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名島城と名島弁財天

2011年11月13日 14時19分56秒 | 歴史

筑前 名島城(現福岡県東区名島)水軍の総師の小早川隆景が築いた海城。

天文年間(16世紀半ば)に立花鑑載が立花山城の出城として築城。

1587年(天正15年)3月 羽柴秀吉が九州征伐のため大阪を出発。

5月 秀吉が島津義久を降服させ九州を平定する。

豊臣秀吉は筑前国・豊後国・肥前国等を毛利の重臣小早川隆景に与える。

秀吉が淀殿を伴い名島城に立ち寄り宿泊する。弁財天を大阪城にも祀っていることもあり名島弁財天を参拝して“弁財天は福神なるに 荒れてさびしき貧神なり”と

水軍の総師である小早川隆景は三方に海に囲まれて、水軍の格好の立地である名島城を大改修して居城とする。

名島神社より弁財天を城内の弁天曲輪に移し城の鎮守とした。

1592年(文禄12年)3月26日秀吉肥前名護屋城に向かう。

1595年(文禄 14年)小早川隆景が安芸・備後(現広島県三原市)の三原城に隠居し小早川秀秋が307000石で相続する。

1597年(慶長2年)6月12日 小早川隆景の死。

           7月15日 巨済島の海戦で日本水軍敗れる。

1598年(慶長3年)8月18日 豊臣秀吉の死。

1600年(慶長5年)9月15日 関が原の戦い後小早川秀秋は岡山城に51万石で加増転封される。

1602年(慶長7年)      豊前国中津より黒田長政52万石300石で入城し名島城を廃城とし主な楼門・石垣等を福岡城に移築する。


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