そもそも選挙と言うからには、投票する有権者側も「議論の中に入っていなければ」ならない。ところが立候補者の顔ぶれを見ても、普段見たこともない「全然知らないヤツ」がズラーッと並んでいるじゃないの。これじゃ投票するったって「何を基準に選べば良い」のか、分からんじゃん?(何故か訛っている)。しかも一旦投票したら次回は何年か先だってんだから、刻々と変化する問題の解決に「的確に我々の要求を代弁してくれる」保証は、全くもって不明なんである。これじゃあ投票したくなくなるのも無理はない。世間じゃ投票率云々と苦言めいたことを言っているようだが、じゃあ「投票率が上がらない理由を、真剣に考えたこと」が皆さんお有りですか?、って話よ(口調が下品になって来た)。
てなわけで、まず現行の選挙の「何処に」問題があるか、箇条書きに考えてみた。各項目には、同時にスマホ選挙のメリットを添付しておいたので、ご参考に。
1、投票する側のリスク・・・投票日に投票所まで、しかも時間内に「わざわざ」出掛けなければいけない
いざ投票という日が大雨や雷・雪などの悪天候だった場合、それほど投票に意欲的でない人は「ついつい」出かける気がなくなって棄権してしまう。また当日、急な用事が出来た場合にも、これも「やっぱり」棄権するだろう。それにお腹が痛くなったり風邪を引いたりでも、「同じく」棄権である。要は、何でも棄権なのだ。なお、健康な若い人であれば行く事も容易いが、身体が不自由だったり高齢だったりした場合は「なおさら」投票に行くのはハードルが高い。さらに言えば、介護で寝たきりの人だったり、元々身体が不自由な人に取っては、正に投票は「介助が無ければ」投票そのものが不可能である( ICU に入っている人は選挙どうするんだろう)。天候・交通手段・予定・急病・介護・障害者、それらを全部クリアして初めて、有権者として「投票」まで辿り着けるのだ。健康で暇な人間はそこまで思い至らないから簡単に考えるが、結構しんどい環境にいる人にとっては「難儀なこと」なんである。
→ スマホ投票なら「いつでもどこでも何をやっていても」、殆ど手間が掛からなくて、「画面で候補者を選んで」簡単に投票する事が出来、しかも「書き間違いもなく」無効票が発生しなくなり、超便利である。
2、選挙を開催する側のリスク・・・選挙するのに余りにも「準備や金」が掛かりすぎる
適切な会場の確保、十分な人員の確保、投票所整理券の印刷・郵送費、及び間違いないかの完璧なチェックと不在返送の処理、当日の筆記具・用紙費用及びコロナ対策、投票用紙回収・運搬及びセキュリティ費用、集計にかかる「人海戦術」費用、それと投票用紙の保管場所及び問題があった場合の再調査費、その他に「国民の、投票に要する時間の経済的損失」も加えると、相当な金額の経費が掛かっている筈である(計算した事はないけど、やってみたら驚くかも)。これが「全国津々浦々」にある投票所の全てで発生するから、その金額は相当大きいと言わざるを得ない。勿論、掲示板やポスターなどの準備の大変さも考慮すれば、もはや「天文学的数字」とも言えるのではないか(ちょっと大袈裟かも)。当然、選挙に関わる人員も大変な数だし(候補者の応援人員は除外するとしても)、不定期の作業だからその為に特別に支払う作業費用も相当な金額だ(但し、公務員はタダ働きかもね・・・笑)。これが政府の側にしてみれば、じゃあ選挙で国民の意思を確認しよう、と「気軽に選挙する」わけにいかない理由だと、私は思っている。
→ スマホ投票なら経費はゼロ円、一切かからない。サーバーから一括送信して、集計は担当者が「ボタン一発」完了である(何とも呆気ない)。後はマスコミに結果をプリントアウトして、作業終了。1分も掛からないし、馬鹿みたいに簡単である。
3、立候補者側のリスク・・・もうこれは「戦争」だ
候補者は投票日までに「有権者に何とかアピール」しようと選挙運動に必死になるから、お金もそうだが「健康面でも体力勝負」になって、高齢候補者は「相当しんどい」。本当は政策面で、「私はこういう考えで立候補しています」とアピールするのに時間をかけたいのだが、そんな悠長な時間のかかるアピールでは「とても有権者に伝わるとは思えない」から、猛然と街頭パフォーマンスに走り回るのである。そのため馬鹿の一つ覚えのように、各候補者が宣伝車で「名前を連呼」して、街中を風のように走り回っている風景がそこかしこで起きる(それでも、顔を見られるぐらい間近に遭遇することは滅多にないけど)。逆に、既に投票する人が決まっている人にして見れば「ただ超うるさいだけ」でしかない。もし用事があって急いでいる時に街頭で演説しているのにバッタリ出くわしたりすれば、「ひたすら通行の邪魔」になるだけで「何くだらない事やってんの!」という話よ(柏では、ビックカメラへ行く広場でよく演説会をやっているが、大概どうでもいい話をして「支持者」が気勢をあげているだけである。これ、ある意味「さくら」とも取れる?)。そもそも「私はぁ、〇〇ですぅ〜。どうぞ宜しくお願いしますぅ〜」と、手を振りながらスピーカーで怒鳴るだけの「能無し候補者」に至っては、何でコイツの為に選挙に行かなけりゃ行けないわけ?って思って、選挙に行く気すら失せてしまう。一体何をお願いするっちゅうわけ?、それを言わなきゃあ分かんないじゃん!
→ スマホ投票なら選挙カーではなく、キチンとした立候補の趣旨や本人の履歴・公的活動の情報を「時間・場所に制限なく」勝手にスマホに送ってくれるから便利である。自動的にスマホに入っているから、いつでも好きな時に十分に比較検討した上で投票することが可能だ。勿論、立候補者の側でもマトモな候補なら「こちらの方がずっと中身の勝負」に持ち込めるから有利だろう。第一、選挙カーとかウグイス嬢などという「無駄な経費」は一切かからないし、普段から自分の活動を知って貰おうとすれば、「YouTube とか Twitter」などのツールでフォロワーになって貰うという「正規の方法」で支持者を集めることが出来る。こちらの方がむしろ正しい選挙方法だと思うけどねぇ(但し、公平を期する為に、政治家は「政府が定める政治家公式チャンネルのみ」で登録・発表するべきだと考える(公の意見以外の、家族とかのイメージ映像は投票行動に影響をもたらすから、除外すべしというのが私の考えだ。むしろ「議論中心」に組み立てる方が良いと思う)。
以上、ざっとスマホ選挙の有利な点を列挙したわけだが、じゃあ今までの選挙会場に行って「紙に書いて」投票するメリットは何かというと、私が思うに「ただ単にデジタル弱者の年寄りが思いつく、昔ながらの慣れ親しんだ方法」というだけである。要するに「これしか知らない」のだ(ちょっと言いすぎたか)。人間、知らないことには「拒絶反応」を起こすものである。ちょっとそれぞれの反対理由を聞いてみれば、「とっくに解決」している問題ばかりだ、と感じた。中にはスマホ操作が難しいだの、そもそもスマホを持っていないだの、あまつさえ投票会場に出かけて行って「自分で書くから」価値があるとか仰るに至っては、正に「噴飯物」である。そんなこと言っといて肝腎要の「首相を選ぶ」のは、我々と関係ない「自民党員」だけというんだから「何をか言わんや」ではないか。もう馬鹿らしくって、やってらんないぜ(またまた下品な言い方で申し訳ありません)。
次回に続く
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