『宇都宮教会のいろいろ』   ☆ブックマーク欄「宇都宮教会ホームページ」も併せてご覧ください。

インマヌエル宇都宮基督教会牧師 山田 隆・勢津子
 TEL 028-621-8661 ※24時間対応しております

牧師・礼拝メッセージ(要約)

2012年09月03日 04時18分59秒 | インポート
【先週の礼拝説教回想】8月26日
・説教者 山田 隆牧師
・引照聖句 コリント第二2:14~17
・説教題  神の前のかぐわしい香り
▼人がキリスト者を見る時、その様相、ことに目、顔つき、品徳を見つけようとしましょう。標準的な人に接すれば、それらしい香りを直に感得されるでしょう。この点では人々は鋭敏な審美眼をもっているようです。観る人は共有のまたは自分に無いきよい品徳を識別するから。
パウロは13節、「私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。」と言っております。意外と思われそうだが、この例えられているローマ軍の凱旋の列には、捕らえられた捕虜が行列に加えられ、一層、迎える群衆の喜びを盛り上げるのでした。一見、憐れな列に加えられた人々に、キリスト者の勝利をなぞらえていることです。凱旋の列に加えられた捕虜の形態で勝利の行列を進んでいると言うことになります。真に負け惜しみでないのです。
 キリスト者の放つ香りによってある人たちは死から出て死に至らせるかおりとなり、ある人たちにとっては、いのちから出ていのちに至らせるかおりとなるというのです。
▼キリスト者からキリストの香りをかぐのであれば、それは救いの十字架を担うからです。そこから出る香りは本物です。この香りをある人たちは、救いの香りと受け止めて救われ、同じ香りを放つようにされ、ある人たちは滅びに至る香りとなるというのです。自分の不出来を思い、一瞬たじろぎます。
 キリスト者は、世が願う、世受けするスタイルをとりません。罪につき合わず、偶像を拝まず、一向に冴えない容姿、身分、健康、服装、生まれや育ち、住まいだったりしますから、受けなかったり、つまずきになりかねません。にわかに全部を証しできるには時間がかかります。時間をかけ、内に秘めて外に現れる何物かによらなければなりません。キリストの香りです。他に届くきよい愛とか、犠牲を惜しまない心がけのようなものかも知れません。ああ、しかし、未熟な私によって人々の運命が決まるとしたら。無理もふりも通用しません。真にキリストのように十字架を担い生涯を通すしかないでしょう。神が働いて、私たちの願い以上にしてくださいますように。しかし、アンデレがペテロを主イエスに導いたように、私たちを通して私たちを超える弟子・信者が起こされたいものです。粗末な者ですが主よ用いてください。
▼キリストにいつも目をつけ、御霊によって心に宿し、成長し、ありのままを生きる自然体でキリストの香りを放つしかありません。