さんが 瓶を数えてから と 言われた

 

甥は 初めて見る ビン飲み物と王冠に驚き

王冠を60個ゲットし、栓抜きデビューもした

 

支払いの部分が明確でなかったので

お通夜・葬儀を通して

私と弟は 黒いショルダーバックを背中に背負い

母から預かった大金を 分けて持った

 

結局支払いは、告別式の翌日でよかった

 

お通夜の読経の時

弟はずっと ブツブツ 言っていた 「うっ!」 唸った瞬間があった

お経でも唱えているのかと思っていた

後で聞いたら、来てくださった方の人数を数えていた

 

エレベーターが開くたびに、7.8人 出てくる

150人を超えたとき、唸った

「料理が足りない お父ちゃんに怒られる」 本気で焦ったそうだ

 

葬儀屋さんにきいたら、お料理は十分 余った そうだ

余るくらいが調度いい

 

お通夜に来てくださった人は 180人だった

 

自宅に戻り、告別式のことで、12時近くまで 話し合いをした

まだわからないことがある

 

その時、天井の一部が 「コツコツ」 鳴った

弟は 天井にむかい

 

「おとうちゃん なんとかなってるよ ちゃんとできてるよ 」  

笑いながら、話しかけた

 

コツコツ は 止まった

 

 

 

 

 

 

 

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今日からお仕事

2016年06月13日 | おとうちゃん

ざ~ざ~降ってます

 

本日から仕事復帰

先週の火曜日、2度電話をして

2度目の電話で

「今週のシフトは組みなおしました。仕事の事はもう忘れてください」

と、言ってくれた。現場責任者さんに感謝

 

現在、人手不足で、一人しか休みがとれない状況で

有休をとる予定だった、人はどうしたのか

 

 

 

いやいや、アラカン・アラフィフの集合体

同じリスクを抱えて働いているので

お互い様です

 

非日常空間に数日間どっぷりつかり、いまだに不安定

仕事=日常

 

いくらか、気持ちも日常に戻れるかもしれない

 

 

弟と母は、まだ非日常空間に住んでいる

父は、自営業だったが、亡くなるまで、地域社会と深く関わってきたので

弔問客が絶えないらしい

 

弟は役所関係を回り、石屋さんと、仏具屋さんと

四十九日にのために、発注作業がある

 

義妹さん

お母さんは15年間に亡くなっていて

一人暮らしをしていたお父さんが、骨折で入院中

父の病気のため、言い出せなかった

 

これからは、

義妹さんが実家に行きやすいよう

母が協力しなくてはならない

 

と、昨日電話で、母と話した

 

 

 

気にかけて、心配してくださった

みなさん、ありがとうございました

 

まだまだ、私の 陰鬱な毒吐きは 続きそうです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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できることなら

2016年06月11日 | おとうちゃん

 

 

 

自分の死に方

死ぬ場所

選ぶことはできないけど

できることなら

病院の方がいい

 

心肺停止状態で病院に搬送された

救命措置は2時間まで

これは仕方がない

 

 

医師は死亡宣告をしたが、「死亡証明書」を書くことができない

と言い

警察に回された

証明書に変わるもの

 

 

 

警察は、監察医の「検案書」

これがないと、「死亡届」が出せない

火葬許可証がでない 

と、言った

 

 

 

検死案件が多く

戻ってきたのは、翌日の2時ころ

 

弟と葬儀屋さんが、連れ帰ってきた

 

父の顔は前日とまったく違う、見知らぬ顔になってしまっていた

葬儀屋さんが

「お風呂とか・・・検死があると・・・・」 

 

「警察の霊安室は常温なんです」

 

知らなかった

 

「現状(げんじょう)維持が基本なんです」

 

 

すぐに、納棺して 葬儀屋さんに連れて行けば良かった

そうした方がいいと、だれも教えてくれなかった

 

 

 

何度も葬儀屋さんに処置してもらったが

元に戻すことはできず、維持することもできなかった

 

 

この変化は、徹底的に

家族を諦めさせてくれた

 

「眠っているような」「すぐ、目を覚ましそう」

息を吹き返すかもしれない

 

そのような希望など 微塵も与えてくれなかった

 

 

 

父は

末期がんだったが

ピンピン コロリ  だった

 

でも、このご時世

 

ピンピン コロリ

警察は、許してくれない

 

 

よくわかった

 

医者がそばにいないと

全部、不審死なのか

 

 

 

自分の家に戻って

まだ 匂う

 

喪服が匂う

 

 

 

 

 

 

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