【先週の礼拝説教回想】 9月 16日
・説教者 山田 隆牧師
・引照聖句 コリント第二。4章11~17節
・説教題 重い永遠の栄光
▼本日は5:17節、標準的なクリスチャンが受ける「重い永遠の栄光」とは何であるかを信頼出来る注解書や著書をそのままテキストにして学ぶ講解説教にしようと思います。新聖書注解から。4:16では<外なる人>と<内なる人>との比較、続く4:17では、今の時の軽い患難>と<測り知れない、重い永遠の栄光>とを比較している。パウロは、ここで<今の軽い患難と言っているが、彼自身が経験した主のための苦しみは、主が与えてくださる「くびき」であり、「荷」であって、主がともに担ってくださるために<軽い>のである。またそれは、「将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば取るに足らない」(ロマ8:18) という意味である。それは、「富み栄えた」「豊かな」「力強い」の意味を持っている。その栄光は<測り知れない>栄光である。次に英国の有名な説教者C.H.スポルジョンが他の聖句(ルカ1:32彼は大いなる者となり・・」からの説教から、こじつけになるかもしれませんが、本日の「重い栄光」にフィッテングしてますので出してみます。『イエスは、母親の胸にいるみどりごであられたのです。それに続く状態も、決して偉大な姿ではありませんでした。むしろ軽べつされ、拒絶され、しかも十架につけられたのです。事実、彼は非常に貧しく、枕するところもなかったのです。そして人々に捨てられ、酒飲みの仲間のように扱われ、悪鬼につかれているとか、狂人であるとか言って非難されたことさえありました。この地上の偉い人々の評価によれば、彼はひとりの無学なガリラヤ人でありました。十字架につけられて、死なれた時はどうだったでしょうか。実に彼はこの上なく卑しめられました。その苦しみを見守る母マリヤは、剣で胸を刺し貫かれるような思いをしたのです。
地上にて人として知られ
わが罪と苦しみを負わされし彼は
今 とこしえの御座に座し
栄光の神として支配したもう
重い、永遠の栄光は、これを基に、共に世継ぎとして神に仕え、賛美する「義と平和と聖霊による喜びにある」永遠を受けることにありましょう。他の神の都と住居などはそれに付随して与えられます。
▼重い永遠の栄光をいただく望みを豊かにされましょう。
・説教者 山田 隆牧師
・引照聖句 コリント第二。4章11~17節
・説教題 重い永遠の栄光
▼本日は5:17節、標準的なクリスチャンが受ける「重い永遠の栄光」とは何であるかを信頼出来る注解書や著書をそのままテキストにして学ぶ講解説教にしようと思います。新聖書注解から。4:16では<外なる人>と<内なる人>との比較、続く4:17では、今の時の軽い患難>と<測り知れない、重い永遠の栄光>とを比較している。パウロは、ここで<今の軽い患難と言っているが、彼自身が経験した主のための苦しみは、主が与えてくださる「くびき」であり、「荷」であって、主がともに担ってくださるために<軽い>のである。またそれは、「将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば取るに足らない」(ロマ8:18) という意味である。それは、「富み栄えた」「豊かな」「力強い」の意味を持っている。その栄光は<測り知れない>栄光である。次に英国の有名な説教者C.H.スポルジョンが他の聖句(ルカ1:32彼は大いなる者となり・・」からの説教から、こじつけになるかもしれませんが、本日の「重い栄光」にフィッテングしてますので出してみます。『イエスは、母親の胸にいるみどりごであられたのです。それに続く状態も、決して偉大な姿ではありませんでした。むしろ軽べつされ、拒絶され、しかも十架につけられたのです。事実、彼は非常に貧しく、枕するところもなかったのです。そして人々に捨てられ、酒飲みの仲間のように扱われ、悪鬼につかれているとか、狂人であるとか言って非難されたことさえありました。この地上の偉い人々の評価によれば、彼はひとりの無学なガリラヤ人でありました。十字架につけられて、死なれた時はどうだったでしょうか。実に彼はこの上なく卑しめられました。その苦しみを見守る母マリヤは、剣で胸を刺し貫かれるような思いをしたのです。
地上にて人として知られ
わが罪と苦しみを負わされし彼は
今 とこしえの御座に座し
栄光の神として支配したもう
重い、永遠の栄光は、これを基に、共に世継ぎとして神に仕え、賛美する「義と平和と聖霊による喜びにある」永遠を受けることにありましょう。他の神の都と住居などはそれに付随して与えられます。
▼重い永遠の栄光をいただく望みを豊かにされましょう。