明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

ニュースに一言(18)学校で怪我した名古屋の小5問題

2022-07-07 17:28:37 | ニュース

問題は、怪我した児童の状態を見て「これは大丈夫」と養護担当の先生が判断したことである。

① この先生には医者の資格があったかどうか
多分、多少の知識はあったと思うが定かではない

② もしあったのなら、医者の資格は「停止」すべきである。ワイドショー「ごごスマ」出演の丸田女医の話では、顔面強打・視覚二重・嘔吐など、諸々の症状を考えると、安易に判断をするのは危ないとのこと。ここは救急車で病院に搬送し、きちんと検査するのが普通だそうだ。それを、救急車は必要ないと判断したのであれば、病名を「単なる打撲」と診断したことになる(私の考え)。だから「目を打ったのに、何で吐くの?」という言葉になったのだ。これは言い換えれば、何故「児童が吐いた」のか、理由が分かっていないということに他ならない。

もし打撲であれば、吐くことはない筈と考えたから、なんで吐くの?と言ったわけだ。これは児童に判断を仰いだ訳ではないだろう。吐く筈ないと思って「不作法をたしなめた」のだ(おねしょを叱るみたいに)。この段階で「この人は医者というより、単に躾をしようとしていた」と思う。つまり、こんなところで吐くんじゃない!、という叱責である(パワハラとも言う)。怪我をしている児童に治療もせずに叱責をするとは、一体全体どんだけ偉いんだ?という気がする。まるで軍隊さながらではないか(私は軍隊経験がないので、映画等で得た知識です)。こういう感覚の人が教育現場にいるということが、日本の教育の貧困を表していると思うが如何?。

その時、打撲という自分の診断を疑ってみる、という「もしも」が頭に浮かばなかったところで、この先生の医者としての能力は「資格停止レベル」だと思う。要は医療診断が間違っていた、ということで、場合によっては医療事故の疑いも出てくる。

③ もし資格が無いとしたら、分かりもしないのに偉そうに児童を叱りつけたことになる。一体、この人にどれだけ頭部打撲の病理学的知識があるのか知らないが、養護担当という立場にあるということなら「賠償問題」に発展しかねない。また、そのような人を養護担当に配置した学校側にも「人事責任」は免れ得ないだろう。知らないことを勝手な判断で処置し、後から「そんなことととは露知らず」という言い訳をするのは、関係ない立場の場合だけに許されることである。もし責任ある立場にいた場合は、「知らなかった」というのは許されることではない。厳しいようだが、それが「責任」の意味である。

以上。

どちらにしても、救急車を呼ばないという選択肢は考えられない。何故、この養護担当は呼ばずに済ましたのか?

「ごごスマ」のコメンテイターが、救急車を呼ぶと親からクレームを受ける場合がある、と発言していた。病院を受診すれば当然お金がかかる。だからむやみに呼んでは困るということらしい。私も自宅で、強烈な腹痛に布団で四苦八苦していた時、弟に救急車を呼んでくれと頼んだら「みっともないからタクシーで行け」と言われて、すごすごタクシーで病院に行った覚えがある。まあ、のどかな昭和の時代の記憶であった。

私の場合は笑い話で済んだが、学校のような公共施設での事故対応を考えると、全ての教育機関では「障害事故の保険に加入」が義務付けられるべきと思う。そういう金銭的理由で、保護対象の児童の救急が遅れることのないように、万全の態勢をとるべきだ。もっと言えば、保険無しで児童を預かるなんてこと、とてもじゃないが「危なくって」出来ない、というのが普通の感覚であろう。このクレーム時代に先生になろうという人が減ってきているというのも、何だか分かる気がする。

海外では、「教育費全額無料」の国もあると聞く。日本も早急に法改正を進めて、成人になるまでは教育費と医療費は全額無料とすべきである。これ、参院選の争点の一つではないだろうか?・・・ちょっと脱線した。いずれにしても学校医療の分担明確化と配置の適正化、それと保険システムの欠陥であるから、文科省には早急に抜本的改革を促したい。

・・・・・・・・・・・・・・

なお、学校側の謝罪会見で気になったことを一つ。

① 会見での謝罪文では、怪我をした児童と親御さんには「ご迷惑」をおかけした、と言っていた。ご迷惑って、どういう意味?

迷惑というのは「精神的に嫌な思いをさせた場合」に使う言葉である。児童は顔を骨折しているにも関わらず救急車を呼んでもらえなかったのだから、「実害」を負っている。すいませんでしたじゃあ、済まないのだ。場合によっては脳に障害が残る場合も有り得るだろう。それでも「迷惑」という言葉で「謝罪」しているという感覚は、私には信じられない。そもそも迷惑というのは、原因当事者が被害者に言う言葉としては、不適切・不謹慎である。トラブルが解決して「お互い仲直りした者同士の間」で交わされるお詫びの気持ちの表現として、「この度はご迷惑をおかけしました」というなら分かる。トラブルの真っ最中で「しかもトラブルを起こした張本人」が言う言葉では有り得ない、というのが私の意見である。

今回の事例では、養護担当および学校側は、「当該児童と保護者」からまだ許されてはいない。ここは「救急車を呼ばなかったことは、当方の間違った判断でした」と事実を認め、せめて「申し訳有りません」と陳謝すべきである。ご迷惑をおかけして・・などと軽い気持ちで出てこられても、「絶対許さない!」というのが正直な親の気持ちではないだろうか。

謝罪会見での「ご迷惑」発言は、どう考えても違和感しか無い。

② ご心配をおかけして・・・という言葉も問題である。「心配」というのは相手を気遣って、「大丈夫?」と声をかける時に使う言葉だ。普通、心配をかけた相手には「ご心配をおかけしましたが、もう大丈夫です」と何事もなく解決したことを報告するものだ。ところが今回の謝罪会見は、学校側の対応を問題視している人に対して「ご心配をおかけして」と言って謝っている。いったい何をもって「ご心配」なのか。別に我々は養護担当や学校の行く末を慮って、会場やテレビの前で事態の収拾を見守っているわけではない。担当者の責任能力の有無と、学校側の人事の責任を問うているのだ。心配なんか「全然していない」のである。むしろ心配どころか「その対応に怒っている」立場だ。ヤクザなら「心配してるだぁ?、ふざけんじゃねぇぞコラァー!」と凄むところである。

ここは、「皆様のお怒り、ごもっともで身の置き場も御座いません・・・とか言うのが筋であろう。それをご心配をなどとは「笑わせるんじゃない!」と叱責され、火に油を注ぐ結果になるのは目に見えている。どうしてこんな「でたらめな謝罪文」を作成できるのだろうか?。日本語がグチャグチャになっている。

まあ、一種の定型文として謝罪会見の常套句になっているのだろうが、もっと日本語を適切に使うよう「教育機関もしくは政府文科省」あたりが、正しい謝罪文の見本を発表し、誤りを訂正するべきである。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿