よく、鬱病になりやすい人はネガティブ・シンキングの迷路に入ってしまい、そこから抜けられなくなった人である、なんて言われている。今回はこのネガティブ・シンキングについての考察を書いてみた。
体の不調が先か、それとも鬱々とするのが引き金になって身体の機能が悪くなるのか。これは身体機能と心理的な状態とが「リンクしている」ということに他ならない。どうも天気がどんよりとする時期には何となく気分も晴れずに無気力になり、気がついたら食欲もなくなっていた、というのが良くある。これが何日も続くと「どんどんネガティブな考え」に落ち込んで、何をやるんでも「喜びを感じなくなって」気力が減退してくるのだ。こうなると何も考えられず、何となく体に力も入らないで、「衰弱してきた」という言葉がピッタリの状態になる。これは老衰の始まりなのか?。
実は何日か前、私がワクチン接種で副反応をネットで調べていた時、日本でも「196人が死亡している」という記事にぶつかった。勿論、副反応と確定診断された例は一つもない。しかし高齢者の死亡例に混じって、26歳の女性の事故が心に突き刺さった。それはワクチン接種後、会社に普通に出社していたのに「何日か経ったら音信不通」になって、心配して家に行ってみたら「死んでいた」という。恐ろしい話だが、事実である。もしワクチン接種して、この女性のように「突然死」したらどうしよう・・・と恐怖に襲われた。これこそが、ネガティブ・シンキングの罠である。
データによると、副反応で死亡するリスクは10万人に一人の割合だという。しかも直接的な関連があると認められている例は、少なくとも発表されているものでは「無い」とされている。これは、いくら心配しても「やってみないと」分からない、と言っているようなものだ。言わば「究極のロシアンルーレット」である。つまり、わざわざ危険を冒してまでバンジージャンプする理由があるのか?、というのと等しい。
いくら副反応のリスクに対して重症化を防ぐメリットの方が大きい、と言われても、今私はコロナに罹っている訳ではないし、もしかするとコロナに罹らずに生きていけるかな?、と言う「自信」も少しはある。コロナのリスクが非常に少ないのに、わざわざワクチンを接種して「明確なリスク」を負う必要なんかないんじゃないか、などと考えてしまうのだ。これではワクチン接種に対する「不安」が止めどなく広がって、そろそろ予約日が迫ってくるのにどうしたらいいのだろう?。接種しても何とも無いかも知れないし、もしかしたら「突然死」かも知れないのだ。さて、私はどっちになるんだろうか?
以上、私の経験したネガティブ・シンキングの典型例を紹介した。結局、私は「ある答え」に行き着いて、このネガティブ・シンキングを脱することができたのだった。それは何事も「必然的」に偶然が起きるという、一つのパラドックス的な事実である。これは「確率論における個々の事例の理解の仕方」、と捉えると分かり易い。例えば交差点で信号を待っていて、暴走トラックに轢き殺される人がいる。また、人並外れた体力を持っているアスリートが、突然白血病になって長期入院した、というのもある。私の知人でジョギング中にクモ膜下出血を発症した人がいて、その人は奇跡的に無事回復したが、死んでいても不思議はない。ニュースによれば、旅行に行こうと準備していてスーツケースに荷物を詰めている最中に心臓発作で死んだ人の例もある。人は何も特別な危険なことをしているわけじゃないのに、突然死んでいくのだ。これは確率論である。
人生にはこういう想像もしていない危険が身の回りに山ほどあって、それを何とかくぐり抜けてたとしても結局は「老衰」という死が待っている。私もそろそろ老齢に入って来て、いつ死んでも誰も驚かない年齢になっているのだ。ゾウは自分の死期を分かっていて、その時が来れば「黙って死に場所に赴く」という。人間にもそれぞれ死ぬべき時が決まっていて、それが「偶然やってくる」ように我々には見えるが、本当はそれは「必然」なのではないだろうか、ただ私達には理由が分からないだけだ、とも考えられる。
結局のところ、「死は」それが何時なのかは誰にも分からないが、「必ず」やってくるものという「ありきたり」の事実に思い至ったわけである。それが今度のワクチン接種であるかどうかは、私が「10万人に1人の例」になるかどうかにかかっている。もしそうであるならば、私はそれほど「特殊な存在」じゃあないだろう、と私は考えた。私はきっと、もっと普通の「癌か全身衰弱か」で死ぬんだろうと思う。別にこれといった理由があるわけじゃないが、そう思ったら「気が楽」になった。私はごくごく普通の人間だと思っている。
人がネガティブ・シンキングに落ち込む時、そこには特別な理由などはない。1万人に1人程度の確率だったら、めったに起こらない「不幸」と考えるのではなく、普通に「そこら中にある」リスクと思うことがネガティブ・シンキングに陥らない方法である。一つ一つの事例は個人の人生においては「不幸」なことであるが、確率論的には「普通」のことだと言うこと。それを偶然と捉えるか、または必然と捉えるかの違いだ。結局、シマウマにしてみれば、ライオンが怖くて巣にこもっていては喉が乾いても水を飲むことは出来ない・・・これである。勿論、シマウマは食べられないように十分注意をしているのだが、それでも群れの中で1匹ぐらいはライオンに食われてしまう。それでも次の日には、シマウマ達はまた水を呑みにやって来る。これが彼らに与えられた「自然の営み」なのである。人間も同じでは無いだろうか。
結局、私はワクチン接種は喜んで受けることにした。友人たちも既にワクチン接種を済ましていて、副反応は出て無いようである。良かったよかった。誰も「結果を予想できない」ことに鬱々と悩んだ挙げ句、「ネガティブ・シンキング」の罠に落ち込んで、ついには体調を落として病気になったりしないように気をつけよう。人は死ぬ時には「死ぬ」。残り少ない人生なら、もっと楽しいことを考えて生きたほうがいい!、だ。
・・・でも、もし副反応で突然死したら?
しつこいねぇ!、その場合はあっさり死を受け入れなさいよ!。少なくとも、飛行機事故とか水難事故とか炭鉱事故とか、中には熊被害やサメ・ワニに食われるとか悲惨な事故もあるし、その他「死亡事故」は山ほどあり、全身50箇所めった刺し殺人とか地下室監禁殺人とか山中生き埋め殺人とか、考えただけでも恐ろしい死に方だって、世の中には「全然普通に」あるのだ。それを考えたら「コロナで重症化を防げるというリターン」がある分、よっぽどマシな死に方だと私は思うけど。それも、たった10万人に1人である。楽な気持ちで行きましょ?!
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