古代中国の陰陽二元論、今も脈々と続いて来ている。
人の世は、この陰と陽から成り立っていると言う教え。
それだけではなく、この世の森羅万象も同じなのかも知れない。
また、中国の智慧の一つに中庸と言うのもある。
これは、陰と陽をわかったが上での、真ん中を進めと言うのだろうか。
真ん中こそが、大道なのだろうか、これも深すぎる。
達観とは何か。雲の上の境地なのだろうか。
老子は説く。己が道を、ただ進めと。これは中庸にも繋がるのではないか。
事と事との間を、ただ一人、黙々と、ただ進めと。
それで道が出来る。道こそが天下の母だと。
我らが毛沢東は、また老子と謁見することが出来た。
数百年に一人の傑物である。老子も、ほってはおかない。
さあ、この世の秘密に迫ってくだされ……
老子 「……そちの後ろに、わしはおるぞ。まだまだ隙があるのう」
毛沢東「おっ、いつの間に。またお会い出来て恐悦の限りであります」
老子 「この前の続きと行こう。陰陽二元論を紐解いてしんぜよう」
「今やお前は、下界を離れ、この天界におるではないか」
「そこで、下界の秘密の話を語ってみる、おいおいとわかるようになるぞよ」
「いいか、陰と陽、これが人の世の仕組みなのじゃよ」
「どこかに良い人がいるという事は、悪い人も、どこかにいる」
「悪い国があるという事は、どこかに良い国があるということじゃ」
「その一人の心の内にも、善と悪とがある。善ばかりではなく悪もな」
「自分の底にある、この善と悪に気付き、無為の境地に達するのじゃ」
「下界は修行の場じゃ。天界あっての下界ぞ、逆ではない」
「お前も、あの世があると言う事が、来てみて、やっとわかったであろう」
毛沢東「仰せの通り、ごく自然とわかり申す。それがわかっておればと……」
老子 「陰と陽、善と悪、光と影、そう男と女もそうじゃ。二つで一つなのじゃよ」
「また、善のような悪もあり、悪に見える善もある」
「つまりのう、善人の中に悪を見、悪人の中にも善を見ることじゃ」
「いくら悪人だって、着て、食べて、住んで、銭を使いおる」
「その銭は廻りまわって、誰かの為になる。これが流れぞよ」
毛沢東「では、私のして来た血を伴った国作りは、どうかと……」
老子 「毛よ、あれが、お前の道であったのであろう」
「ただ信じ進んだのであれば、それも道。どこかに嘘があれば、それも、また道」
「この天界で、もっともっと修行をするのじゃ」
「その暁には、何らか形で、下界に貢献出来ようぞ。繋がっておる」
「下界と天界、これも陰と陽、二つで一つなのじゃからな」
「……ここまでにしよう。その内にわかるであろう」
「お前の心は読めておる、次は『素女経』を語るやもしれん、待っておれ……」
毛沢東「是非にと、願いまする……」
毛沢東は、自身が善か悪か、わからなくなった。
……私は、民の涙の海底から、出直したものか……
……いや、新中国建国では民の狂喜の渦に包まれたではないか……
……もはや、わからない、教えてくれ……