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インマヌエル宇都宮基督教会牧師 山田 隆・勢津子
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牧師・礼拝メッセージ(要約)

2012年09月17日 04時55分30秒 | インポート
【先週の礼拝説教回想】 9月 9日
・説教者 山田 隆牧師
・引照聖句 コリント第二。4章7~17節
・説教題 宝、土の器の中に
▼私たちは疲労しやすく、怪我しやすく、死にやすい体を持っております。しかし、キリストを内に宿していますならば、この上ない宝を持っていることになります。肉体だけですと、いろいろの欲や誤り陥りかねません。コリントの教会の方々は、社会的生まれや、地位や、栄誉、聞こえや、人の評価するものに傾いていました。これはクリスチャンになって、神の新しい知識や心や道徳的規範があるはずの人に見られがちなのです。これで失敗をし、キリストを改めてよく知り、献身を新しくし、十字架で流された血、働きなさる聖霊できよめをいただくまで、人騒がせで、世的な心で人に勝った者として自分と他を苦しめたりする理由です。
1、7節『この土の器』私たちは、土になる弱い器です。キリストを宿して、神の力をいただきましょう。ここで、肉体は悪いものであるということではありません。実に精巧に造られていることを認識します。『人間は、霊とからだの不可分的結合体であって、この世において、体は肉体であるが、復活によって霊的なものに変えられ、栄化される。つまり、神の救いは、人間の霊だけではなく、からだをも含んだ全人的なものである(1コリ15:35ー53)。キリストの受肉、割礼、洗礼、変貌、十字架上の苦しみ、死、復活、昇天、栄化、再臨は、すべて「からだ」をも含んだ全人的なものなのである。』(新聖書注解)
土といえど貴い器であることも確かです。
▼「宝を、土の器に入れている」
この宝はキリストが私たちを輝かせ、力の源泉になられるのです。それは、私たちが自らを誇ることがないためです。私たちが誇ることがあるならばそれはキリストです。これが、この世で一番幸いで輝ける道でした。
▼三浦綾子が小説『氷点』で朝日新聞の懸賞小説で一千万円を受賞した時の夫光世兄から言われたことば。「この土の器をも」結び部分から:「綾子、神は、わたしたちが偉いから使ってくださるのではないのだよ。聖書にあるとおり、吾吾は土から作られた、土の器にすぎない。この土の器をも、神が用いようとし給う時は、必ず用いてくださる。自分が土の器であることを、今後決して忘れないように。」
▼この宝、各々器の中に持ち続けましょう。