夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

常に『極楽世界の中』に身を置いて生活を生きる。・・・智者は自らその身を整ふものなり

2019年03月24日 12時45分13秒 | 真理の言葉
寒暖差が激しい毎日です。

花もその日ごとに表情が違います。

移り変わる環境も『己が心』の反映なりと申します。

明るい善き想念を抱き人生を歩むとき善き運命が開けて参ります。




道を極めるだけでは本当の生活は出来ません。



弓師は能く角を調え

水人は能く船をととのふ

巧匠はその木を調え

智者は自らその身を整ふものなり

阿含経 三十一



釈尊はただ角、船、木を調える技術の高さ、巧みさを述べられているのではないのです。

その素晴らしい技術と巧みさが自分自身の身の上と一体となっていなければならない。

例えば芸人が舞台で親鸞上人の生き様を素晴らしい芸術に現して見せたのに、

それが終わり楽屋で、手のひらを返したように

寝転んで聞きづらい野蛮な言葉を放っている姿を見ると興が冷めます。


このように『芸は芸』『自分は自分』と割り切るところに迷いが起こります。


自分の芸、自分の技術、自分の学問等を極めるだけでは本当の生活は出来ません。

画家、音楽、匠、学問等の秀でた天才は、その道を極めるだけでは

自らの身をあやまり、自らを調えることが出来なくなります。


その極めた道と自分の生活が一つになるとき、真の生活を生きることになる。

と釈尊は戒められています。




現代文明は、人間から直観力とそれから得た価値を奪い取っているようである。



弘法大師空海は『聲字即実相(しょうじそくじっそう)』

事物の本質である実相はコトバであり文字である。と直覚されたのです。



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