第二弾は以前書いたことがある「ロケット発射の失敗中止論争」である。私はひろゆき氏やホリエモンがコメントしているので興味を持った程度で、もともとそれ程関心が有るわけでは無い。ただ、日本語として正しい言葉の使い方は「どちらか?」と考えたらどうなるか、そっちの方に興味があったので論争に口を突っ込んだ訳だ。まあ本来H3ロケットがどうなろうと「どうでもいい」ので、あくまで「議論の仕方」という視点で書いてみた。私は基本的にどんな事柄でもキチンと考えていって、余計な人間感情を入れなければ、議論に参加する人間は必ず一つの「正しい答え」に全員が到達する、と思っている立場である。今回はそれを実証するよい機会と思い、チャレンジすることにした。論証が上手く行けば幸いである。
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今回のH3ロケットの発射は失敗か中止か?
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これが今回の論証のテーマである。で、私の答えは「失敗だった」だ。
論証:今日のニュースでロケットが打ち上らなかった原因は、エンジンコントロールユニットへの「電源が落ちた」ため、と報じられている。つまり、フェイルセーフ機構が働いて中止になったのではなく、その前に「何故か電源が落ちていた」ということらしい。これで結局は失敗か中止かの論争は、「失敗」で決着したわけである。
一般的に、やろうとして「実行段階」に入っているにも関わらず、それが何らかの事情で「出来なかった」時、人はそれを「失敗」と言う。記者の言っていた通りである。この時の担当者の反応は「あれ?、点火しないぞ?、おかしいな?」である。全部「?」だ。勿論、計画通りに事が進んでいるのに「何か計画に無い、予定外の事態」が起きて、それが計画の実行継続に重大な影響を及ぼす可能性があると判断した場合、「自らの意志」で実行停止命令を出した結果、計画の進行がストップしたならそれは「中止」である。その場合は担当者の心理状態は「・・・仕方ない」である。要は、計画が「継続出来たか出来なかったか」、それが失敗か中止かの違いなのだ。今回は継続「できなかった」ので、完全に失敗である。疑う余地はない。担当者側が意図的に「止めた」のではなく、何故か「止まってしまった」のである。打ち上げは「やればやれた」けど、止めた・・・ではなかった。
一応JAXAはあらゆる可能性を想定して発射日時を決め、観客も入れて実際に発射ボタンを押し、メインロケットは白煙を上げて今にも打ち上がるか?という所まで行っていた。勿論、天候やその他の事情(例えばロケットの飛行ルート計画上に何か障害物が見つかった、とか)または計画自体に変更が出たとか、そういう事があれば止む無く中止もあり得たと思う。しかしそういう説明も無いまま補助ロケットに点火しないで、ロケットは「発射台に残ったまま」打ち上げは終了したのである。
まあ百歩譲って「不具合が見つかったので今日は飛びません」とかアナウンスがあって、それで終了したなら「中止」ということも言えないことも無い。しかしそれでも発射ボタンを押す前に言う話である。そういう状況で会見が開かれた。・・・そこで記者の質問が飛び、失敗か中止かでネットが騒いだのである。
一応私の知識の中で「H3打ち上げ失敗」を時系列で説明すると、
担当者が発射スイッチON(発射プロセス開始)
メインロケット点火、煙が出る(第1段階)
何故かエンジンコントロールユニットへの「電源が落ちた」(コントロール機能を喪失)
命令が来なかったので補助ロケット点火せず(打ち上げ失敗)
そこでフェイルセーフが発動して、発射ブロセスを取り消して停止(終了させた)
以上、つまり「失敗して終了」である。
JAXA担当者は中止と言っていたが、先ず最初に「電源が落ち」たという事のようである。この電源断は「もしかしたら失敗するかも?」という可能性の範囲外だったと思う。それを自動プログラムで感知して「フェイルセーフが発動」して停止した、というのがどうも真実らしい。中止とは、何らかのトラブルが予見出来たために(そのまま続けると大事故になるので)、現在は「順調に動いている」にも関わらず、計画の進行を中途で止めることを言う。つまり実行プロセスには何ら問題が無いのに、他の事情が出来たので止めることが「中止」なのだ。ちなみにフェイルセーフというのはトラブルが発生した時に自動的に停止する装置のことである。
この場合、先にエンジンコントロールユニットに異常が起きた(つまり実行プロセス自体に不具合があって、もう実行出来なくなった)ので、「仕方なく止めてる」のだから中止ではなく、「打ち上げ失敗」と言うのが正しいと私は思う。担当者は「失敗が予見できたので止めた」というニュアンスで言っているが、実際は「止まってしまった」というが正直な言い方である。これを「中止」と言い張るのは、ちょっと往生際が悪過ぎるのではないだろうか?(これは私の感想です・・・ひろゆき氏風に言えば)。担当者の言い分は「失敗する前に中止した」と言いたかったようだが、それでは失敗の範囲が余りに狭すぎると思う。私の考えでは「ロケット本体に何もないのに止める」ことを中止とし、それ以外のトラブルはすべて「失敗」とすべきである。何故なら原因の究明と該当箇所の修理・改良をしなければ、このままでは再び打ち上げることは無理だから。「中止」はそのまま再度発射台に乗せられるが、「失敗」した機体は修理しなければ発射台には乗せられないだろう。今回は後者だった。
以上、結論は「失敗」と論証出来たと思う。
これを裏付ける事実が実際にあり、補助ロケットが点火しなかったことについて、担当者がはっきりとした原因を「会見の段階で認識出来ていなかった」事が挙げられる。担当者の言うようにJAXA側が「発射を中止した」のなら、「その理由」を会見で言えなくてはいけない。まあ諸事情から中止と言わざるを得なかったのだろうが、ここは記者の言うように「あっさり認めれば」よかったのである。失敗だと認めたとして、それでJAXAの責任をどうこう言う訳じゃないのに何故か中止と言い訳してるのは、尚更JAXAという組織が、純粋に宇宙科学の発展に努力してる非営利団体だとは言えない気がしてくる(非営利団体というのは私の想像)。科学とは、事実を駆け引きなく「正直に扱う学問」だと私は思っているので、JAXAの取り組む姿勢には猛省を促したい。
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とにかくホリエモンの発言は自身がロケットに関わっていたせいもあって、それで感情的になって記者をこきおろしたのは「論外」である。一般の人は「別に失敗したから」ってそんなに拘っていないのだから、もっと正直に言えばいいのになぁ、というのが私の「感想」です(これ、ひろゆき氏への当てつけです。彼が誰かを論破するときの常套句らしいが、人の意見を「ただの感想」と決めつけるのは如何なものか、と私は思うけど)。
それにしても件の記者の人は、可哀想だったねぇ。JAXAの担当者が会見冒頭に普通に失敗を「認めて」さえいれば、彼だってそれ以上拘ることも無かった筈。ついてない時って、誰にでもあるよね〜、ご愁傷さまでした。
・・・次回は第三の論証です。乞うご期待!
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