思い返せば、今までの私の人生は物質的なモノや、しなければならないこと、考えるべき事などの物事でいっぱいだった。
心は思考中心で次から次へと思考が押し寄せて来る毎日。
これが形に捕らわれてる意識の次元で、私の現実だったのだ。
私が告げられた「形あるモノに捕らわれる」とは、自分自身と世界を非常に深刻に受け止める、ということなのかもしれない。
久高島は本当に小さく、自転車で島を一周することができる。
どこを見ても最高な景色!
確かに「今に在る」と感じてるときは、思考はストップしていて空間の意識で自然を感じられる。
心に空間ができると雨や風や木々の揺れる音、光景や感触を楽しめる。
空を流れる雲を美しいと眺めることもできる。
やはり人間が触れ合うことができなくなった力が自然の中では働いているのだなぁと感じた。
状況に対して反応するのではなく、状況とひとつになる。
意識を失わずに思考を停止する。
空間の意識でバランスをとるということさえ、思いも、気づきもしなかった…。
ここがこの島で一番の神聖な場とされているところ。
祈りを捧げます。
ここは今に在る、あるがままにあるという本質を身をもって体感させてくれる島です。
島自体がそうなのですから。
それを知るために私はこの小さな島に導かれたのでしょう。
本当に「新しい自分になる」という意味を持つのかもしれませんね。
私は今回の旅で、もうクリアリングする必要はないんだと感じた。
私のクリアリングは終わりを遂げようとしている。
今後の課題は、時間・形あるものに捕らわれないということなのだろう。
何もない小さな島。
神聖な神の吐息、意識、バイブレーションが宿る本当に小さな島。
確かに私はこの島で神の声を聞いた。
意識を意識せよ。
意識を研ぎ澄まされ。
無条件の、形のない、永遠の意識。
静かであれ。
見よ。
耳を澄ませ。
今に在れ。
あるがままであれ。