グルメストアフクシマのブログ

男鹿にある大正七年創業の
お肉とお惣菜のお店グルメストアフクシマ
(有)福島肉店スタッフのブログです。

寒風山でお昼を食べてその後あそんだこと。

2021-08-29 19:58:21 | 男鹿

こんにちは、グルメストアフクシマの福島智哉です。

ちょっとしたハイキングや自然の中でゆっくりしたい思ったら

寒風山いいですよね。

ほんと愛されている山だなあ寒風山、

ある日曜日、鳥海山か、駒ケ岳、大平山の上で家族で鍋っこ遠足やろうと計画していたんですが、息子にきいたら、

寒風山がいいとなったんで、少し気が抜けて(本当にすぐ近くだから(笑))

ゆっくりしていると、あっという間にお昼近くに。

鍋っこやるにも準備不足だー思って、ごはんどうしようか考えていたら

テイクアウトっていう選択肢もあるではないか!とひらめきまして(大げさやw)

我らのTOMOSUCAFEへ♪

小展望台のとこでお昼にしたんですが、ほんと自然の中で食べるのってなんともからだにしみいる美味しさ、たまりませんなぁ。

息子は草滑りしたかったのもあっての寒風山だったんですが、

食後、久々に小展望台のところから誓いの御柱のある頂上の下の駐車場のあるところまで登り、かなりいい運動になりました。

そして、寒風山、とても気持ちいいな、と改めて思いました。

ほんといい山。

あ、そうだ、

寒風山って火口がいくつあって、それぞれ名前はなんていうかわかりますか?

知っているようで、そういえば、ていう発見が今もあるもので。


SLおが 47年ぶりに男鹿線をSLが走る!②2代目福島基良のSL写真展と昔の写真

2019-10-18 11:43:03 | 男鹿

こんにちは、グルメストアフクシマの福島智哉です。

SLおが の記事の続編です。

祖父(2代目福島基良)の写真が今回の企画のホームページや旧男鹿駅でSL写真展として展示されているという旨を前回書きましたが、

JRさんともやりとりする中で、改めて知った事も結構ありました。

以前も昔の事に触れる際、何度か小出しにしてきた昔の写真、

改めてこちらのブログ記事で、祖父の撮った昭和30年代のSLの写真(男鹿ー秋田のものに限る)

をご紹介したいと思います。

▼まずは、ホームページやチラシの見出しにもなった、C11の入る船川駅(男鹿駅)構内の写真です。昭和30年5月の撮影です。

 

▼JRさんのページより

タンク型が10両を引っ張ってたのかー!と改めて思ったのですが、テンダーかどうかは、馬力もあるとは思いますが問題は距離なんですね。船川駅構内に貯炭場(石炭置き場)もあったので、距離としても秋田往復は問題無かったんだろうなーと推測。今の新男鹿駅はこの写真でいう奥にあるわけですが、旧男鹿駅舎の輪郭もこの時から変わってませんね。

残しておいてほしい昭和のかほり、国鉄のかほりのする建物の一つ。

▼羽立駅を出てトンネルの方へ向かう 昭和40年代 気動車 ディーゼル 昭和30年代には船川線にもディーゼル車が登場。後述しますが、昭和37年にディーゼル機関車DD51の1号機がここを走ります。

▼下新城 昭和30年 同じく男鹿線 C11 244 10両編成 ちなみにC11 242 の写真もちらちらでてきます

▼脇本 昭和31年 バックに寒風山

▼D60 貨物用テンダー 土崎工場から秋田 昭和30年~昭和31年頃

D50の改造 ナンバーから浜松とわかる。土崎工場でも同じようにD60がD50からつくられてました。

▼C51 昭和36年頃 手前二人は、3代目福島基秋と幼馴染の森山しんじさん(妻寛子の叔父にあたる)

しんじさんもまさか姪っ子と幼馴染の子が結婚するなんて予想できなかったでしょうに。。

ちなみに僕は幼少時、森山歯医者さんで大泣きの連日だったそうな(笑)

C57 シゴナナや貴婦人の愛称も テンダー(炭水車)にかかる屋根の具合いいなー。

▼C57 昭和32年 下新城

▼C11 昭和32年 現在の男鹿なびさんの裏手の高い部分から

 

男鹿駅構内 昭和 32年6月 船川駅構内

▼「船川駅の海側のスペース 「しかく」と呼ばれていてみんなここで遊んだり、運動会も行われたそうな。

奥に現在の漁港や備蓄基地の方の築港が進む様子も見える。

▼おなじく「しかく」 こちらは寒風山がバックで海沿いの道路がまだなくてみんな茶臼峠を通って脇本に出ていた時代

この堤防で釣りをしていた方もたくさんいたそうな。写真の手前側に石炭置き場があった。貯炭場ですね。

▼前回にも登場、祖父が所有していたこちらの古地図。現在以前駅長だった方が男鹿市に寄贈したという事で、

市の資料としてもよく出てきております。

この古地図をトリミングし拡大してみると、「しかく」のはじ、船入場の堤防側に「貯炭場」とあります。

▼そして、この貯炭場どんな感じだったのかを見つけました!船川港港湾事務所から 発見された築港当時の貴重な写真 土木学会さんのページより閲覧ダウンロード可能です。写真真ん中あたりの盛り上がったところが貯炭場ですね。

▼さらに拡大する

貯炭場の防波堤がそのまま第一船入場の防波堤と伸びていますが、それらの写真も見つけましたのでこれものせます。

▲父の友人

道の駅男鹿 オガーレの建設で、駐車場を作る際に一度は埋められたこの堤防が顔をだしました。現在確認できます。

駐車場と海側の道路の間にあり、最初でてきた時はそうとう興奮しちゃいました(笑)

▼この防波堤から撮った写真で、当時は遊覧船も運行していたんですね。おばこ丸!

オガーレの駐車場になっている部分の写真ですが、おばこ丸の位置が、駐車場の入り口くらいかな。

 

これくらいにしておきますが、土木協会のページにいくとこの第一船入場ができるまでの様子や漁協の様子、

防波堤の記録も確認できます。

▼当時の地形図も参考にのせておきます。 5万分の1

 作成したのは当時の大日本帝國陸地測量部で、極秘、秘 という文字が入っていたり扱いも一部のみだったそうな。明治20年代から昭和10年頃に作成されているという事ですが、築港の進み具合から判断するに、昭和5年以降と推測できます。今は自由にダウンロードできます。スタンフォード大学のブラナー地球科学図書館を中心に地図の調査やスキャニングが進められているそうです。スタンフォード大学 日本地図 とか古地図 で検索するとでてきます。

地図を眺めながら…最も大きな違いはやはり八郎潟がまだ干拓される前なわけで、大潟村も存在しない時代。なんとも不思議。琵琶湖に次ぐ大きさの八郎潟、どんな景観だったんでしょ!
シーサイドロード(と呼ぶ人はほぼいないけど現在メインの船川ー脇本を結ぶ道)もまだないので、茶臼を越える船川街道がメインロード。

▼男鹿線(当時は船川線ですね。)のマップも当時のものを見つけました!

地名、廃線、また存在しないライン、変わらぬ部分、様々面白いですよね。

話の脱線ついでに、男鹿駅の今昔の比較したものも▼

 

▼八郎潟鉄橋と呼ばれていた大潟村の干拓が始まる前 正式名は八郎川橋梁

 船川駅より港側に船川港駅があり、石油等を運ぶ貨物車が船川港駅まで運ばれていました。

男鹿線の写真の定番スポットにもなっているこちらの鉄橋

今は船越鉄橋と呼ばれていますが、現在の橋とこの当時の橋とで異なる点が多くあります。

まず、位置。高さ。つくり。…へーそうなんだ、という方と、なんだってー!!!マジかーーーー!!!となる方と分かれると思いますが、僕みたいな後者の方必見な貴重な記録も祖父は残していました。

何のことかというと、鉄橋の新旧切り替え工事や、試運転、式典の様子です。

▲雪ののった寒風山…冬~春の時期だったんですかね。まだ展望台も無い時代。

左のが新 右が旧。

▼天王側 自性院さんも今と変わらない輪郭で確認できます。

この鉄橋の工事の記録写真だけでも結構な枚数があります。
両脇には船越駅と天王駅がありますが、船越駅を出て天王側にレールは緩く右にカーブし、鉄橋に入るあたりで微妙に左に曲がっているのは、この旧新切り替えの名残ですな。

道路と線路の間にも三角地帯になって余っているようにみえるスペースも確認できます。


昭和30年代に入って八郎潟の干拓工事が始まり、これまで漁等で行き来していた小船では問題なかったのですが、工事の船を通すには難しく、現在の橋に架け替える事になったそうです。完成は昭和38年(1963年)

八郎潟の干拓工事が本格化する年とも重なります。この架け替えと大潟村も切り離せない話なんですなぁ。

ちなみに新しい鉄橋は、エレベーター式に橋が上昇し、高さのある船も通していたようです。

 

面白いのは、ここに写っている鉄道関係者、工事関係者の孫達が知り合いだったり友人だったり世代を越えてご縁もあるということ。

 

さて、話はSLに戻りまして

前述した「貴婦人」や「シゴナナ」の愛称があった C57

デゴイチ こと D51様

▼昭和32年 追分駅構内

 ▼当時の「昔」のSL 博覧会

▼最後に 船川駅構内 出だしの写真と同じタイミング 角度が少し違うC11の一枚

 

ありがとうSL!

試運転からの一週間余り、新たに教わった事も多々あり、改めて調べて学んだこともあり、濃厚な時間で楽しかったです!

②の次に保量川と海を結ぶ泉台の橋のとこの話 と予告しておりましたが、

今回はDLおがでもありましたので、次の記事でディーゼル機関車や昭和天皇陛下のいらした際のお召列車、特急つばさと特急白鳥の秋田駅同時発車の様子ものせておこうと思います。

 

以上 2代目 福島基良 の昭和30年代の写真と 付随する資料でした。


SLおが 47年ぶりに男鹿線をSLが走る①

2019-10-14 14:51:32 | 男鹿

こんにちは、グルメストアフクシマの福島智哉です。

この一週間はいてもたっても大塩平八郎…ではなくて、

ずっとSLの事で、運転する日の出発時間近くになるとソワソワしていたのでした。

伝統芸能の祭典「新・秋田の行事 in 男鹿 2019」の開催にあわせて,

JRさんの方も、今年2019(令和元)年10月12日(土)・13日(日)の2日間,“SLおが”・“DLおが”の運行をする、

という事で発表していたわけですが、チケットの販売開始と同時にほぼ完売とな。

やはり全国からSLファンが集まるわけですよね、我が家も開始時刻を狙って申し込んだのですが、

残念ながら購入できませんでした泣 

さて、今回のSLの運行に合わせ、当時のSLの写真の展示の依頼もJRさんからあり、僕の祖父(お店でいうと

2代目の福島基良)の撮影した昭和30年代の男鹿線、沿線のSLの展示を試運転くらいの期間から

旧男鹿駅でやっておりました~♪

▲試運転 初日 お店をぬけSLの撮影にくる社長 3代目福島基秋 とそれを撮る福島智哉 と

手前にうつるのが、2代目福島基良の撮影した写真

▼長年駅長室に飾られていた写真も。

試運転の初日10月5日、DLが先頭で男鹿に入った事をききつけた社長は、お店が落ち着いてた、という事もありますが、慌てたぐらいにして撮影しにいきました笑

父も祖父に色んな所に連れて行ってもらったり、鉄道関係では様々な特急や新幹線の処女運行の式典に参加したり、車両にのったり、テープカットをしたり、工事中の青函トンネルの視察や完成式の参加、と結構貴重な経験をしているようです。

旧男鹿駅の管理人の(館長さん?)夏井さんがまたすごいです!

どんどんグレードアップする展示の内容にも驚きです。旧男鹿駅舎、旧羽立駅舎、旧脇本駅舎も、今回のDLSLの車両のプラレールも♪

さて、出発の時間になると多くの方が出発の様子を見に旧男鹿駅の駐車場のスペースに集まっておりました。

▲この写真は、10月9日水曜日の試運転の時のもの。

出発時刻の14時45分 いつもは休憩時間にはまだ入れないくらいの時間帯。

なんとかやるものを先倒しで、余裕をつくりお店を出ます!5日の日は、42分にお店を出て、出発する様子は見られずも、いつも男鹿線を撮っている文化会館の方へ!

到着した時はまだ、視界に写らずも、汽笛の音が聞こえてきたところでした!

そうして、撮影したものが、この動画でした▼

 

一番最初の興奮と感動は、言葉では言い表せない、色んなのが一気にきた感じでした!

気が付いたら自然と涙腺崩壊でした。
何故だろう。
かっこ良すぎるのと迫力あったのもあるけど、
かつてここを走っていた記録や写真を熱心に調べていた経緯もあったからでしょうか。
亡くなった祖父が教えてくれた国鉄時代のあれこれ、
両親やお義母さんはじめ地域の方々のSLエピソードも一気に思い出しちゃったりしたのもあって(トンネル入る時の話とか、10両編成ですごかったとか、)
自然と目頭が熱くなってしまったのでした。本当は号泣(笑)
圧巻の迫力と男鹿線として走っている事に本当感動しましたばい!

かつてSLが走っていた頃の撮影ポイントは海でした。
▼上の写真の手前にみえる石は当時のままの堤防。


▼大正時代中期の定番の古地図 上の写真の時代は築港初期のこんな感じだったと思います。

古地図の右端あたりは今の路線の位置と道の感じからみて、丁度消防署と男鹿なびさんのある位置と推測。

 海上を走るSLのようにも見えますが、実際どのような感じだったかも、今回色々つながりまして

別の記事で詳しく書きたいと思います。

 

さて、その翌週も連日ちょこちょこ撮影。
遠くでも聞こえてくる汽笛、遠くでも居場所がわかる黒い煙にワクワク…

▼10月9日の試運転 脇本

 

日に日にギャラリーや写真撮影する方も増え、自然と泣けるのは通り越して、汽笛に拍手をしたり通り過ぎた後、目をぬぐったり完動して泣いているじっちゃんばっちゃんを見てもらい泣き。

船川から船越の間の数か所で連日写真や動画を撮っていたのですが、

SL運行と通り過ぎた後のタイミングの旧道は一気に渋滞。
どの場所に行っても60代以上の方々は思い出話をけっこうされていて、その話す内容が聞こえてくるのですが、とても面白かったのでした。
トンネルに入る際に窓閉めずワイシャツ真っ黒なったとか

女性も同じ経験ある方は脇本からまた船川駅行きに乗り自宅に戻り着替え直したとかの話は少なくないようで。
石炭置き場で遊んでで機関士にぶんなぐらいでごしゃがいだで ていうオヤジさんも笑
通った後の煙の匂いや色んなクサイ記憶等公害にリンクするネガティヴなのも。
窓を閉める係とか当番があったとかいうおばちゃんも。
いいとこどりのノスタルジー という方の言葉もよくわかる…
ですが、僕と亡くなった祖父を今最もつなぐこのSLの運行に、僕は何もせず無関係ではいられない。
そういうわけで、当時は日常だった風景を、祖父はどんな想いで写真を撮っていたのか想いを馳せ、同アングルも探りながら船川〜船越の往復の日々。
▼船越鉄橋

 

10月10日は最も天気が良く試乗会も最高だったと思います。…が、この日はお店から数分しか離れられず、

男鹿駅近くで撮影。泉台。消防署の裏あたり。

 

 

本番の12日は台風が近づき雨 そして13日は残念ながら中止と発表され

息子とゆっくり見たいと思っていたのでけっこうがっくし。。

脇本の稲穂とすすきと寒風山が見えるところで撮りたかったのでしたが…

▼本来はここ。でもやっぱり愛しき男鹿線。ディーゼルカーはディーゼルカーでかっこいい!

 

それぞれ、雨の日も風の強い日も、細かい部分もまとめた動画▼

 

 僕の撮ったものはどれもIpadminiによるもので、ぶれる事も多く見にくいと思いますが、

同じようにこの期間の記録を動画にあげている方のものを見て、場所の選定やアングル、計算しつくされたタイミング、

とても美しくまとまってた方のものもリンクします▼

 

②SLおが 旧男鹿駅での福島基良の昭和30年代の写真展示 の記事 ③海上を走るSL の研究 に続きます。


船川の美味しいお蕎麦のお店。美味しいラーメンのお店。

2018-04-05 23:52:16 | 男鹿
こんにちは、グルメストアフクシマの福島智哉です。

以前からお客様から美味しいよと噂はきいていたのですが、お義父さんともつながりがあった事を知り、妻も行ってみて美味しかったときき、行ってみました!
どこのことかといいますと、
海清庵さん!

知る人ぞ知る、といった感じで、お蕎麦はやはり人気があるようですね。事前におすすめしてくれたお客様にもきいてみると、予約の電話、確認してからの方が確実で、お蕎麦は無くなると終了で、品切れで食べられない場合もあるそうな。
そういうわけで事前に連絡してオープン11時半と同時に入店。(3月のある日曜日)
僕が最初でしたが、12時くらいにはほぼ満席に。

美味しいと評判の天ぷらそばをお願いしました。
間もなくとりかかる音、ぱちぱちと天ぷらを揚げる音、シャッ!とお蕎麦の水切りの音がしてきまして、
登場▼

よいこし、良いのどごし。なるほど、おいしい!
天ぷらもちゃんとさくさくな衣、旬の地元のばっけの天ぷらも♪


食後のお茶・珈琲もついて1000円以内という価格、もっと払いたい気持ちになりました。本当。
おすすめできる美味しいお店だなーと思いました!
おじちゃん、おばちゃんの感じもとても良くていいお昼の時間でございました。

ちなみに、おすすめしてくれたお客様は秋田市のきちじさんファンの方、
うちもどちらかというと江戸前そば、つゆも甘いよりは江戸前好みという事で、「美味しい」 「好み」 と表現しております。

まわりには教えたくないいいお店、穴場ってあると思うのですが、ここはまさにそんなお店の一つのような気が!
自分や身内だけの情報としてとどめておこう、とも思っていたのですが…是非皆さんも♪

いやーそれにしても、まさか市の施設の中に手打ちそばで作っているお店があるとは!
たまらんなーっていうポイントは、こんな案内も。

みんな数えて話題になるわけですなー。僕は53歩でした。いや54歩だったかな。無理して足の長いふりしてもしょうがないですね。



もう一つ 船川だと省吾さんの船川ラーメンは皆さん定番かもですが、
すいれんさんの地鶏だしラーメンはご存知ですか!?
すいれんさんのファンも多いとは思いますが
僕は先日はじめてラーメンの塩を頂きまして。


美味しかったなー♪半熟たまごの半熟具合素晴らしい。お酒を飲んだ後の締めラーにもたまらんとは思うのですが、
夕食に食べに行って御馳走様でも良い感じ。
平日ランチでも食べられますよー♪こちらもおすすめです!

ワインパラディース直輸入ワインお披露目会

2015-02-20 23:35:34 | 男鹿
こんにちは、グルメストアフクシマの福島智哉です。
今晩は、いつもお世話になっている
ワインパラディースさんの直輸入ワインお披露目会に参加してきました(^^)
簡単レポです。
場所はビューホテル12階のスカイバンケット ジュリアン。



一部は桂三若さんの落語。
三若さんの落語をちゃんと観たのは初めてです、とても面白く声に出してわろーてしまいました!
ドイツワインと和食、お酒、がテーマの落語も。オトナ~な内容で、想像を掻き立てられすっかり落語の世界に引き込まれたのでした。

ワインは13種、お料理は和食という事もあり白が9種、赤が4種。
どれも、農薬や化学肥料を使わない葡萄から作られた自然派ワイン。
もともとドイツやオーストリアでは自然派が多い、という背景を考察するのも面白いのですが、ここでは割愛。

100人を越える大盛会、

シュトラウス、鈴木屋時代からのお客様なのでしょうか、
ここにいる皆さんは鈴木さんのお知り合いでワインが好き、という事は共通ですね。

13種並ぶテーブルが2箇所、

ワインソムリエ
和美Sabiの工藤さんもスタンバイ、
すごい!

複数のリースリング、それぞれの
酸味の素晴らしさを和食とともに楽しみました。
赤は柔らかいピノが多くこれらも良かった~!

新しい出会いもたくさんあり
お酒がつなぐご縁に毎度感謝です!

さて、ワインパラディース
オーストリアワイン大使鈴木さんのお店はこちら
http://www.weinparadies.jp/

北浦金曜市 地域のコミュニティ機能を考える

2015-02-06 13:48:19 | 男鹿
こんにちは
グルメストアフクシマの福島智哉です。

昨年10月より北浦で毎週金曜日に開催されている北浦金曜市へ参加しております。
今年の私達の出店は本日から、寒いけれど結構集まっております(^^)

出店者は北浦のお菓子屋さん
鈴木金栄堂さん、武田豆腐店さん、
武田水産さん、なまはげ直売所の皆様、
離れた所からは男鹿のまつだせいこさん(珍味の加賀谷さん)若美の八百屋さんや手作りのおはぎやお菓子を作られている方、など。

肉や惣菜が欲しいというご要望が以前からあり動き出したのでした。
朝の9時から1時間なのですが、
10分前に到着し準備をしている段階でおばちゃん達に囲まれ四方八方から手が伸びてきて「わや」な状況になり
なかなか楽しいです^^;

▲わや

ここでも人のつながりのあたたかさを感じたり、このエリアのコミュニティの強さを感じ勉強になります。
足が無い方にはここでのお買い物が数日分の献立が決まる重要な時間。
始めた頃は、値段の表記が小さいと「大きく書かなければわがらねし買わねよ」とか、ご用意する量が少ないと「これしか持って来てねの!もっと持ってけばいねが」とお叱りを受けたりもしました^^;直接思った事を仰って下さりとても気持ちが良いです、そしてそんなお集まりになる方々が「わや」な中色々手伝ってくれたり、出店者の皆様にもあれこれと支えられ、ようやく要領をつかんできました。
本当に感動する温かみで、ほっこりする場です。
▲副市長さんも視察 2015.2.6

この金曜市には
コロッケやカツなどの揚げ物、ハンバーグ類の他生のお肉もそれぞれご用意しております。
北浦以外には戸賀エリアをまわっておりますが、
今年は加茂青砂も同じような形で定着していけるよう動いていきたいと思います。

※金曜市の様子
http://blogs.yahoo.co.jp/ogasikankoujyouhou/8515127.html
(男鹿市観光情報ブログさんより)


さて、地域のコミュニティ機能を考える、
というのは、前述した人のあたたかさに触れたり、ここに来る方から「ここさけば話っこでぎるもの」と聞いたり、
ここにはコミュニティの機能があるなぁ!と考えたが故に持ってきたフレーズです。
現代では地縁団体はじめ、特定の目的を持った団体、物理的距離関係なく活動している団体、とある地域をみても多様化していて様々な機能があると思いますが、
細分化されたり多岐にわたる機能の根本、そもそもの本質は「共生」だな、という事も金曜市で感じておりました。…なんか大袈裟ですかな^^;

極論ですが、目的機能を持たずともこの精神があって必然的に協力し合う関係が広がり形成されるのがコミュニティなんじゃないかな、と。
もっと言うと、本来は作ろうと思って形成されるものでは無かったんだろうなぁとか、ふと考えました。…極論ですが。

でも、男鹿の中でもそんな事を感じる集落がいくつかあります。
戸賀では、祖父が亡くなり地域の方々が集まった際の結束や葬儀のやり方、
普段祖母とまわりの方々との関係性に感じたりしているわけですが、
簡単にいうと、特定の目的や利害関係を持たず、ただそこにいる人同士で好悪関係無く協力し合っている、という事。
▲祖母
同時に足るを知る低さを持つ、とか
あえて足りないのも幸せだなぁとふと思う31歳秋田男児であります。
ものや便利さを手放すという話でもなく、ただただ
人と人とのつながりの中にある幸せ
共助社会、共生社会…。
理想と現実の間で私は食、それも農を中心に、もっと言ったら土、種を大切にしたアプローチをかけたいと考えています。
普段はそれを真っ直ぐにはお伝えしませんが、
「美味しい」から繋げていきたい!
その美味しいも本来の自然の摂理を追うと、やっぱり原始的なものにいきつくのが理由です。

最近それらを強く考えビジョンもはっきりしてきました。
2015年は、そのスタート。
商人として、とか、企業家として、とい立場はしっかり持ちたいのですが、
大前提に一人の人間として、という生き方の部分で曲げずにいきたいです!

…あ、なぜか決意表明のようになってしまいましたが、
そんな想いもあってこの北浦金曜市に参加しております。





夕陽を見る会 から少年の日を回想 戸賀 

2011-08-06 18:10:10 | 男鹿
こんにちは、コロッケ・ハンバーグのグルメストアフクシマです。

先日某海の国の社長さんのおうちで茄子Pelpleが集まって海の幸、山の幸、福島肉店の幸を楽しんで頂きました。
場所は スタッフがこよなく愛する戸賀湾の真ん中。


美しい沈む夕陽を見ながら お肉を皆で楽しみました。

本当に美しい夕陽でございました。

朝もやの海も お昼の青く輝く海も 岩と遊び波しぶきをあげる荒々しい海も 美しく
真夜中の満点の星空の中で流れる星を見ながら聞こえてくる波の音も さっいこーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーです。
八望台からの眺めがまたさっいこーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーです。


そうして少年の日を回想すると …
戸賀は母の地。
この時期は
早朝、ラジオ体操をした後スイカを食べてすぐさま泳ぎ
飽きたら、兄弟、従兄で二の目潟の丘へ上がったり、将棋をしたり
お腹がすいたらトウキビを食べ
また泳ぎ、疲れたら
横になって甲子園を見て、午後は魚や貝をとりにいって、夜はお刺身を食べ、花火をあげて
宿題はやらないでテレビを見て寝る、と。


子供の頃のようにそうしたいと思う今日この頃、
海に呼ばれてますねー、でも山にも呼ばれてるし、実は湖にも、畑や田んぼ、森にも呼ばれてるので
なんだか自然にモテモテで幸せです。

いやー戸賀って本当に最高ですね。 


おがーりあ

2011-07-16 07:46:30 | 男鹿
こんにちは、コロッケ・ハンバーグのグルメストアフクシマです。

以前たまっているネタを更新します、と申し上げておりました内容です。
その一つ目。

・おがーりあ が今年春設立されました。私はメンバーとして微力ながら活動させて頂いております。
 どういう集まりかと申し上げますときっかけとなるお話がございます。
ハタハタから作られるしょっつる・カタクチイワシから作られるコラトゥーラ この世界的にも貴重な漁醤文化の共通点から2009年11月に男鹿イタリア魚醤フォーラムが開かれました。この時の記事。
 イタリアで唯一コラトゥーラを製造しているチェターラは世界遺産で有名なアマルフィー海岸の一画に位置しローマ時代の調味料に端を発するという伝統の食材コラトゥーラを大切に守り続け近年町おこしに成功しました。この他地理的にも北緯40度付近に位置すること、国定公園、海岸線、景観の共通点もあります。
 このおがーりあ はそういったイタリアとの関わりの中から、男鹿を元気にする新しい芽を育てよう、という有志でたちあげた会です。
今年の秋はじめ、イベント予定です。私個人的には緩いビジョンがあります。
それには様々なエネルギーや「お金」を要する事になり自分の信念とする部分を曲げないと成り立たないものもでてきますが、その矛盾の中に答えがある、ということにしておきます。信念は    曲げたら あ か んー。曲げたらあ・か・んー。人生曲げずにこれ曲げる。


蝋燭と蛍のカフェ

2011-06-16 12:12:13 | 男鹿
こんにちは、コロッケ・ハンバーグのグルメストアフクシマです。

たくさんのご報告するべく記事・・・作成中です。
間もなく五里合のこおひい工房珈音さんにて
「蝋燭と蛍のカフェ」

私ども
秋田錦牛のカレー
五里合鮪川の 滝の頭クレソンを使用した冷製スープ
自家製ピクルス

をご用意し珈音さんのこの期間のディナーメニューにデビュー致します。
その後はランチメニューに。

どれもできる限り男鹿産のお野菜で
お作りするようにしております。
秋田錦牛のカレー、滝の頭クレソンの冷製スープ
は7月からの新メニューで販売予定です。

ちらほら蛍もでてきたようですね。
たくさんの蛍、そして近藤さんの蝋燭アート、ディジュリドゥーライヴ、坪井さんの写真展に加え美味しい珈琲とカレー、昇天でございます。満点の星空の時はなお最高、素敵すぎる幻想的世界が待っています。

男鹿ILO 2011春号

2011-03-08 08:48:30 | 男鹿
こんにちは、コロッケ・ハンバーグのグルメストアフクシマです。



一番好きなフリーペーパーです。

当店もお花見弁当をご紹介頂いております。

男鹿ILOに関して
前の記事

早くも創刊 1年たったのですね。

今回の内容も面白かったです。男鹿茄子メンバーが皆います。