夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

愛は癒しなり・・・天地すべてのものの内に神の愛が存在している。

2019年02月09日 16時40分54秒 | 真理の言葉
気温が下がり始め寒くなりました。

世間は3連休であります。

買物のレジでの小さな心遣い嬉しいですね!


先日出講先で下記の質問がありました。

①『神の国は汝らの内にあり』
この『汝らの内』とはどの様なことですか?

②もし私の内に神が存在するのであれば、私以外の人達にも神が存在するのですか?

③信仰している人以外の無神論者の人達の中にも神が存在しているのですか?

④心を平安に保つにはどうすれがよいか?



①汝らの内』とは何のためにうまれたのであろうか、人生は何のためにあるのかという問題につながり、

人間にとって切実な問いであります

『汝らの内』というのは一体どこかという、


汝らの内とは即ち『自性』であるわれわれが本来持っている

真実の性(心のありかた)と示されているのです。

則ち人間本来の本性で、真の人間そのものである。

『汝らの内』則ち『本来の自分の本性』の中に神の国がある。

則ち皆さんの自性というものは、神人でありゴットマンであり、神なる人であるのであります。

端的に表現すると『人間は神の子』であります。

これを知り、かつそれを実践するとき人間は根本的に人生が一変するのであります。


② 我々の本質はすべて神なり

 我々の億兆の個霊(すがた)もことごとくただ一つの神の反映である。

 たとえば此処に一個の物体の周りに百万の鏡を置きてこれに相対すれば、

 一個もまた百万の姿を現す。

 我々の姿も相別れ、相異なるすがたを現すとも、

 すべて一つの神の『神霊』の写しである。

 このことをすべての生命を互いに兄弟、姉妹なりという。


吾々は五感で見ると姿、性質など別々に存在しているように見えているけれども、

 心の奥深い潜在意識の底では互いに共通の心を共有しているのです。

 だから相手の悲しみを悲しみとして、喜びを喜びとして享けとめることが出来るのです。


③たとえ無神論者であるとしても、信じる心は存在しているのです。

 ひと月働いてその対価として報酬を得られることを信じているからこそ懸命に働くのです。

 犬さえも可愛がると尻尾を振るのです。それは飼い主を信じているからです。

 そのように神は人間だけではなく生物、植物、昆虫、細菌などすべての生きとし生けるもの、

 有りとしあらゆるものを創造し給うたのです。

 故に天地すべてのものの内に神の生命が存在しているのです。



④如何にすれば平安の世界を得ることができるかと云う問いであります。


 愛はすべてを癒す。

 逆に人間の心がどうして不安になるかということであります。

 自分の人生が思い通りならないと不安、怒り、憎しみ、恨み、妬みなどの悪感情(ストレス)が渦巻きます。

 これ等は幼い利己主義から派生するものです。

 このような心をどうすれば解消出来るのかと云うことであります。

 自分自身の心を移入している周りの父、母、兄弟姉妹、親族、同僚、隣人などのすべての人々、

 生物、動物、物事等と和解することです。

 では和解とはまず一切の利己主義である自我を捨て去り、

 自分自身と和解し、自分自身を赦し、すべて人々を赦し、

 すべての人々に感謝し幸福を祈ることです。

 さらにすべての人々と自然を愛し讃嘆し祝福することです。






松と鯉・・・勝利



穏やかな日々














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