明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

雑談倶楽部(74)プラスチック・ゴミは人類にはもう止められない?

2024-07-17 17:59:00 | 今日の話題

1、少子化問題は人類の人口調節機能の発動である

少子化は自然界の常道です。環境に適合しない種は少子化という減少プロセスを経て、いずれかの日に消滅します(進化と多様化の原理)。当然、人類も例外ではありません。人類は既に地球の「資源循環キャパ」を超えて増殖しつつあり、近い将来に限界を超えるまでに増えてしまって食料が尽きるか遺伝子変化で子供が出来なくなるか、はたまたどこかのバカな国が核戦争を始めて全人類を巻き込み、そして消滅するか。いずれにしても「少子化の流れ」は止められないのです(早くこの流れに気づけよ!って話ですね)。

ただ短期的には日本は医療環境と年金福祉の充実によって他国に比べて高齢化が進んでいる為に、見かけ上は「少子化」という統計上の異常数値が出ているというわけです。まあこれは日本人がこの列島の自然環境の中で生きていけるだけの適正な人口まで減ることで自然と解消され、1人の女性が平均2.3人位の子供を産む状態にまで回復していく、と私は思っています(まともに考えれば誰でもそう思います)。そして、少子化で子供や若い人が徐々に減っていけば(勿論高齢者もどんどん減りますが)社会全体の人口バランスは「安定した循環型」になり、全年代が緩やかに右肩下がりとなる「持続的人口推移パターン」に近づくでしょう。そうなれば一人一人の日本人が今よりももっと尊重され、ちゃんとした自分の意見を持って社会参加するようになり、そして「真の幸せとは何か?」についてもっと深く考えて行動するようになるでしょう。そうなることを期待します。まあ私が死ぬまでにそうなるかと言えば、ならないんじゃないかな(あと15年位か)。

だから「小手先の役に立たない少子化対策」などは今すぐきっぱりとやめて、今生きている人をもっと大切にする政策を考えましょう。それが回り回って子供を増やす結果に繋がります。何故なら自然界はそういう風に出来ているんです。幸せな社会なら子供は黙っていても増える、そうじゃありませんか?

しかしそれでは間に合わないし、日本という国家が破綻してしまうと言うんであれば、今考えられる「唯一の即効薬」が実はあります。それは・・・私のブログ「未来の日本をデザインする」に近日中に書きますのでお待ち下さい。劇的に改善して「少子化って何?」っていうことになりますよ!

2、ウナギを人口種苗から完全養殖
この季節になると土用の丑の日だから食べなきゃという人が馬鹿みたいに急増します。バレンタインデー、しかり。クリスマス、しかり。年越し蕎麦もみなしかり。みんな業界の売らんかなの策略に上手いこと乗せられているだけなんで、その日に食べなきゃならない理由なんて全然ないのです。第一、ライオンが「今日はシマウマが旨い日だそうだよ、ねぇ母さん?」なんてこと、言う訳ないじゃないの!(そりゃそうだ)。大体食い物なんてものは腹がくちくなればそれで用が足りるわけで、ウナギが取れなくて希少価値がついて高いというのなら「他の安い食材」を食べれば済む話です。それを養殖じゃ飽きたらず「無理やり人工種苗から生育させて食べちゃおう」てぇんだから、人類とは何と悪賢い陰惨無情な生き物じゃあ御座んせんか(綱吉が聞いたら卒倒しちゃうかも)。

まあ下世話な話に乗っかりついでに言わせてもらえば、笹ばっかり食っているパンダやこれまたユーカリばっかりで他の食べ物には見向きもしないコアラなど、循環型社会の優等生も立派に存在しているわけです。で、彼等が天ぷらや焼肉や蕎麦や刺身をよだれを垂らしながらじーっと我慢しているかというと、そんなことは無くて「日々、大大満足」してるわけです。不思議ですねぇ、あんなもので満足してるだなんて・・・。

そういうわけで、今必要な技術はウナギの人工孵化なんかの話じゃなくて、「人間の味覚を変える技術」なんですねぇ。例えばウナギを食べても「ちっとも美味しくない」ように遺伝子操作か何かで人類の味覚を変えてしまうのです。そうすれば今は1食ン千円する「うな重」も全く不人気になって、人工種苗の話は立消えになるって算段です。勿論、創業寛永◯◯年の老舗の鰻屋も客足がバッタリ途絶えて早々に店仕舞いするってわけ、一件落着です。

まあ私が言いたいのは「何も高いものを無理して食べることは無いでしょ?」って話です。世の中にはもっと安くて「そこそこ美味い」喰いもんがワンサカ有りますからねぇ。ちなみに私は、ウナギってもんは高校2年のとき親父に連れられて行った鰻屋で初めて食べて以来、その後58年間「一度」も食べた記憶が無いです。そして多分・・・別に嫌いでも何でも無いけど・・・死ぬまで食べないんじゃないかと思ってます。理由はないけど、まあ想像です。もしウナギが「一切れ100円位」にでもなってたら考えないでもないけどそうなったら今の鰻の感動は、多分だが「無い」だろうと思います。

結論として、鰻も結局は「トリュフや松茸やツバメの巣」みたいな珍しい食材になって、普通の人は無理に食べなくなるんじゃないかな。別に食べないからって何の不都合も無いし病気になる訳でも無いんだし・・・。要は、人々がそれに気付くのが何時なのか?、ってことだけでしょう。考えて見れば身も蓋もない話です。

3、プラスチックが地球を破壊する
我々都会の人々が「レジ袋削減」とか言って微力ながら海や山などの自然環境の保護に必死に頑張っているというのに、農家の連中は何も考えんと「プラスチックでコーティングされた肥料」を大量に田畑に撒き散らかしていて、既に全国の田んぼにある土の殆どは「プラスチックの残骸」で完璧に覆われている、らしいのだ。何ていう環境破壊!、何と言う無知であろうか!。一方じゃプラスチックごみを無くそうと日々努力していて「効果が上がっているんだろうな」と無邪気に信じている純真無垢な都会の人々が邪魔なマイバッグを抱えてせっせとコンビニ通いしているっつーのにその一方で、農家の老夫婦は効率よく畑全体に行き渡らせる為にプラスチック・コーティングした肥料を毎日のように畑に撒いて「ハァーこりゃ便利だにゃ~」と大喜びしているのだ。政府の役人はこういう現実を知らないのかねぇ、腹立つわ!

で、この現実を「何とかせにゃいかん」と考えた高校生たちが、日夜研究に研究を重ねて「プラスチックを使わない」方法で同様の効果を上げることが出来た!、というニュースが流れていました。深夜です。

私が言いたいのはそもそも高校生が考える前に環境破壊を切実に危惧している筈の大人や政府の役人たちが、何故そういう事実を知りながら「平気で使い続けていたのか?」という事です。使ったあとはゴミ回収でキチンと処理できるレジ袋なんかより畑に直接撒いて放置するわけですから、多分何倍も悪質なプラスチックごみによる人為的な環境破壊でしょう。これはもう「犯罪」じゃないですか?。だって高校生だって簡単に出来ちゃうようなレベルの研究・開発なんだから、プロが本気でやれば「とっくのとうに出来てる」筈じゃないですか?。しかも話題にもならなくて闇から闇に葬り去ったまま頬かむりして知らん顔するってのは許せません。

これは便利だからとか楽だからとか効果が覿面だからという利己的な考えでやっていることが、プラスチックごみを無くして地球を守ろうという努力を裏で「台無し」にしている現実です。私は今すぐすべてのプラスチックをこの世から無くせ!と息巻いているわけではありません。私の家にも貧しいながらプラスチックが無ければ出来ないものが大量に存在します。ちょっと挙げればキリがないほど生活の一部になっていて、現代人の我々はもう「プラスチック無しでは生きられない」ようになってしまっているんです(たかだか7、80年前にはプラスチックなんて無かったのに・・・です)。だからプラスチック無しで生きるんじゃなくて、プラスチックが「自然界に捨てられることの無いような社会」を構築しましょうよ、っと言ってるわけです。

で、一番先にやる事が「自然界に捨てられているプラスチック」をとことんリストアップして皆んなの目にふれるようにし、そして何とかそれを回収・循環して「再利用する方法」を開発しようではありませんか。万一、どうしても廃棄するしかないものであれば厳重に管理・保管・埋蔵などして将来の技術革新を待つようにして、今ある美しい自然環境を未来の子供たちに残してあげることが肝要です。それが我々「プラスチック世代」のせめてもの遺産と思いたいですね。

ちなみにJAや農林省などはこの高校生の発明に欣喜雀躍してるかと思ったら、プラスチック製の肥料を無害のものに切り替えようという動きは「今ひとつ広がっていないですね」などと他人事みたいな言い草なのである。ふざけんなよ!

私だったら即座に法律を作って強制的に全面切り替え、違反者は「実刑に処する」位の通達を出すんだけど、政府のやる事は有権者に受けない政策はやる気がないってことなんだろう(特に農業に地盤を持っている自民党はその傾向が強い)。嫌な世の中です。



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