哲学的に考察すると、宇宙は、自然と魂とからできている。したがって、厳密にいえば、われわれから離れているすべてのもの、哲学が「非 我 ナット・ミ-」として区別するすべてのもの、すなわち、自然と人工、すべての他人、私自身の肉体、これらのものは「自然」という名で呼ばれなければならない。<o:p></o:p>
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自然の価値を数えあげ、その総額を計算するさいに、私は、この言葉を両方の意味―普通の意味と哲学的な意味に用いよう。われわれのこの研究のような、一般的なものにおいては、正確性は重要ではない。思想の混乱は、おこらないであろう。<o:p></o:p>
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「自然」は、普通の意味において、人間によって変えられていない要素のことをいう。空間、空気、河、葉、などである。<o:p></o:p>
「人工」は、こういう自然物に人間の意志をまじえたもの、つまり家屋、運河、彫像、絵画などをさす。<o:p></o:p>
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しかし、人間の働きは、すべてを合わせたところで、たかがしれたもので、すこしばかりきざんだり、焼いたり、つぎはぎしたり、洗ったりする程度のものであるから、世界が人間の心に与える雄大な印象においては、人間の働きによって、印象の効果が左右されることはない。<o:p></o:p>
ラーフ・ウォルドー・エマソン 「自然より」
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