夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

逞しき木立

2017年12月22日 18時15分57秒 | 誌編
半日で早退し、研修会の後、母校の近くを散策しました。

久遠の今

雲の上に青空が広がり、

関の流れが清く澄みきり、

魅せられる黄葉が、秘かに流れ去る。

せせらぎに、真砂がキラキラと映り、

ひと時がひと際美しく感ぜられる。

青春時代に木立の間を歩いた道、

見上げるともう遥か青空に届く木立

久遠の今を生きる汝は逞しきかな。



仏典を論ずると佛教を悟るとは異う

言葉、語学にこだわり過ぎて、

この文字は梵語では本来何を意味するのだなということを考証するほど、

およそ『さとり』に遠いものはないのである。

マタイにしても、マルコにしても、ルカにしても、ヨハネにしてもキリストの言った言葉を、

あんなに力づよく聖書の中に表現し得たのは、

キリストの言った言葉をただ頭で覚えていただけでは出来得なかったに違いない。

それを完全になし得たのはマタイも、マルコも、ルカも、ヨハネも

『久遠を流るるいのちに』に触れていたからである。










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