こんにちは、グルメストアフクシマの福島智哉です。
トモスカフェがオープンし今年で3年経ち4年目に入ります。
(2020年5月~)コロナ渦でのスタートを既に懐かしく思うのですが、オープン前後の数年も当店や地域の仲間達、内外ともに激動の時期だったといえるなーと振り返っております。
▼オープン前数回にわたり珈音のたけしさんから珈琲の淹れ方やあれこれ学ぶ(同じ条件でも人によって異なる味わいに改めて底抜けな深さを感じいる)
オープン前は丼もののごはんスタンドの機能をイメージして進めていた丼メニュー。
ソースカツ丼は今では代表的な定番メニューとしてたくさんの方に親しまれているように思います。
ここで、改めて、なぜソースカツ丼なのか!そのルーツや素材の事などまとめたいと思います。
(今後、TOMOSUホームページでこういったコンテンツアップ予定ですが、こちらでは原文長文のまま載せます)
今から約60年前から30年前(1950年代後半~1980年代後半)
「たのし食堂」というソースカツ丼が美味しくて有名な食堂がありました。
▲左上にちょっとみえます。写真は以前地域おこし協力隊だった松野さんの企画「船川今むかし展」より、匿名の方の写真。(一杉堂さんの前からたのし食堂さんがみえる形での撮影にみえます)
たのし食堂初代の時代は、現在の佐藤鮮魚店さんのところにあったそうです。(祖母談)
2代目のオヤジさん時代は、移転して今のわたなべ整骨院さんところで営業されておりました。上の写真。
(40代なかばから上くらいの方々は食べた事もあり記憶されている方が多いようです)
うちの祖母によるとラーメンが美味しいお店だったけど、途中からソースカツ丼がメインになっていったそうです。
たまごとじのカツ丼もあったけどソースカツ丼の方が人気があったようです。
たのし食堂の初代のオヤジさんは東京出身だったそうで、福島家も同じ身の上。
福島二代目、僕から数えての祖父の基良と「たのし食堂」の初代&2代目は話が合ったそうで仲良くなったそうです。
戦時中は、うちの祖父がたのし初代の親父さんに車の運転を教わったそうで、男鹿市で車の運転免許をとった1号が初代「たのし」の親父さんで2号がうちの祖父という話を祖父が父に自慢気に若い頃話していたそうな笑 (余談エピソード)▼昭和37年 現社長基秋入学式のタイミング コニーと。
2代目のオヤジさんはザ江戸っ子で職人気質だった印象と多くの方からきいております。
2代目の時代は、ソースカツ丼に磨きがかかり船川でも特に人気で連日賑わっていたそうです。
忙しさのあまりイライラしてるのが伝わってくる場面もあったとか…相当人気があったのだと思います。
ソースカツ丼のカツは当店の豚ロースを仕入れていたそうで、「毎朝今日は〇〇キロ頼む」、と電話が来て現社長が若い頃配達していました。親父さんのソースカツ丼の作り方は
カツを揚げたら余熱を通した後にサクサク切って
独自のソースに一切れずつたっぷり浸し
ごはんにも、その漬けたソースが染み込む具合にのっけていき、
添えるのは玉ねぎをそのソースで炒めたもの。
たのし食堂のソースカツ丼と当店のソースカツ丼(トモス)とで異なるのは、
使用する細かい素材の話はさておき、基本的作り方はほぼ一緒で、玉ねぎの味付けのみです。
強火で炒め醤油と料理酒でさっと仕上げる形の方がいいな、となったのが現在の形で全く同じではありませんが、たのし食堂さんへのリスペクトを込め当時の味を再現しています。
現在使用している素材に関しては、当店もトモスカフェも一緒ですが、
できる限り地元のもので心ある関係性の作り手さんのもの、それでいて無添加・オーガニックを前提とした考えで選択しています。基本的な調味料さしすせそをはじめ、揚物でいえば国産米油(毎月放射能検査済)、無添加の生パン粉(素材指定の当店・トモスのみのオリジナル)を使用している点は、よりからだにも環境にもやさしいマイナーチェンジになっていると思います。
そしてトモスカフェででてくるお味噌汁の素晴らしいこと、本当にからだがよろこぶ美味しさなのです!
オガニック農業推進協議会を2018年に立ち上げベジリンクあきた男鹿の三浦さんに育ててもらった無農薬大豆、男鹿の塩、高桑さんのなまはげ米を麹にし石孫本店さんにお願いしてできた、男鹿産素材の無添加天然醸造のお味噌…
ひのめ市の取り組みもそもそも地元はじめ大きく言ったら世の中が色んな意味でオーガニックになったらいいな、と船木代表や仲間内で話していて生まれた活動
その根幹になるオガニック地域構想
話は戻り
二代目のオヤジさん50代半ばにして病に倒れお店も終わる事になったそうで。(1980年代半ば)
両親はお見舞いに行ったりしていたそうで、
父はまたオヤジさんのソースカツ丼を食べたい旨は伝えていたようです。
残念ながら間もなくオヤジさんお亡くなりになって、
しばらくして、ふとやはり食べたくなった時に
父はソース作りから試行錯誤してみたようです。
出汁に活用したのが大量の玉ねぎ。チャツネ状態まで炒め、お醤油とみりんで煮詰め、自然な甘味を出し、その当時はタカハシソースのとんかつソースをブレンドし
再度火にかけ、野菜をこしてから決めた量まで煮詰めて
仕上げというもの。
うちのお店では昔から社員さんのまかないとか祭りや繁忙期の休憩に食べるものだったようですが、
僕は小さい頃から食べたいものが何かあるか聞かれたら
ソースカツ丼はいつも3つのうちの1つに入っておりました!
お弁当をフリーで出していた時代(1996年くらい~2007年くらい)
も弁当としてのソースカツ丼は人気がありました。
たのし食堂を知っていた方からの反応もあって話題になっていたのでした。
お弁当を予約制にしてから(2007年くらい~)
お店に登場する機会は減りましたが、店内企画で時々登場しておりました。
その後2015年ひのめ市がひらかれるようになり、
一人さんには食べてもらう機会がありーの
2018年商店街プロジェクトが立ち上がり
(青木さんとの出会いとこの時のお話の衝撃と、この部屋のめちゃくちゃ暑くてむさ苦しかった事をとても覚えています)
(2018年金農の躍進で秋田が沸いたこの時代ですよー↑)
プロジェクトが進む中で、ごはんスタンドの話がでてくるようになり
丼をメインにしたスタイルってところまで話がきたところで
このソースカツ丼や、チャーシュー丼やRB丼を練習がてら縫人さんでみんなで食べるってのをやりーの、
その翌年2019年はひのめ商店の際などイベントで町の人とその構想を共有するような感じでまた丼や珈琲を仲間と囲む、という事をやってきました。
長くなりましたが、以上が
ソースカツ丼がトモスカフェで登場するまでの経緯です。
現在は、パン粉や小麦粉、卵、油、塩も胡椒も素材の質は考えた選択で、
豚肉の仕込みも特別手を加えたものに。
豚ロースではなく豚のもも肉のもっとも柔らかく希少価値の高い内ももを使用。
脂身無しの状態でカットして、さらに丁寧に筋切りをして、パン粉をつけた形です。
パン粉に関しては、原料が小麦や甜菜糖、バター、塩、酵母のみで
小麦と甜菜糖、バターが北海道産の素材で遺伝子組み換えやトランス脂肪酸のリスクはなく、香料や着色料、表示されないような調整剤や改良剤、保存料も完全無添加の生パン粉です。
一般的には、無添加のように見えるパン粉もだいたい改良剤や調整剤がはいっていて、完全な無添加とはいえないです。
無添加でもショートニングやマーガリンを使用したものがありますが、それがトランス脂肪酸たっぷり癌はじめ生活習慣病大国万歳な大きな要因なわけです。
またトランスFを考慮し最大限発生しにくくその酸化を防ぐ油が
現在のノンシリコーンのこめ油です。放射能検査も毎月行っており
関西のお米を100%使用しており毎月放射能検査を行っていて数字も公表されている築野食品さんのものです。