こんにちは、
グルメストアフクシマの福島智哉です。
創業者福島秋太郎は、コロッケを作る時は、美味しくなあれと念をこめよ、とこういった事をいう人でした。
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現在ブログを整理中で、(この記事は2009年に書いたもの 写真も当時のもので、マップはとにかくgooマップでも当店はここですアピールに一生懸命だった時期(笑))この念をこめる、に関して今一度考えてみました。
初代はコロッケだけでなく、お料理をつくる際に「美味しくなあれ」 と念を込めるよう伝え続けていました。そうです、藤岡弘さんより先なんです(笑)
そして、実は藤岡弘さんが弊社の創業者秋太郎から「美味しくなあれ」を学んだそうです。
て、んなことあるかーーーーい!!!wwwww
僕が26歳の頃でした、最初にその事を父からきいた時はとても面白いなぁと感じました。美味しくなあれ、て念を込めたらなんでも美味しくなるもんかいな、とも思ったり、やっぱりどうしても美味しいと思えないものもいっぱいあるwww
しかし、なぜ、「美味しくなれ」と念を込めるのが大事なのか。「念」は通じる、お料理だけでなく様々なものに通じる、「念」や「言霊」は何かしら影響をおよぼすもの、という考えがあったようです。
一方で初代は、霊の存在などは信じない人でそういった話題には「馬鹿言ってんじゃねーよ!」とはねのける人だったそうです。が、しかし、自分が死ぬ間際は生霊としてあちこちにお知らせに行ったエピソードが残っております(笑)
具体的には、亡くなる直前に 色んな人が曽祖父から電話をもらったと証言しているのですが、電話できるような状態ではなく見た目の物理上では不可能だった中での話です。
面白いものです。見た目の物理上と書いたのも、見えなくも物理で証明できるものがたくさんあるからでこれに関しては僕も浅く勉強中なので、似非科学などとも言われる事があるのですが、誰もが知っているであろうアインシュタインが戦前既にこの話を相対性理論と量子論の中でしています。
さて、ここで今ある結論を書きますと、これは生き方や構え方、在り方の精神論でもあるのですが、
物理的にもそれは光だといえます。物理的には見えないけど存在する粒子のうち、かなり振動数も高く、それでいてその概念だけでは説明できないもの。。。???ってなると思うんですが、それを波動という人もいるし、見えたり感じたりするのをチャンネル合わせという人もいますし、周波数や量子力学で説明する方もいると思いますが、どっかのサイトとかスピ系の人が配信しているそういうのではなく、
光なのです。
そしてこの光には、いわゆる、自分だけでない存在がたくさんいて、そういった皆様のはたらきもあるといえます。と僕は感じています。あ、エネルギーとも言い換えられそうですね。ただ、単にエネルギーとしての認識では、やっぱり浅いというか色んな存在を無視している事になる。
それまでは、
作る時の気持ちが大事、気持ちが味に反映される、
働き方や生き方、在り方、他の為、自分の為、
働く姿勢で色々変わるっとことか、と思っていましたが、
①こういう念や思考も人が出す波であり、周波数と言えて、量子力学である程度までは説明できるなーって思いました。
②肉体としては存在していない人達、かなり振動が高い見えない存在がやっぱりいてくれてるんですわ~、その前提で話進めますが…よくもわるくも様々な事に反応しこの世で言う良い事も悪い事もそのエネルギーを高めている、ていうこと。それはどういう存在かにもよるけど。ほんで、それゆえにいいもわるいも善も悪もないといえる。という考えに至り
③いきつくのが愛と調和だなーっていう ありきたりでありめちゃシンプルな誰でも感じている?老若男女わかりやすい原理だと思うんです。
見えないのを感じる、という仲間がまわりには結構おりまして、「あ、やっぱりそうなのか、みんな言わないだけなんだな」というのもここ数年で増えてきた事です。もちろん、全く何も見えない感じないきこえないって方が大半なのかなーとも思うのですが、実はこれ訓練次第で感じようとすれば感じる事が出来て、チャンネルも合わせる事が自然とできるようになるんだなーってのも体感しています。松果体やからだのパーツや光の話になりますが割愛します。
お店では
社長(父)とぶつかったりする事もありますが、そんな時は
作っているものやその場から一旦離れる、というのも当店のやり方です。
荒れた気持ちでものづくりをするとそのものに対してもお客様に対しても失礼だしよくない念がうつる、と初代からいわれていることで。美味しくなくなっていしまうというのも観念的なようで、物理的にめちゃ影響がある、ってのが量子力学での常識と言えましょう。
ただ、味覚なるものは、
どんな空間でどんな人と一緒にいて、とか温度や湿度、その時間、誰がどのように作ったのか、
その食の情報や、自分のおかれている環境で大きく変わるのも事実。
味覚は磨くとかじゃなくて、もって生まれた自然な感覚が最も優れている状態といえるんじゃないかとも思います。小さな子でもケミカルなものばかり食べている子は、本来の自然な味を認識せず物足りなく感じたりケミカルを求めてしまう傾向にある、そういうのも現代のこのケミカル社会の現状だと思います。
美味しくなぁれ、と念を込める事、誰かの笑顔を思い浮かべ喜んでもらいたいなぁという時の状態(他の為の存在となっている時の自分)というのは、気持ちよく仕事ができる条件であり、人生の豊かさの大きい要素でもあると思います。
ただただ美味しく食べてもらいたい、という気持ちをしっかり持って食材に向き合う、
技術やセンスを磨く事や勉強もとても大切ですが、それ以前の基本なのだろうと考えたのでした。
創業者が言い続けていた事は、気持ちがこもっていれば何でもいい、という事ではなく
誰かが喜ぶための最初の「姿勢」の話なんだな、と今は解釈しております。
そして、前述した光であり、やっぱり感謝だなぁと思います。